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元阪神・穴田真規選手 社会人日本選手権で有終のタイムリーヒット!和歌山箕島球友会

岡本育子フリーアナウンサー、フリーライター
ことし10月1日に古巣・阪神ファームとの練習試合で鳴尾浜球場を訪れた穴田選手。

 11月2日から京セラドーム大阪で開催中の『第43回社会人野球日本選手権大会』。その初日、開幕試合で和歌山箕島球友会が登場しました。都市対抗、クラブ選手権、JABAの対象大会で優勝したチームと、地区予選を勝ち抜いた計32チームが争う、都市対抗とは違って“単独チーム”の日本一を決めるものです。

 和歌山箕島球友会は9月に行われた『第42回全日本クラブ野球選手権大会』で2年ぶりの優勝を果たし、2大会ぶり5回目の本戦出場となりました。元阪神タイガースの穴田真規選手(24)自身も2度目の京セラドームです。しかも、本人が「ことし限り」と決めて臨んだシーズンの締めくくり。少しでも長く、と願わずにはいられません。

 なお、今大会出場に穴田選手も大きく貢献したクラブ選手権の模様は、こちらからご覧ください。<1回戦> <準々決勝> <準決勝> <決勝>

第43回社会人野球日本選手権

 さて、2日に行われた初戦の相手は明治安田生命でした。11時04分に始まり、あっという間に先制した和歌山箕島球友会。しかしすぐに逆転され、1点ずつ返しながらも追いつけずに終わっています。穴田選手は1回が一塁2死で中飛、4回は無死一塁で三ゴロ、6回は先頭で空振り三振、8回は2死二塁で中前タイムリーと4打数1安打1打点、盗塁1という内容です。

11月2日 1回戦(京セラ)

明治安田生命-和歌山箕島球友会

 和箕 100 100 010 = 3

 明安 041 000 00X = 5

 

◆バッテリー

【和箕】●寺岡‐和田 / 水田

【明安】三宮(4回)-○大久保(5回) / 道端‐森川(9回表)

◆本塁打 明:加藤2ラン、新城2ラン(寺岡)

◆三塁打 箕:夏見

◆二塁打 箕:夏見2、西口 明:木田

◆打撃  (打-安-点/振-球)

1]右:夏見  (5-3-0 / 0-0)

2]二中:岸田 (4-1-0 / 2-0)

3]一:岸   (3-0-0 / 2-1)

4]指:林   (4-2-1 / 1-0)

5]三:穴田  (4-1-1 / 1-0)

6]左:平井  (3-0-0 / 2-1)

7]捕:水田  (3-0-0 / 0-1)

8]遊:西口  (4-1-1 / 2-0)

9]中:森下  (1-0-0 / 1-0)

〃打:榊原  (1-0-0 / 1-0)

〃二:冨樫  (2-0-0 / 0-0)

◆投手 回 球 (安-振-球/失-自)

寺岡 2.2回 51球 (5-1-3 / 5-5)

和田 5.1回 77球 (6-2-1 / 0-0)

《試合経過》※敬称略

応援を務めてくださった和歌山県の有田市役所、有田川町役場の皆さん。
応援を務めてくださった和歌山県の有田市役所、有田川町役場の皆さん。
スタンドにも大勢の応援団。おなじみオレンジのバルーンスティックと横断幕も。
スタンドにも大勢の応援団。おなじみオレンジのバルーンスティックと横断幕も。

 先攻の和歌山箕島球友会は1回、先頭の夏見が右翼線二塁打を放ち、岸田は犠打失策で1死一、三塁となりますが、岸の三振で併殺。2死三塁に変わって、4番・林の中前タイムリーで1点先制しました!しかし、1回を三者凡退で立ち上がった先発の寺岡が2回につかまります。先頭に死球を与え、1死後に6番・加藤の2ランで逆転。続く大野の中前打などで2死二塁とし、9番・新城にまた2ラン。この回4点を奪われました。

 3回も先頭の2番・木田に二塁打と三盗を許し、次は四球だったものの一ゴロ併殺打で2死。しかし5番・竹内の左前タイムリーで1点追加され、さらに死球を与えたところで降板です。2死一、二塁で代わった和田は、7番・大野に左前打を浴びるも二塁走者の生還を平井が阻止!最少失点でとどめましたが、5対1とリードは広がっています。

大会直前に腸炎を発症しながら、寺岡投手をリリーフして投げ切った和田投手。<提供・和歌山箕島球友会>
大会直前に腸炎を発症しながら、寺岡投手をリリーフして投げ切った和田投手。<提供・和歌山箕島球友会>

 4回の箕島は先頭の林が中前打、穴田の三ゴロで走者が入れ替わり、平井の三振で穴田が二盗成功。水田は四球を選び2死一、二塁として西口が左越えのタイムリー二塁打!1点を返し5対2とするも、以降は明治安田生命2人目の大久保に対し、5回に岸が死球で出ただけ。7回までの3イニングで5三振を奪われ、無得点でした。

 一方、箕島の和田は4回が2死からの1安打のみ、5回は内野安打があったものの併殺など3人で片づけ、6回は2奪三振の三者凡退。7回は2安打と1死球で2死満塁のピンチを切り抜ける粘りのピッチング!追加点を与えず、味方の反撃を待ちます。

9回2死から三塁打を放った夏見選手!他に二塁打2本もあり、2年目の来季が楽しみです!<提供・和歌山箕島球友会>
9回2死から三塁打を放った夏見選手!他に二塁打2本もあり、2年目の来季が楽しみです!<提供・和歌山箕島球友会>

 すると8回、先頭の岸田が内野安打で出塁し、岸の三振で二盗。林は右飛で2死後となったあと穴田がカウント2-2からの5球目を中前打して、二塁から岸田が生還!これで2点差です。ついで平井がファウルで粘り12球目で四球を選んで2死一、二塁。しかし続く水田はカウント2-2からスライダーを打って三ゴロ、穴田がサードでアウトになりました。

2点差のまま試合が終了。<提供・和歌山箕島球友会>
2点差のまま試合が終了。<提供・和歌山箕島球友会>

 その裏、和田は1安打されながら0点に抑え、5対3のまま9回表の攻撃へ。簡単に2死を取られたものの、1番の夏見がセンター左への三塁打!夏見はこの日、二塁打2本と三塁打と大当たりです。2死三塁と、まだ諦めない箕島ベンチは盛り上がりましたが、続く岸田は中飛で試合終了。明治安田生命が11安打で5点、和歌山箕島球友会は8安打で3点です。

悔しさをにじませる水田選手

 試合後、約30分くらい経ってから会った選手たちは、もう普段と同じ表情でした。もちろん悔しさも、これが最後と決めた選手にとっては寂しさもあるでしょう。帰りのバスに乗るまでの時間で、限られた人数しか聞けていませんがコメントをご紹介します。

8回に1点返したあと、粘って12球目で四球を選んだ平井選手。<写真提供・和歌山箕島球友会>
8回に1点返したあと、粘って12球目で四球を選んだ平井選手。<写真提供・和歌山箕島球友会>
しかし水田選手は三ゴロで1点止まり。この表情が物語っています。<写真提供・和歌山箕島球友会>
しかし水田選手は三ゴロで1点止まり。この表情が物語っています。<写真提供・和歌山箕島球友会>

 まず、歩いてくる時から全身に悔しさがにじんでいた水田信一郎選手(29)。いきなり「あの場面…」という言葉が出てきました。8回表、1点を返してなおも2死一、二塁で三ゴロに倒れたところですね。

 「あの場面で、(そこまでの打席と)同じ配球で来るわけないのに。自分がキャッチャーだったら同じ配球はしない。なのに真っすぐ張りでいってしまった。冷静じゃなかったですね。読めるはずのところを読めなかった」。そして来たのは、二塁上で見ていた穴田選手も「コースが見えた」というスライダーでした。

 「悔しいです。ほんまに悔しい!」と自身を責める水田選手。タイブレークの延長10回にサヨナラタイムリーを放った、あのクラブ選手権決勝がよみがえったのは私だけではなかったと思います。そのおかげで、この場面があるわけですから。来年もまた勝負強い打撃と、誰よりも信頼されるリードでチームを支えてください。

同期入団の優しい先輩方

 ここからは、穴田選手と同期入団で今季限りで上がる(退団すること)を表明している選手の話をご紹介します。キャプテンとしてチームを引っ張ってきた林尚希選手(27)も「めっちゃ悔しい!勝てた試合でしたよね。だから悔しい。悔しい思いしかないです」と繰り返しました。自身は1回「打ててよかった」という先制タイムリー、4回には先頭で追加点につながる中前打を放っています。

8回、内野安打の岸田選手が盗塁を決めて2死二塁。<写真提供・和歌山箕島球友会>
8回、内野安打の岸田選手が盗塁を決めて2死二塁。<写真提供・和歌山箕島球友会>
ここまでノーヒットだった穴田選手が中前タイムリー!<写真提供・和歌山箕島球友会>
ここまでノーヒットだった穴田選手が中前タイムリー!<写真提供・和歌山箕島球友会>
岸田選手が二塁から生還して2点差に迫りました。<写真提供・和歌山箕島球友会>
岸田選手が二塁から生還して2点差に迫りました。<写真提供・和歌山箕島球友会>

 和歌山箕島球友会での4年間に「苦しいことと楽しいこと、この2年で一気に来た気がする。それがすべてですね」と、やはりキャプテンを務めた2年間が印象に残っているようです。しかも1年目はディフェンディングチャンピオンでありながらクラブ選手権で予選敗退、ことし見事に雪辱を果たしました。

 キャプテンの感想を聞いてみると「疲れたっす」と、ホッとしたような苦笑いの林選手。今後は?「仕事は続けます。仕事をしながら考えます。考える時間がなかったので、これから」

 昨年のクラブ選手権で首位打者にも輝いた平井徹選手(26)も、これが最後の試合。4年間を振り返って「野球は楽しかったです。いい仲間とやれて、本当にそれが一番。仕事で疲れていても、みんなと野球をやれるということが、頑張れる源でした」と言います。平井選手は現役を退き、新しい道へ進むとのこと。

 「大阪で4月から柔道整復師の学校に通います。接骨院で働きながら。将来、地元の大分に帰って野球に携わる仕事をするために。自分はケガが多かったので、ケガをした選手の気持ちがわかる。そういう選手の役に立てたら嬉しいですね」。ことし6月下旬に左足をケガをした時はどうなるかと思いましたが、復活してグラウンドで終われたのは何よりです。

ムード作りも“鉄壁”だった三遊間

 同じく現役を引退する副主将・西口稔基選手(26)は、4回にレフトフェンスを直撃するタイムリー二塁打!前回出場した2015年も、7対0とされた7回2死から穴田選手の右前打や2四死球で満塁となり、西口選手が左翼線へタイムリー二塁打を放って2点を返しました。その勢いで、そのあと2点差まで追い上げたのです。なので京セラドームとの相性は抜群!

自称?鉄壁の三遊間。ショート西口選手(右)とサード穴田選手。<写真提供・和歌山箕島球友会>
自称?鉄壁の三遊間。ショート西口選手(右)とサード穴田選手。<写真提供・和歌山箕島球友会>
こちらは9月の全日本クラブ野球選手権での西口選手(右)と穴田選手です。
こちらは9月の全日本クラブ野球選手権での西口選手(右)と穴田選手です。

 「きょうもフェン直、打ったりました!」。訳すると「きょうもフェンス直撃の当たりを打ってやりました」ということですね。「波が激しかったので苦しい時期もあって、そこはきつかったですけど。いい時も悪い時も両方を味わった4年間でした。去年、クラブ選手権の予選で負けたのは本当に悔しかった。だから、ことし(日本選手権に)出られてよかったです」

 進路はもう決まっていて「スポーツ用品メーカーに入ります」と西口選手。野球に関わる?「そうですね。営業になったら、また頑張っている選手の力に。道具を提供して、その選手が活躍してくれたら嬉しい」と笑顔でした。もしかすると、また現場で会えるかも。楽しみにしています。

 もうひとつ、穴田選手について聞いてみると「ムードメーカーです。一緒に“ちょけて”いました。練習中から盛り上げて、みんな付いてきてくれて、本当にいい雰囲気だった。それに、ずっと穴田がサードで僕がショートだったので『鉄壁の三遊間』ですね」という答え。鉄壁、ですか?「はい。2人でいつも言っています!」。なるほど。

最後に1本、しかもタイムリー!

 最後は穴田真規選手(24)です。これが最後の試合、最後の打席という気持ちはあったかと聞いたら「最後というのは、あんまり思わんかった。それどころじゃなくて、チャンスやったし点を取らなあかん!と思って」と言います。それで打った8回の中前打。「最後に1本出てよかった。ほんまよかった~。しかもタイムリー!」

 9月のクラブ選手権では、とても印象に残る仕事をした穴田選手ですが「クラブ選手権が終わってから、メチャクチャ調子悪くなってタイミングも合わなくて…」と、なかなか思うようにはいかなかったようです。だからこそ「1本打ててよかった!」ってことでしょうね。

8回の攻撃が終わってベンチへ戻ってきた穴田選手。後輩に向ける表情が、この1年でとても大人びた気がします。<写真提供・和歌山箕島球友会>
8回の攻撃が終わってベンチへ戻ってきた穴田選手。後輩に向ける表情が、この1年でとても大人びた気がします。<写真提供・和歌山箕島球友会>

 ことしでチームは5回目の日本選手権ですが、和歌山箕島球友会は5回とも1回戦止まり。つまりまだ一度も勝っていません。穴田選手は「初めてのチームになろうなって、みんなで試合前にも言っていたんですよ。勝てる試合やった。勝てたと思う。悔しいなあ」と繰り返しました。

 箕島で過ごした4年間で思い出に残っているのは?「原井さんとの練習」。原井和也ヘッドコーチの名前が出てくるのは、いつものことです。「最後のミーティングで原井さん、話をしなかったんですよ。泣くからやで、絶対」。同じプロ経験者である穴田選手をいつも気にかけ、鍛えてこられた原井コーチだけに、それはあるかも…と思っちゃいました。真相は不明ですけど。

 穴田選手の最後のユニホーム姿を見ようと大勢の方々が来られていて、試合当日はここまでしか聞けなかったため、後日また電話で追加取材しています。改めて、4年間の思い出をどうぞ。「同期入団の、いい先輩たちと一緒にやれたこと。2年目からメッチャ仲良くなったんですよ」。クラブ選手権でも、同期そろって記念撮影をしていましたね。

「みんながおるから楽しかった」

 それと前にも言っていたんですけど、ことしの夏に平井選手のお宅でご飯を食べた時の話が今も印象に残っています。それが「まだこのメンバーで野球をやりたいな。一日でも長く、このチームでやりたいな」という言葉。その通り、クラブ選手権で優勝して今回の日本選手権も出場でき「最高の締めくくりでした」と穴田選手。

後列左から中村さん、伊藤さん、穴田選手、秋元さん。前列左から浅尾さん、寺岡投手、林さん。穴田選手と寺岡選手の中学(シニア)時代のチームメイトです。
後列左から中村さん、伊藤さん、穴田選手、秋元さん。前列左から浅尾さん、寺岡投手、林さん。穴田選手と寺岡選手の中学(シニア)時代のチームメイトです。

 昨年はチームとしても、自分自身も悔しいことが多かったと思いますが「ことし1年は楽しかった!ほんまによかった」そうです。「毎日、楽しかったですよ。練習も」。え、練習も?「俺、やる子やで。嫌いやないで、練習」。そうなのね、失礼しました。「みんながおるから楽しかった。いいチームやった。しんどい時も、練習に行ったら行ったで楽しかった。みんながおるから」

 一番記憶にあるのは、どの試合?「県警戦の3安打!」。ことしのクラブ選手権の西近畿予選で対戦した兵庫県警察硬式野球部県警桃太郎との試合で、穴田選手は3回に右前タイムリー、4回にレフトへの2点タイムリー二塁打、7回にも中前打を放ち、4打数3安打2打点と活躍して5対2で勝っています。「去年の借りを返そうと気合い入りまくっていたんですよ。あれはメッチャ嬉しかった!タイムリー2本やったから」

穴田選手と同級生の岸選手(右)は来年、キャプテンに就任します!冨樫選手(右)も次は2年目、頑張ってください。
穴田選手と同級生の岸選手(右)は来年、キャプテンに就任します!冨樫選手(右)も次は2年目、頑張ってください。

 昨年のクラブ選手権、和歌山箕島球友会は前年優勝チームのため1次予選を免除され、西近畿予選からの出場でした。ところがその初戦で県警桃太郎(当時の名称)に12対6というスコアで大敗。本来ならここで終わりなんですが、やはり前年に箕島が優勝したため西近畿からは2チームが本戦に進めます。というわけで翌日の敗者復活へ回り1回戦は突破したものの、決勝でまた県警桃太郎と顔を合わせ…しかも10対7で負けてしまい、チャンピオンなのに予選敗退という屈辱を味わったわけです。

 同じ相手に2度負けたこともあり「あれはメッチャ悔しかった!」と言っていた穴田選手。見事にリベンジを果たしましたね。ことしのクラブ選手権本戦での活躍ではなく、これが一番覚えている試合だというのもわかるような気がします。

目の前で見た中谷選手の20号

 もうやりきった?「はい」。本当に辞めるの?「そうですね」。と本人は言いますが、まだ24歳。もしあらゆる条件が整えば…と少なからず期待を抱いてしまうのは、こちらの勝手な思いでしょうか。未練はないかと尋ねたら「心残りは都市対抗かな」という答えでした。都市対抗の本戦には届かないで終わってしまったんですもんね。

 「あとは…カープに入って、あの応援をしてもらいたかった」

 カープ?カープって広島?「この前、甲子園で見たんですよ。あの応援はすごいなあと思って。俺もあれで応援してもらいたかった」と。実は、ことし9月18日の広島戦を見に行ったそうです。同い年で同期入団だった阪神・中谷将大選手とは「俺らラブラブやから」というくらい仲良しで、この日は彼の招待だったとか。しかも中谷選手が目の前で20号を打って「鳥肌がたった」と言っていました。なるほど広島に優勝が決まった試合ですもんね、すごかったでしょう。でも、それが心残りって(笑)。

「中谷の番号やから」と選んだ60番も見納めだったんですね。<写真提供・和歌山箕島球友会>
「中谷の番号やから」と選んだ60番も見納めだったんですね。<写真提供・和歌山箕島球友会>

 試合後、一緒に食事をして辞めることを告げたそうです。中谷選手は何と?「意外とあっさりしてるねって言われました。その前は『いつまでやるねん』とか言うてたのに。あれ、絶対に寂しがってるで」。いつまでやるねんって言葉の裏では、ずっと続けてほしかったんだと思いますよ、中谷選手は。寂しがっているのも当然でしょう。他にも若い番号がある中、わざわざ自分と同じ『60』の背番号をつけてくれた親友だから…。

 

 今月いっぱいはチームの練習に参加しますが、退団するメンバーは練習の補助に回るそうです。そして来年1月20日まで今の仕事を続け、以降はまだ決まっていません。いろいろと話を聞いているみたいですね。「就活、頑張るわ!」と元気な声でした。

     <掲載写真で提供者名がないものは筆者撮影>     

フリーアナウンサー、フリーライター

兵庫県加古川市出身。MBSラジオのプロ野球ナイター中継や『太田幸司のスポーツナウ』など、スポーツ番組にレギュラー出演したことが縁で阪神タイガースと関わって約40年。GAORAのウエスタンリーグ中継では実況にも挑戦。それからタイガースのファームを取材するようになり、はや30年が経ちました。2005年からスポニチのウェブサイトで連載していた『岡本育子の小虎日記』を新装開店。「ファームの母」と言われて数十年、母ではもう厚かましい年齢になってしまいましたが…1軍で活躍する選手の“小虎時代”や、これから1軍を目指す若虎、さらには退団後の元小虎たちの近況などもお伝えします。まだまだ母のつもりで!

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