クリスマスを最高に楽しむ方法:クリぼっちを超えて
■クリぼっち:クリスマスなんて...
調査によれば、日本人の3分の1が、特にクリスマスには興味がないといいます。また20代から30代の男女に「クリスマスを誰と過ごすか」とアンケートを行ったところ、1人で過ごす人が半数以上でした。
この「クリぼっち」(クリスマス一人ぼっち)は、この数年少しずつ増えていましたが、今年初めて多数派になったようです。そうなると、ひとりぼっちのクリスマスは、もはや普通のことです(「クリぼっち」は幸せか:今や常識?若者が一人で過ごすクリスマス)。
様々な業界も、クリぼっち向けの商品をサービスを提供し、一人でも寂しくない社会状況が作られつつあるでしょう(約52%が“クリぼっち” 商戦に広がりも 日本テレビ系(NNN) 12/23)。
確かに、無理して誰かと一緒にいる必要はありません。クリスマスだからと言って友人たちと派手なパーティーをするのも、流行らないかもしれません。
一人でも十分に充実した生活を送り、楽しいクリスマスを迎えている人もいるでしょう。ただ、最高にクリスマスを楽しむ方法は、別にあります。
■クリスマスを最高に楽しんだ人
その人はロンドンに住んでました。その男はとても強欲でした。犬も逃げていくような守銭奴です。自分以外の人間がどんな悲しんでいようが苦しんでいようが、彼は無関心。
その年のクリスマスも、彼は人々に愛を伝えることもなく、人々からの愛を受けることもなく、クリスマスなど無視をして孤独に金勘定をしていました。
それは、ディケンズの名作「クリスマス・キャロル」の主人公スクルージです。
クリスマスイブの晩、スクルージは不思議な光景を見ます。まず過去が見え、自分が子どものころ、まだ夢を持ってた姿が見えました。でも、深く傷ついたスクルージは、金だけに頼る人間になっていきます。
次に、スクルージは現在の世界を見ます。病気で苦しむ人。貧困の中で困り果てている人。こんなスクルージのことも、心にかけている親戚の姿も見えました。
最後に、スクルージは未来を見ます。自分が助けることができたはずの人々が、失望の中で亡くなります。そして自分も、不幸で孤独な死を迎えます。
ここで、スクルージは目が覚めます。そして、未来を変えることができることを知ります。スクルージの心に愛が戻ってきました。彼は、親戚を親身になって助け、雇っていた人に正当な報いを与え、困っている人々に寄付を始めます。
そうしてスクルージは、「ロンドンで一番クリスマスの楽しみ方を知っている人」と呼ばれるようになりました。
■クリスマスの意味と私たちの幸福
クリスマスは、イエス・キリストの誕生日ではありません。イエスが何月何日に生まれたかは、誰も知りません。
ローマ帝国時代、冬至の頃に太陽神のお祭りが行われていましたが、次第に増え始めたキリスト教徒たちが、太陽を拝むのではなくて真実の神を礼拝すべきだと主張し、この時期にイエス・キリスト誕生の記念祭を開くことにしました(クリスマスはイエスキリストの「誕生日」ではありません:クリスマスの起源から)。
クリスマスは、暗闇の中の光と希望の祭りです。「クリスマスは人の心が良心だけになる」といった西洋の言葉もあります。戦争も、クリスマスの間は休んだりもしました。
人々はクリスマス休暇を楽しみ、教会に集ったり、チャリティに参加したり、親しい人々と食事を楽しみ、プレゼントの交換をしたりします。
クリスマスの楽しみは、ご馳走を食べ、プレゼントをもらう楽しみではないでしょう。むしろ、人々にご馳走し、クリスマスカードやプレゼントを贈ることこそが、クリスマスの楽しみです。
好きな人、大切な人のために、カードやプレゼントを選ぶのは、なんだかウキウキしませんか?
ポジティブ心理学の研究によれば、ありがとうやおめでとうのカードを書くと、幸福感が高まります。ボランティアされる人よりも、ボランティする人の幸福感が高まります。親切行動は、人を幸福にするのです。
さらに、関心範囲が広い人は幸福感が高まります。世界には、幸せな人も不幸な人もいます。日本でも世界でも、災害が起きています。その人々に関心を寄せ、自分にもできることをしていくことが、私たち自身の心を温かくします。
たとえクリぼっちでも、家族に電話をする。友人にメールする。ネットから寄付をする。それだけで、幸せなクリスマスになるかもしれません。いえ、それこそがクリスマスです。
クリスマスに誰かのことを思い、誰かに愛を注ぐ。それはきっと、最高に楽しいクリスマスになることでしょう。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★