デジタル庁を創設するという政府が、コロナ対策でデジタルを活用できないわけ
政府が感染に関するデータを公表できないわけとは
政府は新型コロナに関する様々なデータを持っているはずです。それなのに、何故それらを公表しないのでしょうか。
・感染が拡大時および減少時に、人々の行動はどうだったのか。
・どのような行動を取れば、感染する可能性が高まるのか、低くなるのか。
・旅行が原因の感染者は何人で行ったのか、何泊したのか、移動手段は何だったのか。
・飲食が原因の感染者は何人で行ったのか、時間帯はいつか、お酒を飲んだのか。
政府がこれらのデータを具体的な数字で示せば、国民全体で避けなければならない行動を認識・共有することができます。
しかしそれができないのは、これらのデータを公表すると、これまでの政府が意固地になって続けてきた経済振興策「Go To」事業や感染抑止の指針がおおよそ誤りだったとばれてしまうからなのかもしれません。
政府筋によれば、たとえば会食の参加者が4人や3人の場合でも感染者が増えているといいます。政府のいう「会食は4人以下で」という基準が、実は感染を拡大させていたというわけです。
歴史の教訓にもっと耳を傾けるべき
中世のヨーロッパで大流行したペストにしても、第1次大戦中に世界中に拡大したスペイン風邪にしても、過去の歴史が私たちに教えてくれるのは、人々の移動の増加が感染症拡大の主たる原因になっているということです。
この歴史の教訓を無視して、政府が「Go Toトラベル」や「Go Toイート」といった税金を使ってわざわざ人の動きを増やそうとするのは、感染拡大を促進しているのと同義であり、あまりにも愚かな政策でした。
ところが政府は、「感染拡大のエビデンスはない」といって未だに誤りを認めていませんし、5月のゴールデンウィーク明けに「Go Toトラベル」の再開を模索しているといいます。税金を使って感染を拡大させ、かえって経済により大きな打撃を与えてしまうという人災を政府は何回繰り返すというのでしょうか。
菅首相は「何としても感染を食い止める」と繰り返し言明していますが、オリンピックの聖火リレーを見物する人々の混雑した有り様をみていると、政府は感染拡大を放置しているとしか考えられません。政府の方々には、歴史の教訓にもっと耳を傾けて真摯に対応してもらいたいところです。
間違いだらけの感染対策になっていないか
私がこれまで見てきた光景や少ないデータをもとに類推すると、飲食店の時短営業の効果には大いに疑問を感じています。たとえば、緊急事態宣言下の千代田区・中央区のビジネス街の飲食店を見ていたかぎりでは、夜8時までに食事を済まさなければならないという必要性から、むしろ混雑している飲食店が多かったように思います。
時短営業のすべてが逆効果とはいえないものの、地域によっては密な状態をつくりだし感染拡大を誘引しているケースが多かったのではないかという懸念がぬぐえません。そういった意味では、時短営業を要請する代わりに、「入店は基本的に1人客のみ、黙食を条件に最大2人まで」と制限をしたほうが感染対策としては有効だったと考えています。
当然のことながら、感染対策をしっかりしている飲食店としていない飲食店を同じに扱うのは誤りです。感染対策をしていない飲食店を中心に感染者が増えている可能性が高いことを考えると、政府や自治体はそういった店に対して強く感染対策を求め、対策費用をすべて負担してもいいでしょう。
飲食店に時短営業を強いることがなければ、協力支援金を支払うことはありませんし、多くの国民が疑問に感じている「なぜ飲食店だけ手厚い支援金が出るのか」という不公平感もなくなります。市井の現状をきめ細かく観察したうえで、本当に困っている層(とりわけ非正規で収入が激減している人々)への支援が求められています。
データを公表できないのは利権を守るため
政府が何故細かいデータを公表しないのかというと、そうしてしまうと今までの経済振興策や感染対策がおおよそ的外れだったことがばれてしまうからです。その結果として、観光利権やオリンピック利権を守れなくなるという事態は何としても避けたかったのでしょう。
一連の「Go To」事業について、感染拡大との関係や消費への寄与度などのデータ開示が乏しいのは、正確なデータを開示すればするほど、これらの事業は新型コロナが終息した後に実施すべきだという世論が強まる可能性が高いからです。それでもやりたいというのであれば、「基本は1人、最大で2人、黙食を徹底」すべきです。
また、緊急事態宣言が感染拡大の止まらない状況で3月21日に解除されたのは、オリンピックを何としても開催するというスケジュール下で、聖火リレーを始める日時から逆算して決まっていたとみられます。観光利権やオリンピック利権を守るためには、感染対策が非効率で税金の無駄遣いが多くなっても構わないというわけです。
そもそも政府内にデータを分析できる人がいないという問題点を指摘する向きもありますが、利権政治を温存するにはむしろ、データを分析できる人物がいては困るという現実があります。過去の政策をデータのもと緻密に検証したならば、新型コロナ後に立て続けになされた政策ばかりか、国土強靭化という土木利権の裏で、効果の期待できない公共事業が山のように行われていたのが明らかになるでしょう。
政治のデジタル化は利権政治をなくすために不可欠だ
菅首相の目玉の政策のひとつに「デジタル庁の創設」というものがあります。政治のデジタル化には、主に二つの効果を期待することができます。ひとつは、行政の業務を効率化するということ、もうひとつは、過去の政策を検証して次の政策に生かすということです。
しかしながら、政府のこれまでの「反歴史・反科学・反データ」的な政策運営をみていると、デジタル庁の創設など、残念ながらブラックジョークにしか聞こえません。2020年12月17日の記事 『政治のデジタル化で国会議員は大幅に削減できる』でも申し上げましたように、政治のデジタル化が進めば、あらゆる政策の可視化(見える化)ができるようになります。
政治のデジタル化によってデータの検証ができるようになれば、利権や思い込みに左右されない効果的な政策が示されるので、これまでとは政策の決め方が変わらざるをえません。国民の目をごまかせなくなるプロセスは、民意と著しく乖離した利権にまみれた政治家にとってもっとも嫌がることでしょう。
日本が将来の明るいビジョンを描くためには、国会議員でも地方議員でも歴史や科学、デジタルに精通した政治家を増やしていくべきです。その中から優秀な政治家が次々と育っていくことが、豊かな国づくりの新たな一歩になるのではないでしょうか。