コロナワクチン‘特許放棄’の現実味――突き上げる途上国、沈黙する先進国
- G20首脳会合で企業課税の引き上げが合意されたことは、多くの国で利害が一致した結果である。
- これに対して、利害が一致せず、総論にとどまったテーマもあり、コロナワクチンの普及はその一つである。
- バイデン政権はワクチン普及を促すため「特許放棄」をすでに打ち出しているが、実現への道は遠い。
衆議院選挙に日本の関心が集中している間も、世界は動き続けている。
ワクチン接種の格差
10月30日にイタリアのローマでG20首脳会合が開催され、企業に対する税率を最低15%に引き上げることが合意された。これは従来、各国が法人税を引き下げる「最底辺への競争」に突っ込んでいたことから大きく転換するものだ。
冷戦終結後、世界がグローバル化し、各国間の競争が激化するなかで「市場の論理」は「国家の論理」を超越することが増えた。「企業の競争力を高める」が錦の御旗あるいは水戸黄門のインロウのようにあらゆる反対を押し切る力となり、課税率の引き下げや雇用条件の緩和など、企業にとって有利な改革がどの国でも押し進められた。
しかし、法人税の引き下げ競争は課税逃れのための企業の海外移転だけでなく、税収の減少、一般住民の税負担をもたらしやすい。今回、その参加国のGDPの合計が世界の約8割を占めるG20の場で、企業への課税を強化する方針が合意されたことは、行き過ぎたグローバル化の弊害にブレーキをかけることに、多くの国が賛同できた結果といえる。
とはいえ、G20首脳会議で合意が得られなかったテーマもある。その代表ともいえるのが、豊かな国とそうでない国の間にあるコロナワクチン接種の格差の是正だ。
総論の合意にとどまる主要国
G20首脳会合ホスト国であるイタリアのドラギ首相は、先進国では人口の70%が1回以上コロナワクチンを接種しているのに対して、貧困国ではその割合が3%に過ぎないと指摘し、この格差が「道徳的に受け入れがたいもの」と力説した。
これに対して、各国は「来年半ばまでに世界人口70%にワクチンを接種」といった総論では賛成できても、それ以上の具体的な方針で一致することは難しい。
WHO(世界保健機関)にはコロナワクチンを共同購入して貧困国に配分する仕組み(COVAX)があるが、豊かな国の善意だのみであるため、十分に機能しているとはいえない。例えば、アフリカには今年8月までに6億4000万本のワクチンが供給されることになっていたが、実際に届いたのは1億6300万本にとどまった。
そのため、アフリカ連合は「COVAXが崩壊の危機にある」と豊かな国に改善を求めているが、G20でそのための具体的な解決策は議論されず、これといった合意はなかった。
別の言い方をすれば、内向きになったG20メンバーが「ワクチン格差を是正する」という総論にとどまることに暗黙のうちに合意した、という言い方もできるだろう。
コロナワクチンはいくらするのか
貧困国にワクチンが行き渡らない一つの理由は、ワクチンの価格が総じて高いことだ。
ようやく日本でも接種が進んできたコロナワクチンは、1本いくらなのか。UNICEF(国連児童基金)によると、世界に出回っているコロナワクチンの値段は1本2〜37ドルと幅がある。
同じ会社のワクチンでも、国によって価格が異なることも珍しくない。例えばファイザー製はアメリカでは1本19.5ドルだが、ヨーロッパでは23.15ドルだ。欧米の医薬品メーカーは国外に高く売る傾向がある。
これと対照的なのが中国だ。例えばシノバック製は中国国内で1本29.75ドル相当だが、海外には割安で輸出されており、最も安いカンボジアでは1本10ドル、ブラジルでは10.3ドルである。ワクチン外交を展開する中国にとって、外国に安く供給することは重要な手段といえる。
しかし、それより安く国際的に出回っているのがインドのセーラム研究所製で、これがアフリカなどの貧困国にも1本3ドル前後で供給されている。
知的財産権は免除されるか
ただし、インド製を除くとワクチンが全体的に高価であるため、貧困国がCOVAXを通じずに直接、しかも大量に購入することは難しい。豊かな国でだけワクチン接種が進んでも、世界全体で集団免疫を上げなければ、以前のようなグローバルなヒトの往来は難しいままだ。
そのため、国際NGOや開発途上国からは、コロナワクチンの知的財産権を停止することで、特許料などで上乗せされている価格を引き下げ、同時に各地で自由にワクチンを生産できる体制を作るべきという意見があがっている。
知的財産権が価格を引きあげ、結果的に貧困層の手に医薬品が行き渡りにくい問題は、これまでにもHIVの治療薬、抗レトロウィルス剤などで、途上国において表面化していた。今年5月、インドや南アフリカはWTO(世界貿易機関)でこの問題を提起している。
これに対して、多くの知的財産権を既得権として抱える先進国は総じて消極的だ。
実際、コロナワクチンをすでに開発した国、とりわけ欧米で主流になった新技術mRNAワクチンの開発に成功した国にとって、ワクチンはいまや「ドル箱」でもある。例えば、ファイザーのコロナワクチン関連の売り上げは、今年上半期だけで113億ドルにのぼった。
バイデン政権の打ち上げ花火
もっとも、欧米でもワクチンの知的財産権の放棄に前向きな議論がないわけではない。今年5月のWTO会合の直後、アメリカのキャサリン・タイ通商代表は「知的財産権の放棄を支持する」と表明し、国内外に大きな衝撃が走った。
ところが、今回のG20でこの問題が議論されることはほとんどなかった。WTOでこの問題を提起したインドや南アフリカだけでなく、「世界最大の開発途上国」を自認し、開発途上国の味方を演じたい中国政府が賛成を表明した一方、アメリカをはじめほとんどの先進国は沈黙した。
中国包囲網を形成したいバイデン政権は、「知的財産権の放棄を支持」でコロナワクチンの問題で途上国に配慮しているポーズを示したかったのかもしれない。また、中国を念頭に連携を深めるインドが「特許放棄」の旗頭になっている以上、全く無視することも難しかったのだろう。
しかし、知的財産権を放棄した場合、それが中国やロシアにとって、いわば棚ぼたになることも十分考えられる。それだけでなく、この問題でファイザーやジョンソン・アンド・ジョンソンといった大手医薬品メーカーが政権批判キャンペーンをネット上で展開するなど、強い逆風にさらされている。
そのため、バイデン政権は打ち上げ花火を上げるだけにとどまったといえるが、その打ち上げ花火が不発であるなら、かえって信頼を損なう。G20首脳会合で、企業課税の強化でリーダーシップを発揮して国際的な評価をあげたバイデンだったが、この点においてポイントは伸びなかったといえるだろう。