Yahoo!ニュース

ドーナツやコーラが売れなくなる!?肥満治療薬の爆発的人気で戦々恐々の米食品業界

猪瀬聖ジャーナリスト/翻訳家
ノボノルディスクの肥満症治療薬「ウゴービ」(写真:ロイター/アフロ)

米国で、糖尿病や肥満症の治療薬として開発された新薬が、いわゆる「痩せ薬」として爆発的な人気となっていることで、食品業界が戦々恐々としている。

これらの新薬はいずれも患者の食欲を抑える効果があることから、加工食品を中心に様々な食品の売り上げが落ち込むのではないかとの観測が浮上しているためだ。

クリスピー・クリームの株を格下げ

米経済誌フォーブスのオンライン版は10月末、「オゼンピックはドーナツ市場に大打撃を与えるか?痩せ薬の人気でクリスピー・クリームの株が格下げに」と題した記事を掲載した。

記事は、米金融機関トゥルイストが最近、投資家向けリポートで、ドーナツ・チェーン大手クリスピー・クリームの株を「バイ」(買い推奨)から「ホールド」(保有)に格下げし、目標株価を1株20ドルから同13ドルへと35%引き下げたというニュースを報じたもの。

オゼンピックなど痩せ薬の人気が爆発的に高まっているせいで、ドーナツの売れ行きが悪くなる可能性があるというのが、格下げの理由という。

クリスピー・クリームは、2000年代半ばに低糖質ダイエットが大ブームとなったときに業績が一時、著しく悪化したが、トゥルイストは現在の状況を当時の状況になぞらえているとフォーブスは伝えている。

痩せ薬、次々と登場

肥満が社会問題となっている米国では今、オゼンピックなど次々と市場に投入される最新の痩せ薬が大きな話題となっており、連日のようにメディアを賑わしている。

特にひんぱんに登場する名前は、デンマークの製薬大手ノボノルディスクが開発し、痩せ薬ブームの先駆けともなったオゼンピックと、同じく同社が開発した「ウゴービ」。さらに、米国の製薬会社イーライリリーが開発した「マンジャロ」と「ゼップバウンド」に関する報道も日増しに増えている。

オゼンピックは2017年に2型糖尿病の治療薬として、ウゴービは2021年に肥満症の治療薬として、それぞれ食品医薬品局(FDA)に承認された。一方、マンジャロは昨年、2型糖尿病治療薬として承認された。ゼップバウンドは今月上旬、肥満症治療薬として承認されたばかりで、年内に発売の見通しだ。

いずれも2型糖尿病治療薬、肥満症治療薬ではあるものの、メディアでは、単に体重を減らすための痩せ薬(weight loss drug)という表現で紹介されることも多い。医師が患者の求めに応じて、単なる痩せ薬として処方する「適応外処方」の例が目立つからだ。

調査会社トリリアント・ヘルスによると、オゼンピックや類似の糖尿病治療薬を服用している患者のうち、実際に糖尿病歴のある人は5割を少し超える程度だった。

企業価値が一国のGDPを上回る

これらの痩せ薬は、臨床試験(治験)や第三者による検証試験で、いずれも服用者の脳の満腹中枢に作用するなどして服用者の食欲を抑え、体重を顕著に減らすことが報告されている。その効果をメディアや口コミを通じて知り、処方を求める人が増えているようだ。

痩せ薬の人気ぶりは製薬会社の業績にも表れている。ノボノルディスクが11月2日に発表した1~9月期の決算は売上高が前年同期比29%増、純利益が同47%増と大幅な増収増益となった。

要因は、ウゴービの売上高が5.8倍増の約217億デンマーククローネ(1デンマーククローネは約22円)となるなど、痩せ薬の人気だ。決算報告書によると、特に、最大市場である米国での好調な売れ行きが大きく貢献した。

痩せ薬の人気でノボノルディスクの株価は昨年以降、急カーブを描いて上昇。今年8月には株式の時価総額がデンマークの国内総生産(GDP)を上回り、高級ブランド世界最大手、フランスのモエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン(LVMH)の時価総額をも抜いて、欧州最大の企業に躍り出た。

デンマーク政府は8月、今年の経済成長見通しを、5月に公表した0.6%から1.2%に引き上げたが、理由として製薬業界の好調ぶりを指摘した。

加工食品株価指数が下落

対照的に、青ざめているのが米国の食品業界だ。米国の代表的株価指数S&P500は年初から10月初めにかけて約10%上昇したが、加工食品企業で構成する株価指数は逆に約14%下落した。

食品業界の中でも特に戦々恐々としているのが、スナック菓子や清涼飲料などを製造販売する加工食品業界。肥満患者はもともと高カロリーの加工食品を好む傾向がある。そうした患者が食欲を減退させる効果のある痩せ薬を服用した場合、真っ先に影響を受けるのが加工食品とみられているためだ。

実際、薬局事業も展開する米国ウォルマートのジョン・ファーナー最高経営責任者(CEO)は10月上旬、ブルームバーグの取材に対し、痩せ薬を服用している買い物客は、食品の購入量が、わずかではあるものの平均的な消費者に比べて少ないと発言。

食品業界の懸念を裏付ける内容だったため、直後にウォルマート自身を含め、食品関連株が大きく売られる事態となった。

その約1か月前には、モルガン・スタンレーが肥満治療薬を服用している患者300人を対象に、服用前と服用開始後の食欲の変化を聞いた調査の結果を発表した。

それによると、3分の2以上の人が、スイーツ類や甘味料入り炭酸飲料、クッキーなど高カロリーの食品を以前ほど食べなくなったと回答。また、77%がファストフードを食べる回数が減ったと答えた。

ブルームバーグによると、英バークレイズ銀行のストラテジストは、痩せ薬の普及で、食品大手ペプシコやファストフード大手マクドナルド、タバコ大手アルトリアなどの業績が悪化する可能性があると指摘した。

タバコメーカーまで含めているのは、オゼンピックなどの痩せ薬は、食欲だけでなく、酒やタバコなど依存性のし好品に対する欲求も減退させる効果があるとされるからだ。モルガン・スタンレーの調査でも66%が、飲酒量が減ったと答えている。

国の肥満対策は成果上がらず

ただ、米国では医療保険に加入していない国民が多い上に、痩せ薬の値段の高さを理由に、保険の対象に含めることに消極的な保険会社もあると報じられている。副作用の不安もある。このため、痩せ薬の市場が実際にどこまで拡大するかは不透明な部分もある。

それでも、痩せ薬の経済的インパクトが大きな話題になっているのは、潜在的需要が莫大だからだ。

全国健康栄養調査の2017-18年のデータによると、「肥満」(BMI値30以上)と診断された米国の成人は成人全体の42.4%に達した。肥満の一歩手前の「太り過ぎ」(同25以上30未満)と診断された人も全成人の30.7%にのぼる。実に7割以上が太っているのだ。

米国では、人を外見で評価するルッキズムに対する批判の高まりや、プラスサイズ衣料市場の急拡大などを受けて肥満を受け入れる風潮も広がりつつある。

しかし、一方で、肥満は糖尿病や心臓病、がんなど様々な病気の原因として医療財政圧迫の元凶となっているほか、軍への入隊を希望するものの肥満のために入隊試験に落ちる若者が後を絶たず、国防をも揺るがしている。

このため、政府や多くの非営利組織などが長年、肥満撲滅に取り組んでいるが、成果はほとんど上がっていない。

参考:『アメリカ人はなぜ肥るのか』(猪瀬聖著、日経プレミアシリーズ)

ジャーナリスト/翻訳家

米コロンビア大学大学院(ジャーナリズムスクール)修士課程修了。日本経済新聞生活情報部記者、同ロサンゼルス支局長などを経て、独立。食の安全、環境問題、マイノリティー、米国の社会問題、働き方を中心に幅広く取材。著書に『アメリカ人はなぜ肥るのか』(日経プレミアシリーズ、韓国語版も出版)、『仕事ができる人はなぜワインにはまるのか』(幻冬舎新書)など。

猪瀬聖の最近の記事