ウクライナ、春の反撃作戦の決定的要素は、要塞の突破。塹壕と地雷で埋め尽くされるロシア占領地
ウクライナの春の反撃が盛んに語られている。ウクライナ軍の成功のカギとなるものは何だろうか。
その決定的な要因の一つとなるのが、いかにロシアが築いた要塞を突破するかである。
ロシア軍は、前線に要塞の列を築いている。塹壕、地雷原、「竜の歯」と呼ばれる障害物ーーウクライナが成功するには、これらを突破しなければならない。
前線だけではなく、ロシア軍に占領された地域の主要な道路や鉄道のほとんどは、こういった障害物で守られている。
現在、ウクライナの国土の4割が対戦車地雷と対人地雷で埋め尽くされているとも言われ、おそらく世界で最も地雷が多い地域になっているという、恐ろしい事態になっている(地雷は両軍が使っている)。
ウクライナのレズニコフ国防相は、ロシア軍が敷設した地雷を同国から完全に除去するには、30年かかる可能性があると4月に述べている。
ちなみに、対戦車地雷は合法(!)だが、対人地雷は1997年の条約で禁止されている。ウクライナは批准しているが、ロシアは署名していない。
一方、「竜の歯」と呼ばれる障害物は、装甲車の進行を防ぐためのコンクリートや鉄の円錐(えんすい)のことで、何万個も地面に敷設されているという。
このような障害物で要塞化されているロシア占領地。これらを突破することを英語では「ブリーチング(breaching)」、仏語では「ブレシャージュ(bréchage)」という。
「一般に信じられているのとは異なり、要塞のラインは敵の通過を防ぐためのものではありません」と、あるフランス軍関係者は、仏紙『ル・モンド』に語った。
「要塞の目的は、まず敵の動きを鈍らせ、損害を与えることなのです」
そのために、要塞は深く設計され、次々と後退させるような硬い障害物を配置しなければならない。
そして敵をあるエリアに誘導し、そこで動けなくしてから攻撃する。これは「ケトリング(英:kettling)」「ナス(仏:nasse)」と呼ばれるコンセプトだという。
現代日本ではみかけないが、暴徒化した(しそうな)デモ隊に対して、機動隊や警察が、人間の集団の壁をつくる。これはこのコンセプトに基づいているのだそうだ。
戦争全体を見渡せば、別の見方もできる。
「ロシアが要塞を建設しているのは、もはや移動ではなく、消耗戦に従事しているからです。第一次世界大戦の論理です。機動性がなく、塹壕を掘って敵の動きを鈍らせる。
敵が突破してきた場合は、秩序だって後退できる時間を確保するためなのです」と、フランス戦略研究財団(FRS)の研究者であるティボー・フイエ氏は同紙に語っている。
第一次大戦の戦死者は1600万人以上、戦傷者2000万人以上と言われる。「春の反攻」を、戦争ゲームのごとく、心がワクワクするもののように語る人々が世界中にいるが、大戦規模にはいかないにせよ、そこには人間の死体の山が累々と築かれるのではないかと、大変嫌な暗い予感しかしない。
欧州大陸中にあった要塞
日本語情報を見ると、春の攻撃について、要塞より、圧倒的に戦闘機や戦車のほうに重きを置いているように見える。
もちろん、それらも勝るとも劣らないほど重要なのだが、欧州大陸の塹壕や要塞に対する感度や発信は、日本とはかなり違うと感じる。
それは歴史であり、研究の厚みであり、「集団の記憶」のためだと思うのだ。
第一次大戦、そして第二次世界大戦へ。マジノ線から大西洋の壁まで、迂回・横断された要塞の例は、欧州大陸に数多く存在する。
マジノ線とは、第一次大戦後の1929年以降、フランスがドイツを恐れて国境に造った要塞の防衛戦のこと。
下の写真を見ていただきたい。防衛線の砲台である。のちに上陸した米軍兵士が口を開けて驚いているが、こんなものをいくつも造ったのかと、あきれ驚くばかりである。現在の欧州連合(EU)の時代からは考えられない代物である。
結局、ドイツ軍はマジノ線を迂回した。天然の難攻地で敵のドイツ軍は通らないとフランスは思い込んでいた自然の障害を、新型戦車で突破してきたのだ。そして、フランスは負けて、半分が占領された。
一方、「大西洋の壁」とは、第二次大戦中にドイツが造った、欧州大陸の海岸防衛線だ。約2700キロもあった。下の図で、黄色い線の所である。
ドイツはアメリカを中心とした連合軍が上陸してくることを想定していた。ドイツのロンメル元帥は「英軍とアメリカ軍を浜辺から押し戻すことが絶対に必要である。その後では手遅れになる。最初の24時間の侵略が決定的なものになる」と言っていたという。
このあまりにも長い海外線をすべて守れるわけもないが、ドイツ軍は、要塞に巨大な沿岸砲、砲台、迫撃砲、大砲を置き、何千人ものドイツ軍人がその防御に配置されていた。北フランスには約600万個の地雷を敷設した。
この沿岸には「チェコのハリネズミ」と呼ばれる、対戦車の障害物も置かれていた。もともとはチェコとドイツの国境に敷設されていたもの。1938年、チェコスロバキアの国境地帯・ズデーテン地方がドイツに占領された後のミュンヘン会議で、ドイツに引き渡された。
その後、この「ハリネズミ」はソ連やベルリンの壁でも使われたが、ウクライナ戦争が始まってオデーサやキーウに敷設されたときは、歴史を知るヨーロッパ人に、ある種の感慨をもたらしたものか、ニュースとなった。
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またヨーロッパ人は同じことを繰り返している。二度と戦争を繰り返したくないヨーロッパ人が平和のために築いたEUの外で。
ノルマンディー上陸作戦は、連合国側の勝利に終わったものの、「半年でドイツは降伏する」と予測したアメリカの期待は裏切られ、1年かかった。ノルマンディーを突破したのはいいが、その後が大変だったのだ。
自分達の生きる大地で何千万人もの血を流したこれらの経験が、ヨーロッパ大陸人の記憶に染み付いている。この集団の記憶が、ウクライナ戦争で「塹壕だ、要塞だ、気をつけろ」と、重い気持ちで警告を発しているように見える。
やはり日本は島国で、大陸ではない。地続きの隣国と戦争を繰り返し、塹壕を掘って戦うことに対する歴史の重み、集団の記憶がないのだろうと思う。
大陸の戦争は、日本人には、どうしてもわかりにくいところがある。
ロシアが築く要塞とは
それでは今ロシアは、占領地でどのような要塞化を進めているのだろうか。
昨年11月、ウクライナがヘルソンを奪還して以来、ロシア側は、ウクライナ軍がドニエプル川を渡り、本土からクリミア半島にアクセスできるペレコプ地峡に到達することを恐れてきた。
そのため、ドニエプル川東岸のロシア軍とヘルソン州南東部の後方地域、およびメリトポリ周辺の後方地域を結ぶラインに、対戦車溝や竜の歯を設置し始めたのである。
下のツイートは、昨年11月28日の戦争研究所のものだ。ドニエプル川を挟んで赤い部分がロシアの支配地域で、▲はロシア軍が要塞化したところである(現在はもっと増えている)。
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昨年8月にロシア軍が要塞の建設を始めたマリウポリ地方では、ここ数カ月で事態が加速、塹壕の建設や地雷の敷設を始めている。また、ドネツクへ続く国道H20号線沿い約100キロの距離の、防衛線を掘っている。
ザポリージャ地方では、今年の1月下旬から2月上旬にかけて撮影された衛星画像には、ロシアの支配地域であるタラシフカ村という場所の付近で、要塞化の作業が行われている様子が写っていた。アメリカの戦争研究所によると、ポロヒ町からトクマク町に至る道路沿いの陣地を強化するのが目的だという(下図参照)。
ロシアが支配するこの二つの町の北にはオリヒウという町がある。ここはウクライナが守っており、現在この間が前線になっていると言われる。
興味深いのは、4月12日(水)に放送されたBS-TBS「報道1930」に、ウクライナ国立陸軍アカデミーのアンドリー・ハルク教授という方が登場。ウクライナの反転攻勢で考えられるルートの一例として、現在ウクライナが維持しているオリヒウから、ロシアが支配するメリトポリとベルジャンシクへの二つのルート(図の2本の紫の矢印)を挙げていたことだ。
この二つのルートは、ロシアが要塞を築いているポロヒ町とトクマク町の間の陣地を、マジノ線のように迂回するように見えた。
もし「敵をあるエリアに誘導し、そこで動けなくして攻撃する」闘いなら、ロシアはどういう作戦を描いているのだろう。それとも、ひたすら消耗戦なのだろうか。
英国国防省によると、ロシアはザポリージャ地域で、約120キロにわたって3つの防衛線を確立したという。
第一線は前方戦闘陣地からなり、その後、さらに2つの精巧な、ほぼ連続した防衛地帯が続く。これらの防衛線は約10〜20キロメートル離れていると、4月中旬に発表している。
<前線の町、オリヒウの様子>
徹底したクリミアの要塞化
特にメディアで取り上げられて目立つのは、クリミアの要塞化である。
4月上旬には特に話題になったのは、米紙『ワシントン・ポスト』の記事のためだ。
商業宇宙技術企業のマクサー社が同紙に提供した衛星画像群を紹介しながら、いかにクリミアが際立って要塞化されているかを解説したのだ。
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クリミア半島は、ウクライナ本土とは、二ヶ所の通路でつながっている(上掲の図参照)。
一つはペレコプ地峡(ちきょう)と言い、長さ30km,幅8~23km。ハイウェー、鉄道、北クリミア運河(ドニエプル川から水を運んでいる)がこの地峡を通っている。
もう一つは、上記地図でメドヴェディフカ町のあたりからつながる、細い湿地帯である。この地帯は、侵入者を停滞させることができる天然の要塞であると同時に、クリミア(とロシア軍)を孤立させうるものだ。
数週間に渡って、熱心にロシア軍は塹壕を掘った。その結果、小さな町メドヴェディフカの周辺には、数キロに及ぶ精巧な塹壕システムが網の目のように張り巡らされているのだという。
近くには、戦車や大型車両を閉じ込めるための深い溝など、他の要塞もある。ロシアは同様の防衛施設を何十個も建設しているとのことだ。
冷戦時代、ソ連は西側の目をひく素晴らしい塹壕掘削機を持っていた。当時の掘削機BTM-3は、地面が凍っていても時速30kmの速さで掘ることができた。かつてアメリカ陸軍はこの機械に驚嘆し、1980年の内部報告書に「アメリカ、ヨーロッパ、日本にはこれに匹敵するものは存在しない」と書いていたのだという。
いま、機械だけではなく人力でも掘っている。同紙によると「日給90ドル以上の、うらやましい仕事」だという。
その上、ウクライナの水陸両用作戦を含めた攻撃を想定してか、沿岸部にも防衛線が張り巡らされている。
ワグネルもロシアの知事も要塞を推進
ルハンスクの自称共和国では、傭兵集団ワグネルのプリゴジン代表が、2022年10月に「多層」防衛線の構築を発表した。
彼は、詳細については何も語らなかった。
プリゴジン氏の報道機関RIA FANが発表した地図によれば、ワグネルグループは、ロシア・ウクライナ国境の東からクレミンナ(ルハンスク州)、そして南からスヴィトロダースク(ドネツク州)までのラインを想定しているという。これは約220キロの距離である。
彼の意見では、この装置は実際には「必要」ではなく、「前線にワグネル部隊が存在するだけで、すでに難攻不落の壁となる」のだそうだ。
さらにロシア人は、戦闘地域から遠く離れた領土にすら、要塞を築き始めているという。
昨年11月以来、ウクライナのハリコフ地方の南、国境を接するロシアのベルゴロド州の知事グラドコフ氏は、車両の国境越えを防ぐために作られた塹壕と竜の歯の画像を、定期的に公開してきた。
この工事は今年3月に完了し、彼は今、これらを守るための軍人をモスクワに要請しているそうだ。
同じ光景は隣のクルスク州でも見られ、スタロヴォイト知事もSNSのテレグラムで同様の写真を投稿しているという。
どうすれば突破できるのか
では、どうすればこのようなロシア軍の防衛線を突破できるのか。実現するのは容易ではない。
米バージニア州アーリントンにある海軍分析センター(Center for Naval Analyse)でロシア研究のディレクターを務めるマイケル・コフマン氏は、以下のように述べている。
「(ウクライナの大規模な追加部隊は)私の印象では、突破装備、地雷除去、戦闘工学、橋をかける、サポート、そして通信、暗視、ISR(情報・監視・偵察)といった中核的な項目に、依然として能力差がある」
「ロシア軍には地雷原や塹壕と共に、頑強な防御を行うための人員と予備があると思われる。ウクライナがロシアの戦線を突破できないという意味ではないが、過去の攻防を見る限り、突破が達成された後に勢いを維持するのに、課題を抱えていることを示唆している」
<4月4日のツイート>
仮に消耗戦を勝ち抜いて重要な所を突破できたとしても、その後がまだある。ウクライナはそこが弱いのではないかと言いたいようだ。突破して終わりではないのだ。ノルマンディー上陸の後と同じように。
ロシア人は粘り強い。昨年の9月、部分動員が成されたとき、彼らの質を大いに疑問視する言説が米英日で盛んになった。しかしあるフランス人軍事ジャーナリストは主張していた。彼らは攻めには適していないとしても、守りには一定の力を発揮するだろうと。
実際、その後からロシア軍は、占領地を着々と要塞化してきた。現在、どこも塹壕と地雷だらけである。
どんなに味方の兵士の犠牲を出そうとも、塹壕や地雷等で要塞を築いて守り抜く。じりじりとした長期の消耗戦にもっていって、ウクライナ軍を追い詰める。これが寒さをじっと耐える大陸の北の民、ロシア人の作戦だったのか。日本人には絶対に真似できそうにない芸当だ。
このような要塞を乗り越えるには、相応のものが必要になる。
ウクライナ側はこの難しさをわかっていて、既に数ヶ月前から、要塞化された防衛線を「突破」し、ロシアが造ったものだろうと、川や溝などの自然の産物だろうと、障害物を越えるための装備を西側に求めていると『ル・モンド』は報じている。
米国はすでに14基の装甲車発射橋(AVLB)と、特定はされていないが多数の地雷除去装置を提供している。ドイツは、地雷除去車「Wisent 1」2台を提供。さらにそのパワーで有名な「ダックス・戦車ブルドーザー」計7台などを提供する。ダックスは、通常レオパルド1戦車とブルトーザーが合体したものだ。
<※現在、ヤフーのシステムの問題か、ツイートが表示されなくなっているようです。しばらくお待ち下さい>
軍事アナリストたちによると、この地雷除去の援助は不十分であり、ウクライナ側が大規模な反攻を行うには限界があるという。
フランス戦略研究財団のティボー・フイエ氏は同紙に言う。「米国とイスラエル以外では、突破手段とは、反乱鎮圧戦争の補助的なものと見なされていたため、すべての軍隊で過小評価されています。ウクライナはこの分野で大規模な支援を当てにすることはできず、作戦の軸に優先順位をつけなければならないでしょう」。
ウクライナ戦争は地上戦であると、多くの専門家が述べる。地雷や塹壕など、要塞だらけになってしまったウクライナの大地。春の反撃は本当にどこまで可能なのか。この現実を踏まえた上で、すべての作戦や武器供与の意味を分析しなければならないだろう。