「鬼滅の刃」と、大正4年12月に起きた巨大羆(ヒグマ)による大事件
鬼滅の刃、単行本全23巻を読みました。劇場版・無限列車編を見て以来、鬼滅の世界観にはまり周辺部を調べてみると、この作品にヒントを与えたであろう実際の事件に行き当たりました。もちろん作品は、フィクションとの断りがありますから、これから述べる事は私の勝手な推測にすぎません。しかしその事件が大正年間に起きたこと、そして炭治郎の父が9尺(2.7メートル)の巨大なクマと闘ったこと、また、先日発売された鬼滅の刃・外伝には「穴持たず」のクマが登場することなどから、作品のモチーフになった可能性はかなり高いと思っています。
では、その事件とは何か。それは大正4年(1915)12月9日に北海道苫前町三毛別(さんけべつ)で起きた、三毛別羆(ヒグマ)事件です。
先日の記事で、今年はクマの出没が多いこと、また近年「穴持たず」と呼ばれる冬でも冬眠(冬ごもり)しないクマが増えていることを書きました。(参照 前回記事)
クマは普通、冬になると穴の中でじっとして、メスはその穴の中で子供を産んで春を待ちます。ところが近年は温暖化の影響もあってか、冬でも里まで下りて餌を漁るクマが増えていると聞きます。またクマは、体が大きくなりすぎると適当な穴を見つけることが出来ず、「穴持たず」となって狂暴化することもあります。しかも人を恐れないので「新世代クマ」とも呼ばれています。
実際の三毛別羆事件とは何か(※凄惨な描写を含みます)
大正4年(1915)12月9日、北海道天塩(てしお)山地の山間にある苫前村で、34歳の女性と、6歳になる男の子が家にいるところを羆(ヒグマ)に襲われ惨殺されるという事件がありました。家と言っても藁ぶき小屋で、羆の襲撃を受けたら逃れる術も無かったでしょう。そしてその後、女性は山林に連れ去られ、「(骨まで)完膚なきまでに喰い尽くされた」と記録には残っています。
事件はこれで終わりません。その翌日の12月10日夜、羆は二人の通夜の席上に乱入し、6人ほど集まっていた人々を襲いました。人々が小屋の梁(はり)に上るなど避難すると羆はあきらめたのか、今度は300メートルほど離れた隣の家を目指します。隣家には、前日の羆事件を知っていて避難していた三家族10人が居合わせていました。10人の内訳は、大人の男は1人だけ、あとの9人は女性と子供でした。そこへ突如として大きな羆が現れたのですから、被害に遭った人々の恐怖はどれほどのものだったでしょう。この現場には臨月だった女性も含まれ、喰い殺されるときに「腹破らんでくれ」と言ったとも伝えられています。
その後、200人以上の軍隊が出動するなどの大騒ぎになりますが、4日後、この巨大な羆を仕留めたのは軍隊でも警察でもありませんでした。ただ一人、「熊撃ち」を生業としていた猟師が至近距離まで近づき、旧式銃で射殺したのです。その大きさを測ると、体長9尺(2.7メートル)、体重380キロにもなる巨大な羆でした。しかも、巨大すぎて穴を持たない「穴持たず」であったと言われています。
鬼滅の刃に登場する「クマ」
そこでもう一度、鬼滅の刃、および外伝に出てくる巨大なクマの情報を整理してみます。
「穴持たず」で、6人を喰い殺した人喰いクマであること。体長9尺、体重はおそらく300キロ以上であること、そして首には月の輪状の白い紋様があること。一見、ツキノワグマに見えますが、月の輪があるからといって、「ツキノワグマ」と断定することは出来ません。羆(ヒグマ)でも白い紋様を持つクマがいるからです。ツキノワグマは2メートル以上の巨体にはならないので、炭治郎の父が闘ったクマは、月の紋様を持った羆と考える方が合理的かもしれません。また外伝には、「大正時代・北の宿場」との注釈がありますので、人里離れた極寒の地の出来事だった事は確かでしょう。
三毛別事件の真相
ところで実際に起きた三毛別羆事件は、当時の記録があいまいで、現在、ネットなどで調べると死者数は5人説から9人説まであります。また、羆が射殺された後に「羆嵐(くまあらし)」と呼ばれる暴風が起きたとされています。いったい何が真実に近いのか、私なりに検証してみました。
まず死者数ですが、これは苫前町郷土資料館に残っている「苫前羆事件」に詳しく載っていました。(凄惨な描写を含みます)
これをまとめると死者数は女性2、子供4の6人だと思われます。記録によって死者数が異なるのは、苫前町教育委員会に問い合わせたところ、事件後の死亡や胎児も死者数としてカウントしているからではとのことでした。
三毛別事件当時の天候と「羆嵐」
さらに三毛別事件の起きた大正4年(1915)はどのような天候だったのか。当時三毛別に最も近い観測所である旭川で、7月の降水量が179ミリと平年の約1.5倍、11月下旬の気温は最高気温が10を超える日があるなど、平年を上回る暖かさで推移していました。木の実の成りについてはわかりませんが、受粉期の雨量が多かったことや、冬眠期の気温が当時としてはかなり暖かかったことなど、今年と類似している点もあります。(参照 前回記事)
また、事件を史実に沿って小説化した吉村昭の「羆嵐(くまあらし)」には、人喰いクマを仕留めたあとに天候が急変し、暴風雪となったと記されており、昔から「クマを仕とめた後には強い風が吹き荒れるという」という伝説通りの事が起きたと書かれています。
そこで、12月14日の天気図(上 右図)をみると、北海道の西部を低気圧が発達しながら進んでおり、旭川では雪とともに風速15m/sの強風が吹いていたことがわかります。実際には、三毛別は旭川より海岸に近く、瞬間的には風速40メートル前後の暴風雪となっていたであろうことが推測されます。
現在でも、地元では「羆嵐(くまあらし)」とか「熊風(くまかぜ)」という言葉が残っています。
三毛別事件と鬼滅の刃から学ぶこと
明治20年代後半ごろから、それまでほとんどが原生林だった北海道では、入植、開拓が進み、クマによる被害が増えつつありました。クマと人間が共存するバランスが崩れ、境界があいまいになってきていたのです。この惨劇の真因もそこにあったと言えなくもないでしょう。
苫前町では、この事件から羆(ヒグマ)の習性を学び、二度と同じようなことを起こしてはいけないと、人間とクマの関わりについて伝承されています。また、鬼滅の刃・外伝ではクマの凶暴性が表現されながらも、その命を奪い、いただくことへの敬意が丁寧に描かれています。その敬意を忘れた瞬間、私たち人間はただただ己の欲望のために命を奪う「鬼」と化すでしょう
今後、三毛別事件のような凄惨な事件が起きないためにも、そして私たちが「鬼」にならないためにも、いま一度、野生生物との共存について考えるべきときが来ているのかも知れません。
注:クマという表示について、クマと北海道の羆(ヒグマ)を使い分けました。
参考資料
「羆嵐」吉村昭著 新潮文庫
「苫前羆事件」木村盛武 苫前町郷土資料館
ヤフーニュース記事「鬼滅の刃」無限列車編の死闘は大正5年11月19日の未明か 「月齢23」からの考察
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