「福島第一原発」 原発事故後「初」となった大学生との視察で見えた課題と希望
これまで筆者が運営する一般社団法人AFWでは、一般の方に福島第一原発の現状を知って頂くために、実際の現場にお連れする取組を行ってきました。
イメージ上の福島第一原発で、暮らしの判断基準を持つ危うさを改善し、その取組を通じて、メディアに頼ることなく「今」の一次情報を得ること、発信することを目的としています。
11月19日、首都圏の大学生を中心とし、19名の大学生の方々を福島第一原発にお連れしました。大学生が団体で視察することは、実は原発事故後「初」の試みです。なぜ初なのか、それを紐解くことが、原子力をタブー視し過ぎたことによる、私達が抱える課題が見えてきます。
若い人が関わることを「センシティブな問題」とし、閉ざすことから見える課題
原発事故後、筆者の取組が、大学生が団体で視察に入ることの先駆けとなってしまいました。大学生を福島第一原発にお連れする。これには社会からの懸念が問題となってきました。いわゆる「そんな危険な場所に若い人を連れていってよいのか」です。
これまでも大学の取組として、福島第一原発を視察する企画はあったそうです。しかし実行されてきませんでした。大きな原因は、センシティブな問題とされる風潮に答えられなかったことにつきます。
若い方が関わることを危険視する声に答えられない=福島第一原発を知らない未熟さ、ではないかと筆者は考えます。
現在の福島第一原発では若い方も多く働いています。20代の女性も働いていますし、地元の高校を卒業し働く方がいます。その一方で、大学生の視察という「働く方より守られた状態での視察」を問題視することは矛盾しています。大多数の方が「福島第一原発は危険」と思っていても、「実は知らない」をよく表現しています。
1.改善の度合いがまったく社会に伝わっていない
この一枚の写真が、視察を危険視する事は杞憂であると言える状態を指しています。これまでにお届けした記事からもそれは伝わるものと思います。この状況は今年の2月に訪れた時と変わりません。福島第一原発の入口は特段の装備なしにいれます。ただし、これは入口エリアにおける改善の度合いです。今でも構内で作業をするには防護対策は必要ですし、原子炉建屋内などは人が近づけぬ場所もあります。大切なのは「福島第一原発」と一括りで語るのではなく、場所毎の改善度合を知ることです。バス車内からの視察をするという事であれば、一般の方をお連れすることが可能なほどに、現場は改善された。事故直後の危機的状態から、視察が可能な状態にまで前に進んだと言えます。
私達が望んできた改善が進んでいる姿が、社会に伝わっていないことは大きな問題です、望んだ姿が伝わらないことに大きな課題があります。
2.改善を受け入れないことは現場への軽視にも繋がり、働く方にとっては廃炉の意義すら見いだせない
整然とした福島第一原発1~4号機周りの風景です。事故直後の写真と見比べればどれだけ進んだかは感じる事が出来ます。
誰もが匙を投げた場所は、これから高線量の中での燃料の取出し、といった大きな課題を抱えながら、改善が感じられる状況を作りあげていきます。2枚目の写真では働かれる方々のご苦労の一端を伺い知る事ができます。事故直後のイメージで決めつけてしまう事は、これらを成し遂げてきた方々はどのように感じるでしょう。私達が望んだ姿を作りあげていることは事実です。知らずにいることは、私達が匙を投げてしまった物に向き合う方々にとって、軽視と受け取られてしまいます。それは仕事へのやりがいの喪失や、誇りを傷つけることに繋がっていき、やもすれば「廃炉の意義」すら見失ってしまいます。
3.原発事故そして廃炉という難しい課題を、共に生きる世代へ伝える環境整備を
原発事故から4年8ケ月が経過しました。福島第一原発事故が分からない世代は、今後増えていきます。その一方で、原発事故からの廃炉は40年と続くと言われる長い道のりです。これからの世代が、望む望まないの問題ではなく、現実引き継がれていくものです。放射性廃棄物の処理方法・管理方法も確立出来ていない中、原発事故の中心となった場所を理解不足により、次の世代が関わる道を塞ぐことは、健全と言えるでしょうか。知らず分からずのうちに大変な課題を背負わせることは、原発事故前の構図となんら変わりません。
福島第一原発の廃炉は様々な課題を抱えています。溶け落ちた燃料の取出し、高線量下の作業等は新しい技術・知見を求めている現場でもあります。廃炉に転用できる一般産業技術も求められている現在、これからを担う世代に課題を伝えることは、廃炉を進めていく上でも重要です。
学生と東京電力幹部との懇談(対話)で見えた希望
東京電力への協力を仰ぎ、原発事故による損害賠償及び除染の迅速化を担う「福島復興本社」代表の石崎芳行氏と、福島第一原発の廃炉作業を担当する「福島第一廃炉推進カンパニー」プレジデントの増田尚宏氏と、「次世代を担っていく」大学生との懇談の場を開きました。
ニュートラルな姿勢で、視察に臨んだ学生の皆さんによる鋭い質問には、目を見開かせるものがありました。
汚染水タンクを設置するため伐採された桜の木を例に、人の都合により自然を奪うことへの思いを尋ねる。放射線被ばくの問題について改めて問う姿勢。廃炉をチャンスと捉えることも必要ではないか、新しい技術・知見を試せる場という考え。そもそも論で、原発事故前からある、放射性廃棄物の管理が確立していないことへの問題提起。
多様な視点から福島第一原発の廃炉を語る、傍らでやり取りを拝聴させて頂いた筆者には、想定を越えた活発な議論が展開される姿に、福島第一原発の廃炉を「解決できない課題」と決めがちの私達は反省すべきであり、「解決していくことを共に考えていく」ことの重要性を感じました。そして原子力の是非だけを問い、目の前の課題を共に考えられないできた、これまでの福島第一原発の捉え方は、不健全であったのではないかと。
次世代を担う若者と課題に向き合う方を、同じ目線で繋いでいき、対話の先に双方が納得がいくものを創り上げていく。その先に、福島第一原発を絶望の場から希望の場に変えることも可能と思える姿を見出せたように感じます。
今回の大学生をお連れする取組では、筆者も大きな学びを得ました。それは原発事故を経験した世代の一人として「無責任」なまま、引き継がせてしまうレールしか、まだ引けていないことへの反省と、次の世代の力から見える希望です。
原発事故前と現在を比べて、「福島第一原発の廃炉と私達の暮らし」そして「放射性廃棄物をどう管理していくかといった問題」の距離感は、より遠くなったように感じます。その一つの要因にはタブー視して遠ざけ無関心になってしまっていることが挙げられます。
私達は、原発事故からたった一つ得られる教訓というものを活かさず放棄し、福島第一原発に生まれようとしている希望の芽を摘むような方向に、歩みを進めているのではないでしょうか