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TPPで「国益」を争点にする政治家のアタマのなかはどうなっているのだろうか?

山田順作家、ジャーナリスト
大筋合意のとき安倍首相は「国家100年の計」と述べた(写真:ロイター/アフロ)

■「国益」をTPPの争点にする見当違い

TPP国会が始まった。安倍総理は、「TPPをわが国の成長戦略の切り札としていく」(5日の衆議院本会議)と述べ、野党側はこれに反対していく姿勢を鮮明にした。ただ、どちらの側も「国益になるかどうか」を争点にしそうなので、大丈夫なのかと言いたくなる。

なぜなら、現在のグローバル経済において、どの国も「国益」など得られないからだ。アメリカでさえそうだから、議会は合意文書の批准に反対し、大統領候補たちもみな反対にまわった。関税障壁を完全に取り払い、貿易や資本の自由化を進めればどうなるか? 進めれば進めるほど、どの国の政府も利益(税収)が上がらなくなり、国家主権が縮小していくだけだ。

こうした体制から利益を得られるのは、グローバルに展開する企業(グローバルビジネス)だけである。すでにグローバルビジネスは国境を越えて展開し、ネットの進展で拡大するデジタルエコノミーを国家はコントロールできなくなっている。

■「賃上げ」「内部留保」にこだわる大企業

どの国でも政治家やメディアは、「国益、国益」と言うが、そんなことでグローバルビジネスは行動していない。それは、政府がいくら「給料を上げろ」「内部留保を吐き出せ」と言っても、それに従う日本企業がほぼないことを見れば明らかだ。なぜなら、日本企業といっても、いまや大企業はみなグローバルビジネスだからだ。

日本の大企業は、去年は大幅に業績をアップさせた。しかし、これは円安という為替差益によるもであり、日本の大企業の国際競争力が増したわけではない。たとえばトヨタは、2013年3月期から2015年3月期までの2年間で営業利益は1兆4300億円増加したが、そのうちの1兆1800億円が円安によるもので、実際に販売で儲けた利益は2500億円しかない。

だから、トヨタにかぎらず大企業の幹部たちの本音は、「賃上げをするとしてもそれは政府とのお付き合いの範囲でだけ。給料アップに応じていたら、国際競争に負けてしまう」である。

したがって、グローバル展開する大企業ほど、内部留保を海外M&Aに向けている。

半導体、液晶、家電、スマホなどで海外勢に次々に敗戦を喫した日本企業にとって、失われた「技術と市場」を取り戻すには、これしか方法がなくなっている。実際、昨年、日本企業が海外M&Aに使った額は史上最高額に達した。

■日本の従業員だけの給料を上げるのは理に沿わない

一般国民は、「会社が儲かっているなら給料は上がる」と当たり前のように思っている。しかし、これは当たり前ではない。単純に考えてもわかることだ。

たとえば、中国、東南アジア、アメリカ、欧州などで上げた利益を、なぜ日本国内の従業員だけに還元しなければならないのか? 大企業は、国内のみならず、世界中で従業員を雇っているのである。それなのに、中国やアメリカで上げた利益を日本の従業員だけに還元できるだろうか?

日本の従業員の給料を上げるなら、中国でもアメリカでも給料を上げなければならない。そうしなければ、植民地経営と同じで、自国のために他国から搾取していることになってしまう。これではグローバル経営は成り立たない。

しかも、日本の市場は人口減によって日々縮小している。自動車産業を例にとれば、国内の自動車販売数は年々減っている。利益も減っている。それなのに、日本の従業員だけ給料を上げることが可能だろうか?

■主な大企業は海外売上で成り立っている

先日、台湾の世界最大手EMSであるホンハイがシャープを買収した。このことをメディアは大きく取り上げ、「日の丸企業がついに外国企業の手に落ちた」というような見方で報道した。しかし、「日の丸企業」などというもが、そもそもいまあると言えるだろうか?

日本の国内市場だけに依存し、円だけで会社の財務を成り立たせているような会社は、大企業のなかにはもうほとんどない。

主な大企業の海外売上高比率を見ると、TDK、ヤマハ、村田製作所などが9割を超えており、8割以上にも、ユニデン、シマノ、ニコン、ホンダ、日揮、ミネベア、船井電機、キャノン、ブリジストン、日産自動車など有力企業がずらっと並んでいる。これがはたして「日の丸企業」だろうか?

■そもそも「日の丸企業」などあるのか?

かつて「会社は誰もものか」という議論があった。その答は、どう考えても株主である。とすると、すでに多くの日本企業の株を、海外勢が持っている。日本企業の優良とされるところは、みな、外国人持ち株比率が高い。

外国人の持ち株比率の高い主な企業を順に見ると、ネクソン(91.8%)、中外製薬(75.4%)、日産自動車(73.3%)、オリックス(64.0%)、HOYA(61.4%)、ファナック(52.3%)、三井不動産(50.3%)となっていて、5割以下でも、ソフトバンク(46.0%)、セブン&アイ・ホールディングス(34.9%)、ファーストリテイリング(24.8%)など、有力企業が並んでいる。

これらを「日の丸企業」などと言えるだろうか?

世界中の企業が、いまや利益を追求するための最適な方法を、国境を超えて行っている。日本に存在する企業だからといって、なぜ、自国に利益を還元しなければならないのだろうか?

■「ISDS条項」と「ラチェット規定」の意味

現在、世界各国で行なわれているFTAや EPA、そしてTPPのような広域にわたる経済提携協定は、こうしたグローバルビジネスの活動をより自由にして、統一ルールで行おうというものだ。だから、TPPには「ISDS条項」がある。これは、企業が政府相手に訴訟できるのだから、国家主権を超えている。国益より企業益が優先することを認めるというのだから、国内法は大きな制約を受ける

さらに「ラチェット規定」もある。これは、条約締結国がいったん市場を開放したら、その後、規制を強化することは許されないというもの。つまり、自由化したら国内事情がどうであれ、もう後退できないわけで、国内法に縛りをかけている。

このようなことから、先日、来日して政府の会議に招かれたジョセフ・スティグリッツ教授は、「TPPは多国籍企業のロビイストが書いたもの」という見方を示し、「アメリカ議会では批准されないだろう」と述べ、「日本も批准を見送るべきだ」とまで言った。しかし、なぜかこの発言を大手メディアは無視した。

■アメリカ議会から「悪質」と告発されたアップル

昨年、TPPを考えるうえで、重要な出来事が起こっている。それは、アメリカ議会がアップルの「税金逃れ」を告発したことだ。アップルは カリフォルニア州に本社を置きながら、アイルランドに3つの子会社を持ち、そこに海外販売で得た利益を集中させていた。そして、その利益をロイヤリティ支払いによってオランダを介してタックスヘイブンであるバミューダに流していた。これは「ダブルアイリッシュ・ウイズ・ダッチサンドイッチ」と呼ばれる“節税スキーム”で、これにより、アップルは実質2%の税金しか払っていなかった。

アメリカの連邦法人税率は35%だから、議会はこれを「悪質」として追及した。昨年5月、上院小委員会はアップルからのヒアリングを行った。アメリカでは会社の設立地がどこにあるかによって課税する。しかし、アイルランドでは会社をコントロールする拠点がどこにあるかによって課税する。この課税原則の違いを巧妙に利用すると、アメリカからもアイルランドからも課税されないことが可能になる。

もちろん、この節税スキームはアップルだけが行っていたわけではない。グーグルやアマゾンなどのIT企業はもとより、スターバックスのような企業まで、これまで堂々と行ってきた。

■「税制が変わらないかぎり国内に戻さない」とアップルCEO

昨年暮れの12月20日、アップルのティム・クックCEOはCBSの番組「60 Minutes」に出演した。その席で、アップルに関するさまざまな質問に答えたが、そのなかでも圧巻だったのが、議会で告発された「税金逃れ」に対する答えだった。

司会者のチャーリー・ローズが、アップルはアメリカ以外の国で得た740億ドルの売上に対する税金を支払っていないことを追及すると、クック氏はこう言ったのである。

「(上院の告発は)まったくの政治的なタワゴト。真実ではありません。アップルは課された税金を全額支払っています」

さらに、アップルがアメリカ企業のなかで最大の海外資金を保有していることを指摘されると、アメリカの税制が変わらないかぎりそれをアメリカ国内に戻さないと述べたのである。

「チャーリー、それは税法のせいです。現在の税法は産業時代のためのものであって、デジタル時代のものではないのです」「時代遅れだし、アメリカにとってひどいものです。ずっと前に正すべきだったのに、後手に回っているのです」

これが、グローバルビジネスの考え方である。この点では、アメリカ企業も日本企業も、欧州企業、中国企業も変わらない。

■日本企業もアメリカ企業と同じくタックスヘイブンで節税

現在、グローバルビジネスの利益は、その多くがタックスヘイブンに積み上げられ、企業の本拠地がある国には入ってこない。アメリカのトップ企業の8割以上がタックスヘイブンに何社も子会社を所有している。

そのトップはバンク・オブ・アメリカで、子会社の数は300を超える。2位のモルガンスタンレー、3位のファイザーですら200社ほどの子会社を持っている。アメリカのトップ企業100社がタックスヘイブンに保有しているマネーの総量は1.2兆ドルを超えている。

このようなタックスヘイブンに関する情報は、日本の大手メディアはほとんど報道しない。日本のメディアは一般国民の味方のように振舞っているが、実際は、広告主である大企業に不利なことはほとんど書かない。

じつは、日本企業はアメリカ企業に次いで、約6000億ドルをタックスヘイブンに保有している。もちろん、これは正確な数字ではないが、各種のデータや欧米の報道を見るとほぼ間違いない。

東証に上場している企業の上位100社のうちの8割がアメリカ同様にタックスヘイブンに子会社を持っており、その数のトップ5は、みずほフィイナンシャルグループ45社、ソニー34社、三井住友フィナンシャルグループ27社、三井物産27社、三菱商事24社となっている。とくに三井住友フィナンシャルグループはケイマン諸島だけで18の子会社を持っている。

■ヒトは国内にとどまり政治は国境を超えられない

このような構造になっているグローバル経済のなかで、なぜ、「国益」などという機能しない概念を持ち出し、政治家たちはTPPを議論しようとしているのだろうか?

「アメリカの言いなりでないか?」と言い出すにいたっては、なにも理解していないとしか言いようがない。また、今国会での批准を見送ったとしても、問題は解決されない。

国内のGDPを増やし、経済成長すれば、国民が豊かになれるという時代は終わったのである。「TPPをわが国の成長戦略の切り札としていく」という安倍総理も、TPP反対を叫ぶ野党側の追及も、ただの“絵空事”にしか思えないのはこのためだ。

ヒト、モノ、カネが国境を超えて動くのがグローバル経済である。しかし、モノ、カネは自由でも、ヒトに関してはそこまで自由ではない。国内に留まる人間のほうが圧倒的に多い。その留まる人間の投票によって国内政治は行われ、政治は国境を超えられない。

かといって、アメリカを中心とするグローバルビジネスの拡大をこのままにしていいのだろうか? しかし、日本政府には、日本のグローバルビジネスの要求をまとめ、グローバルルールをつくろうとする考えはまったくないようだ。

とすれば、いずれTPPは発効し、アメリカと欧州との間のTTIPも発効されるはずだから、そのなかで個人としてどう生きていくのか考えるしかない。もはや国は、国民のためには動かない。

作家、ジャーナリスト

1952年横浜生まれ。1976年光文社入社。2002年『光文社 ペーパーバックス』を創刊し編集長。2010年からフリーランス。作家、ジャーナリストとして、主に国際政治・経済で、取材・執筆活動をしながら、出版プロデュースも手掛ける。主な著書は『出版大崩壊』『資産フライト』(ともに文春新書)『中国の夢は100年たっても実現しない』(PHP)『日本が2度勝っていた大東亜・太平洋戦争』(ヒカルランド)『日本人はなぜ世界での存在感を失っているのか』(ソフトバンク新書)『地方創生の罠』(青春新書)『永久属国論』(さくら舎)『コロナ敗戦後の世界』(MdN新書)。最新刊は『地球温暖化敗戦』(ベストブック )。

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