Yahoo!ニュース

高校野球への思いを詩に込め、曲に込め…大阪桐蔭吹奏楽部出身のシンガーソングライター

上原伸一ノンフィクションライター
高校野球の心を歌うシンガーソングライターのかぎたちゃこさん(本人提供)

野球の強豪とは知らずに入学

沖縄を皮切りに「夏の甲子園」をかけた地方大会が始まった。3年生にとっては「最後の夏」である。目標としていた甲子園にたどり着く選手がいる一方で、ほとんどの選手は無名の球児のまま、高校野球を終える。

レギュラーとして躍動する選手もいれば、1度もメンバー入りすることなく、「引退」する選手もいる。選手の数だけ「カタチ」があるのが高校野球だ。

それでも、実質2年数か月は、どの高校球児にとっても「濃い時間」であり、「かけがえのない時間」であるのは変わりない。そのことに気が付くのは少し先かもしれないが…。

そんな高校野球への思いを詩に込め、曲に込め、シンガーソングライターとして活動しているのが、「かぎたちゃこ」さんだ(以下、ちゃこさん)。

ちゃこさんは、大阪桐蔭高の吹奏楽部のOG。大阪桐蔭といえば、春4回、夏5回の全国制覇を誇る野球部が名高いが、吹奏楽部もよく知られている。高校野球ファンにとっては、「You areスラッガー」や「ウィリアムテル序曲」など、数々の応援曲をアルプス席から届けてくれるお馴染みな存在であり、その一方で、高い演奏力で毎年、様々なコンクールやコンテストで優秀な成績をおさめている。

そんな吹奏楽部の一員になりたいと、大阪桐蔭の門を叩いたが、入学した2007年当時はまだ、学校が吹奏楽部に力を入れ始めた頃だったという。

「もともと吹奏楽部は、野球部の応援のために発足したんです。1期生は人数が少なかったんですが、梅田隆司先生が指導するようになった2期生以降から部員も増えました(ちゃこさんは3期生)」

入部の目的はあくまで演奏をしたかったから。中学でも吹奏楽部で、打楽器を担当していた。野球や、甲子園応援には関心はなかった。

「2学年上には中田翔さん(現・読売ジャイアンツ)、1学年上には浅村栄斗さん(現・東北楽天ゴールデンイーグルス)がいましたが、入学するまではそういうことはもちろん、野球が強い学校であるのも知りませんでした」

母校・大阪桐蔭のデザインをモチーフにしたオリジナルユニフォーム姿で取材に対応してくれた(筆者撮影)
母校・大阪桐蔭のデザインをモチーフにしたオリジナルユニフォーム姿で取材に対応してくれた(筆者撮影)

そんなちゃこさんに“甲子園応援デビュー”が訪れるのは早かった。入学直前の中学3年の春休み、野球部がセンバツに出場し、応援演奏の手伝いをすることになったのだ。初めての甲子園球場。だが、アルプス席から見える景色に感動を覚える余裕もなかった。

「ただただ疲れました(苦笑)楽譜を覚えて、担当のシンバルを叩くのが精一杯で…それに、攻撃時間が長いイニングもありまして。そういう時はひたすら筋トレをしているようでしたね」

全国制覇の瞬間、あっ頂点や

再び甲子園を訪れたのは2年生の夏だ(2008年)。この夏、大阪桐蔭は17年ぶり2回目の優勝を果たす。

「優勝の瞬間は、あっ頂点や、と思いましたね。この光景を見せてくれた野球部の先輩に感謝しかなかったです」

高校野球と、野球応援に対する思いも、2年夏の甲子園を境に変わっていく。6試合の応援演奏を経験したことで、相手校の応援を楽しむ余裕も出てきたという。

もっとも甲子園が終われば、吹奏楽部には自分たちの大会が待っていた。余韻に浸る間もなく、すぐに練習が再開された。野外である応援席での演奏では、どうしても音が荒れてしまう。その調整もしなければならなかった。経験者でなければわからない現実である。

3年時は春、夏とも甲子園出場がかなわず、アルプス席での応援はできなかった。野球部はひのき舞台に立てなかったが、ちゃこさんは「マーチング」(吹奏楽部は動きながら演奏するマーチングと座奏とに分かれる)のリーダーとして活躍。全日本マーチングコンテストで金賞に輝いた。

大阪桐蔭吹奏楽部に所属していた3年時は全日本マーチングコンテストで「金賞」に輝く(本人提供)
大阪桐蔭吹奏楽部に所属していた3年時は全日本マーチングコンテストで「金賞」に輝く(本人提供)

吹奏楽部の練習は厳しかったという。「休みはなかったです。マーチングは体力勝負なので毎日、生駒山の上にある練習場まで、40分か50分かけて登るんです。文化部なので走りはしませんでしたが、登山でしたね(笑)。山登りでかなり鍛えられたので、真夏の甲子園で演奏しても体はきつくなかったです」。

ちゃこさんにはずっと、心に引っ掛かっていたことがあった。もしかしたら、応援演奏が選手の邪魔をしているんじゃないか、と。

「甲子園では選手から力をもらってましたが、演奏が選手の力になっている実感はなかったんです。野球部の子とはクラスも違って、在学中は1度も話す機会がなかったのもあり、本当のところ、どうなんかな、と思ってましたね」

大阪桐蔭吹奏楽部ではマーチングのリーダーとして活躍した(写真中央。本人提供)
大阪桐蔭吹奏楽部ではマーチングのリーダーとして活躍した(写真中央。本人提供)

分岐点となった2019年夏の甲子園

高校卒業後はしばらく、高校野球との縁は薄くなっていた。大学ではアコースティックギターのサークルに入り、ユニットを組んで活動していた。新しい世界が「居場所」になっていたのだ。それでも母校が夏の甲子園に出場すると、恩師の梅田先生に会うために、実家から40分ほどの甲子園球場まで足を運んだ。「後輩たちのサウンドを聞きたい、というのもありました」。

卒業後も母校が甲子園に出場するとアルプス応援席を訪れた。写真中央は吹奏楽部の恩師である梅田隆司先生、右端がちゃこさん(本人提供)
卒業後も母校が甲子園に出場するとアルプス応援席を訪れた。写真中央は吹奏楽部の恩師である梅田隆司先生、右端がちゃこさん(本人提供)

高校野球、甲子園の魅力を再認識したのは、2014年夏。母校・大阪桐蔭は2年ぶり4回目の全国制覇を果たす。この年から社会人になり、東京で働いていたが、夏季休暇で帰阪した際、何度も甲子園を訪れた。

「素直に感動しました。高校野球って、甲子園って、すごいな、と。応援席で演奏している後輩たちも眩しかったですね。5年前、自分があそこにいたのが信じられなかったです」

2014年夏の甲子園での大阪桐蔭応援席
2014年夏の甲子園での大阪桐蔭応援席写真:岡沢克郎/アフロ

転機が訪れたのは翌年だ。もともと胸に秘めていたシンガーソングライターになる、という思いを行動に移す。勤めていた会社を退職し、1年間、タレント養成所に通ったのち、シンガーソングライターとして活動を始めた。

プロの世界は厳しい。シンガーソングライターになったものの、思うようにはいかない日々が続いた。ちゃこさんは「伸び悩んでましたね。方向性が見出せずにいました」と振り返る。

そのまま時が経過していたなか、分岐点となったのが、2019年夏の甲子園だ。決勝戦が雨で順延になり、ふと「どちらが勝っても校歌を歌えるようにしよう」と思い立つ。「耳コピ」でメロディを覚え、ギターを弾き出した。そして、歌えるようになると、履正社高と星稜高の校歌の弾き語りを自身のツイッターに投稿。それが反響を得た。

高校野球が好きな人にいろいろな学校の校歌を届けてみよう―。ちゃこさんは、出演していたラジオ番組でリクエストを募りながら、校歌を歌い始めた。以来、その数は45まで積み上げられている(2023年6月23日現在)。

「歌詞が長い学校もあれば、短い学校もあるし、長い歴史がある校歌もあれば、新しく作られた校歌もありと、校歌は本当にいろいろあって、歌っていて楽しいです。校歌に込められた思いも感じながら歌ってます。まずは47都道府県全ての学校の校歌を歌いたい。それが当面の目標です」

※校歌弾き語りでは池田高が人気だという

ちなみに、母校の校歌はまだ歌っていない。「しかるべき機会が訪れるまでは、大切にしまっておきたいので」。

楽曲が次々に高校野球中継で採用される

高校野球に方向性を定めると、翌年の2020年、「運」と「縁」がやって来る。この年は新型コロナウィルスの影響で、春のセンバツに続き、夏の甲子園も中止になった。そんななか、(神奈川の)代替大会・独自大会を実現させるための活動が行われ、その公式テーマソングとして書き下ろした「花道」という楽曲を提供することになったのだ。

さらに、代替大会・独自大会の開催が決まると、ケーブルテレビのジェイコム湘南・神奈川からオファーを受け、「花道」が「高校野球神奈川県大会中継番組EDソング」として採用された。

「「花道」は野球部だけでなく、運動部や文化部問わず、大会などの「場」が失われた、部活をしている全ての3年生に向けて作りました。私自身は充実した3年間で、甲子園で応援演奏もできたし、コンクールで金賞も獲れた。なかなか失われた人たちの気持ちがわからず、苦労したところもありましたが、できるだけ3年生の気持ちに寄り添ってみよう、と。その一心で作りました」

翌2021年は、春、夏とも「甲子園」は行われたが、夏の甲子園大会が無観客で行われるなど、各地で観客や応援が制限された。見に行きたくても見に行けない。見てもらいたい人に見てもらえない。ちゃこさんは、そんな辛さを味わっている人たちのために、「歓声はいつも側に」を制作する。

そこには行けないが応援している、スタンドにはいなくても観客の数は変わらない、という想いが詰まった「歓声はいつも側に」は、2年連続で「高校野球神奈川県大会中継番組EDソング」に。同秋と、翌2022年春(関東大会も含む)も使われた。

離れてみてわかる濃い日々の尊さ

大阪桐蔭に入学した頃は全くわからなかった高校野球の魅力。2年夏の全国制覇の喜びを吹奏楽部の部員として共有し、実感はしたが、本当にわかるようになったのは社会人になってからだという。

「高校野球は2年半という限られた期間に濃い日々が凝縮されています。それは野球部員だけでなく、部活を一生懸命にやっていた人はみな、同じような経験をしています。吹奏楽部だった私もそうだと思います。ただ、その時は真っ只中にいるので、日々の尊さに気付けません。離れてみてわかるんです。いかに高校時代が濃かったかと」

ちゃこさんは続ける。

「多くの人が高校野球に惹かれるのは、自分たちも経験した濃い日々を思い出すからかもしれません。それは歳を重ねるごとに、心の中で色濃くなっていくような気がします」

ちゃこさんは目下、今夏の「高校野球神奈川県大会中継番組EDソング」の制作に取り組んでいる。

ノンフィクションライター

Shinichi Uehara/1962年東京生まれ。外資系スポーツメーカーに8年間在籍後、PR代理店を経て、2001年からフリーランスのライターになる。これまで活動のメインとする野球では、アマチュア野球のカテゴリーを幅広く取材。現在はベースボール・マガジン社の「週刊ベースボール」、「大学野球」、「高校野球マガジン」などの専門誌の他、Webメディアでは朝日新聞「4years.」、「NumberWeb」、「スポーツナビ」、「現代ビジネス」などに寄稿している。

上原伸一の最近の記事