「日常系グルメ作品」はいまなお人気拡大中――『孤独のグルメ』『深夜食堂』『ワカコ酒』など
『孤独のグルメ』、18年ぶりの単行本
世の中では、たまにゆっくりと静かに浸透していく作品がある。1997年に出版された久住昌之原作・谷口ジロー作画の『孤独のグルメ』(扶桑社)は、まさにそういうタイプのマンガだ。
その内容はとてもシンプルだ。スーツを着た中年男性・井之頭五郎が、出先で見つけたお店で食事をするだけ。しかもそこは高級料理店などではなく、定食屋やラーメン屋など、どこにでもあるような店ばかりだ。主人公はひとりそこでモグモグハフハフ食事をとる。オチもとくにない、1話完結の短い物語である。
97年の刊行後、2000年の文庫化を経て、『孤独のグルメ』はじわじわと売れ続けた。元来マンガファンの間で評価が高かったこともあり、2009年から不定期(半年に一回ほどのペース)で『週刊SPA!』誌上で掲載が再開された。
そんな地味な作品が大きく認知を広げたのは、2012年1月のテレビ東京でのドラマ化がきっかけだ。松重豊が主人公を演じたこの作品は、深夜枠なのもあり高視聴率には至らなかったが、じわじわと人気を広げていった。その反響を受けて半年後にはシーズン2が放送され、2013、2014年にも続編が放送された。今年も10月2日からシーズン5が放送される予定だ。今作では、五郎が海外に赴くエピソードもあるという。
そして先日、不定期で掲載されていたマンガが一冊の単行本にまとまった。足かけ6年にわたって描かれた13話を収録した『孤独のグルメ』2巻が刊行されたのである。18年のインターバルを開けても、相変わらず五郎の食欲は旺盛だ。静岡でおでんを食べ、鳥取市役所で素ラーメン(うどんつゆのラーメン)をすする。東大・本郷キャンパスの学食、有楽町のガード下など、都内でおなじみのスポットにも顔を出し、相変わらず美味しそうに食事をする。とくに印象的だったのは、第7話で描かれる駒沢公園のそばの煮込み定食屋だ。メニューは煮込み・ご飯・お茶漬け・漬け物のみ。ビールも置いておらず、店に入ると自動的に煮込みが出てくる。
「見た目どおり 原寸大にウマイ」
「飯に合う」
「おっと七味かけてみるか」
「それにしても なぜこんな薄い皿に入れる」
五郎はそんなことをひとり考えながら、煮込み定食をたいらげるのであった。
「日常系グルメマンガ」の誕生
料理マンガ、あるいはグルメマンガというのは、むかしから存在した。その嚆矢となったのは、1970年代に連載された『包丁人味平』だ。その後、『ミスター味っ子』、『ザ・シェフ』、『クッキングパパ』、そして『美味しんぼ』などの人気作が生まれていった。
これらの作品では、主人公はプロの料理人やそれを目指す存在であることが多かった。『包丁人味平』や『ミスター味っ子』はスポ根マンガの料理版という内容で、『美味しんぼ』では「究極のメニュー」を作る新聞記者が主人公だ。そこでは料理法や食材についての薀蓄(うんちく)もふんだんに盛り込まれていた。かように、従来のグルメマンガは、あくまでも作り手に軸足が置かれていたのである。
だが『孤独のグルメ』は、こうした従来の料理・グルメマンガとは明確に異なっていた。そこではあくまでも食べる者に焦点は絞られ、主人公・五郎の主観のみで描かれる。料理そのものよりも、食事という行為に重点が置かれているのだ。「料理人(作り手)⇒客(食べるひと)」の関係で言えば、前者よりも後者なのである。
しかもそれは、すべて日常生活のなかの出来事であり、それまでの料理/グルメマンガのような仰々しさはない。まさに「日常系グルメマンガ」とも呼ぶべき内容だ。それゆえ冷静に考えれば、『孤独のグルメ』に登場する料理はだれにとっても美味しいものではない。そのときその場における五郎だからこそ美味しいと思うものなのだ。
「特別な料理」から「日常的な食事」へ――それは、料理・グルメマンガにおいて静かに生じたパラダイムシフトでもあった。
深夜枠に合う日常系グルメドラマ
2000年代に入ると、料理よりも食事に重点を置いた日常系グルメマンガが徐々に増えてくる。
たとえば2007年から始まった安倍夜郎の『深夜食堂』は、夜な夜な食堂にやって来るさまざまな客に焦点をあてた作品だ。新宿は舞台ということもあり、客にはヤクザや水商売の女性、俳優や落語家など、一癖も二癖もある者ばかり。
特徴的なのは、この店独自の注文方式だ。この店のメニューとして掲げられているのは豚汁定食とお酒のみだが、店主がその場で作れるものならなんでも出してくれる。常連客ほど独自のメニューを店主に頼み、なかには自ら食材を持ち込む客もいる。そこで描かれるのは、食事を通した常連客の人間ドラマだ。
また、2011年から始まった新久千映の『ワカコ酒』は、『孤独のグルメ』とよく似た設定だ。異なるのは、主人公のワカコが26歳の独身女性で、タイトルにもあるように酒の肴に食事をすること。一話が4~6ページほどで、ワカコがさまざまなお店で食事をするだけの話だ。オチは決まってワカコが料理を食べて酒を飲み「ぷしゅー」と感嘆するシーンである。
そして、この両作品もドラマ化されている。しかも『孤独のグルメ』同様、ともに深夜枠だった。主人公の店主役を小林薫が演じた『深夜食堂』は、TBS系列で2009、11、14年に3シーズン放送され、今年の1月には映画版も公開されたほどの人気だ。主人公に武田梨奈を抜擢した『ワカコ酒』も、今年1月にBSジャパンでドラマ化され、4月にはテレビ東京でも放送された。
日常系グルメ作品がドラマで好まれるのは、そもそも食が誰にも親しみのある題材であるだけでなく、やはり料理の美味しさが映像ではより一層際立つからだ。製作側にとっては、予算で低く抑えられるメリットもあるだろう。さらに深夜枠と日常系の相性もいい。美味しいものを食べて過ごす平凡な日常――それは眠る前のくつろいだひとときにとてもマッチする。一方でそれは、「夜食テロ」とも言われるほどの飢餓感を生じさせることもあるのだが。
中韓でも人気の日常系グルメ作品
こうした日常系グルメ作品は、日本と文化的に近い韓国や中華圏でも人気が高い。そのなかでも、やはり『孤独のグルメ』と『深夜食堂』がもっとも好まれている。
『孤独のグルメ』は、今年の5月に中国で『孤独的美食家』とのタイトルでネットドラマ化された。副題に「第一季:台湾篇」とあるように舞台は台湾だ。主人公を演じたのは、映画『ウェディング・バンケット』(1993年)や『1911』(2011年)などのウィンストン・チャオであるように、力の入った作品となっている。
韓国では、日本版のドラマが人気だ。日本への旅行者がドラマの舞台となった店に実際に赴き、その一部始終を匿名掲示板でレポートすることが幾度も見られた。いわゆる「聖地巡礼」である(※1)。なお、韓国ではひとりで外食をする文化はないのだが、それでも人気なのは不思議なところだ。
ドラマ『深夜食堂』も韓国では大人気だ。第1シーズンからすべてテレビ放送され、今年6月の映画版公開の際には主演の小林薫が訪韓。小規模公開ながら、13万人を動員するスマッシュヒットとなった。7月には韓国版リメイクドラマも放送され、9月に開催された『ソウルドラマアウォード2015』では、年間最高人気外国ドラマ賞を受賞した。日本同様に、じわじわと人気を広げている。
東アジアでも日常系グルメ作品が人気の理由は、食文化だけでなくやはり情緒性においても共通性があるからだろう。国際政治においては関係が悪化している日本と中韓だが、ポップカルチャーにおいては自然にこうした文化外交が生じているのだ。
『ダンジョン飯』は日常系グルメ作品の突然変異?
いまや日常系グルメマンガは、深夜枠ドラマには欠かせない存在となりつつある。前述した作品だけでなく、高田サンコの『たべるダケ』や鳴見なるの『ラーメン大好き小泉さん』などもすでにドラマ化されている。10月10日からは日本テレビ系で、マキヒロチの『いつかティファニーで朝食を』もトリンドル玲奈主演で放送予定だ。今後の映像化の筆頭候補は、阿部潤の『忘却のサチコ』などだろう。
とは言え、見方を変えればこのジャンルも飽和状態に近づいているのかもしれない。だが、そこで新たな進展を見せるのがマンガの奥深さだ。
現在、マンガ界でもっとも注目を浴びている作品のひとつが、九井諒子の『ダンジョン飯』である。戦士や魔法使いがダンジョン(地下迷宮)をさまようという、RPGのような設定だ。このマンガが斬新だったのは、ダンジョンに現れるモンスターを食料とすること。一行は、暗いダンジョンのなかで、スライムや大サソリなどを料理して食べながら、ダンジョンの奥に向かうのである。
食材も料理も架空のこの作品は、日常系グルメマンガと言えなくもないが、やはりそこには括れない。ゲテモノ料理だし、こんな作品は前例がない。突然変異のように生まれたマンガだ。だが、きわめて奇妙ではあるがとても面白く、しかもこれが大ヒットしている。『ダンジョン飯』は、あらためてマンガ界の才能の豊かさを伝えてくれる一品なのである。
※1……たとえば、「これぞ日本の食文化!孤独のグルメに出た食堂に行ってきた」や「日本の食べ物うまい!孤独のグルメに出てきた店を巡ってみた」など。なお、このレポートが投稿されたのは、日本の2ちゃんねるに相当するイルベ(日刊ベストストア)という匿名掲示板である。
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