「禁煙」したい or できない:ITサービスで自分の本当の気持ちを知る
4月1日から受動喫煙防止を目的にした改正健康増進法が全面施行され、タバコを吸える場所がどんどんなくなってきている。また、喫煙との関係が強く主張されている新型コロナ感染症の流行が収まらない。
こうした状況にタバコをやめたいと考えているものの、なかなか行動に移せない人もいる。だが、そういう喫煙者にこそ、フォローアップが必要だろう。
今はまさに禁煙の時代
政府関係者の会見などで、行動変容という言葉がよく使われるようになってきた。
新型コロナ感染症の感染予防については、手洗い、マスク着用、避けるべき環境面ではいわゆるクラスター発生3要素が周知されつつある。これらの意味は、感染リスクを低める行動を取るということ、つまり国民の多くが行動変容を取るということだ。
保健衛生の分野における行動変容は、糖尿病や高血圧などの予防のために生活習慣を変えることを含む。その生活習慣の中には、喫煙、過度の飲酒、運動不足などがあるが、禁煙したり酒量を控えたり適度な運動をするというように行動を変えるのが行動変容だ。
この感染症は、肺などの呼吸器へ重大な影響を与え、致死的な肺炎を引き起こす危険性がある。そのため、呼吸器を弱らせるタバコが、喫煙者を新型コロナ感染症にかかりやすくしたり、感染すると重篤化しやすくしたりするのではないかと言われてきた。
WHO(世界保健機関)は、新たに喫煙と新型コロナ感染症に関するQ&Aを更新した。これによれば、ウイルスに汚染されている指でタバコを吸う行為は、ウイルスが口から入って感染するリスクを高め、喫煙者はもともと肺疾患にかかっていたり、肺活量が低下している危険性があるので、感染症や肺炎が重篤化するリスクを大きく増加させるとしている。
つい最近、クロアチアのスプリット大学付属病院(University Hospital Center Split)の研究者が出した論考では、新型コロナ感染症の予防と治療にとって身体に備わった免疫系が重要な役割を果たすとし、バランスのとれた食事や適度な運動などとともに禁煙を推奨している(※1)。
これだけ新型コロナ感染症が話題になり、重篤化した症状の悲惨さが広く知れ渡ると、やはり感染したくないと考えるのは自然だろう。さらに4月1日からは、受動喫煙防止を目的にした改正健康増進法が全面施行される。人が集まる多くの場所が原則として屋内禁煙になり、今後はますますタバコを吸える場所がなくなっていくだろう。
なぜ禁煙できないのか
この機会にタバコをやめようと思い始めた喫煙者も多いのではないだろうか。
喫煙者がなぜタバコをやめられないのかといえば、まず第一にタバコに含まれるニコチンという薬物による依存状態からなかなか抜け出せないことがある。そして、生活習慣に喫煙が組み込まれていることで、なかなかその習慣をやめられないという心理的な要素も重要だ。
禁煙を始めてタバコを買わずに周囲から遠ざけたり、禁煙外来へ通院したり、ニコチンガムやニコチンパッチを使ったり、禁煙本などを読み始めたりする喫煙者は、すでに行動変容をする段階にいる。一歩、タバコをやめる行動変容へ足を踏み出した人たちだ。
タバコを吸っている喫煙者の約6割は、こうした禁煙意識を持っている。何度か禁煙にチャレンジしたものの失敗してしまう喫煙者も多い。これらの人には、意識の中にタバコをやめようという考えがあっても、禁煙という行動変容に一歩踏み出せない喫煙者を含む。
これらの禁煙に踏み出せないけれど禁煙を意識している喫煙者に対し、フォローアップすることができれば喫煙率の減少に大きな影響を及ぼすことができるだろう。
ITで禁煙を
ITを利用して喫煙者をフォローアップしようとしているのが株式会社CureAppだ。代表取締役である佐竹晃太氏らが立ち上げた医療ベンチャーで、医師でもある佐竹氏を中心にインターネットを活用した医療機関向けの治療用アプリや法人向けのモバイル・ヘルス・プログラムの研究開発と提供を行っている。
同社が慶應義塾大学と共同開発した禁煙治療用アプリは、呼気中の一酸化炭素濃度の変化(禁煙すると濃度が下がる)により、科学的・医療的にしっかりと効果が確かめられている(※2)。
このアプリでは、禁煙に挑む患者にスマホアプリが自動で、患者に個別化したアドバイスやカウンセリングを送り、禁煙効果を高める。通常の禁煙治療では、日常的に医師や看護師が喫煙者に向き合うことはできないが、24時間365日医療的なフォローが可能なアプリを使えば、例えばタバコを吸いたくなったときに患者のアプローチに応じて気を紛らわせる方法などを伝えたりしてくれる。
ただ、このアプリの治療対象者は、禁煙する意志をはっきりと表明した喫煙者が主だ。
もう一歩前、つまりタバコをやめたいと思っているが、なかなか実行に移すことができない人も多い。こうした喫煙者のために、同社は法人向けのWebサービス「ascure Starter(アスキュアスターター、以下、Starter)」を提供している。
禁煙へ踏み出せない喫煙者のために
このサービスを開発した同社の井上慎太郎氏(開発推進部ascure卒煙プロダクトマネージャー)と武井聡氏(開発推進部 ascure Starter プロダクトマネージャー)の2人に話をうかがい、サービス内容と開発主旨などについて説明してもらった。
──今回のサービスで、お二人はどのような役割をになっていますか。
井上「弊社CureAppには、大きく医療向け事業、医療機器事業と民間法人向け事業があり、民間法人向け事業の中の禁煙分野としてascure卒煙という禁煙プログラムを提供していました。私はascure卒煙プログラムの事業責任者で、卒煙プログラムの一つとして今回のStarterがあるという形になります」
武井「私はこのStarterの開発責任者ということになります」
──まず一般的な話として、禁煙治療と今回のサービスのような禁煙サポートはどう違うのでしょうか。
井上「禁煙治療は、医療行為になりますから専門の医師のいる医療機関でなければ行えません。治療として、問診やカウンセリングを行い、医薬品としてニコチンパッチのようなニコチン代替薬や飲み薬を処方して治療します。弊社の禁煙治療用アプリは現在、薬事承認に向けた申請を行っていて禁煙外来の治療で使えるようになるよう進めているところです」
武井「一方、ascure卒煙は、これまで医療機関向けの禁煙治療用アプリの開発で蓄積した知見を基に、一般の法人や企業の健康保険組合に健康増進の方策として活用して頂けるように開発した独自の卒煙プログラムになります。ascure卒煙は医療機器・医療行為ではありませんが、民間法人に属する方々向けに適した禁煙への取組み方を提示したり、支援期間を延ばしたり、指導員による手厚いフォローが入ったりと、アプリでのサポートに加えて禁煙を成功させるための様々な支援を行っています。そしてStarter は、禁煙をスタートさせるまでの動機付けを行うWebサービスとして、今回全く新しく開発してリリースしました」
──なぜ、禁煙をスタートさせるためのプログラムを開発したんですか。
井上「弊社は法人や企業の健康保険組合向けの禁煙サポートを行っていますが、その中の課題として、まず半分強制的にやらされているなど開始時点での動機がとても低い参加者はなかなか禁煙に成功しないというものがあります。また別の課題として、禁煙にチャレンジする参加者を集められないというものがありました」
武井「どうしたら禁煙を成功させることができるのかという課題について弊社のデータを分析したところ、参加する方の動機の強さというのが成功にかなり強く相関していることがわかりました。そこで、禁煙を成功させるために参加者の動機付けを行うアプリを作ったら良いのではないか?と仮説を立てたのです」
井上「ascure卒煙プログラムでも、こうした動機づけを専門の知識を持つ指導員が行っていますが、より広く誰でもスマホやパソコンで気軽に使えるWEBサービスで提供しようと考えました」
──こうしたサービスはいつ頃から開発を始めたのですか。
井上「ascure卒煙プログラムの提供を始めたのが2017年4月で、民間向けのStarterの企画が上がったのが2018年の秋から冬に掛けてです。先ほどの課題が明確になって開発を始めたのが2019年の初め頃でした」
──禁煙へ向かってもらう行動変容にはいろいろな理論や方法がありますが、無関心期や関心期という段階を経て行動が変わっていくという考え方もありますね。
武井「基本的には順番に段階を上がっていくというより、そのユーザーがどの層にいるのかという分け方だと認識をしています。そのユーザーはどの段階にいるかは、アンケートをするとわかります。無関心期から関心期を飛び越えて準備期や実行期になることもあるのではないでしょうか」
行動変容の段階的アプローチの例。これはタバコをやめるための行動変容への抵抗から次第に行動変容を受け入れていく様子を描いているが、必ずしも一つずつ段階を経て進んでいくわけではないという意見もある。図作成筆者
──逆にいうと、関心期にいても禁煙を始めないこともあるということでしょうか。
武井「禁煙治療のガイドラインにもあるとおり、関心期は50%から60%の割合で存在するといった既存のデータがあります。ただ、一般的に言われている関心期の割合60%より、弊社が持っている知見では挑戦する喫煙者が少ないという課題はあります。例えば、アンケートをしてみると『禁煙しようと思っている』と回答した方が、禁煙プログラムを紹介しても実際にはやらないというケースは多いと思います」
井上「禁煙外来で治療を受けようとしている喫煙者は、ある程度、問題意識を持っていますが、今回のStarterのサービスは, そうした問題意識がまだ薄い、禁煙を始めづらい喫煙者まで広く対象にしているという側面もあります」
動機付け面接法を参考に
──サービスのプログラムを開発する上で苦労したところはどこでしょうか。
武井「アルコール依存症などでも使われる行動変容の理論である動機付け面接法を参考にして開発したのですが、この理論を実践する指導者にはある程度のスキルが求められ、習熟していないと効果が出にくい方法です。ascure卒煙プログラムの指導員もかなり勉強し、全員が研修を受けるような方法ですが、実際にプログラムにしようとすると難易度が高く、それをWeb上のシステムとしてどう実現するかが大きな挑戦でした」
──禁煙サポートでの動機付け面接法はどのようなものでしょうか。
井上「動機付け面接法は、アルコールや薬物などの依存症の回復のために開発されたのですが、患者に対して共感性の高いカウンセラーのほうがより成功することがデータでわかっています。なので、ある程度は必要なことと考えていますが『タバコは健康に悪いぞ』というネガティブなアプローチばかりだと、喫煙者の心の中でアンビバレンス(両価性、何かに対して相反する感情)や葛藤を刺激し過ぎてしまって、逆効果になってしまうことがあります」
武井「動機付け面接法で大切なのは関わり方のスタンスだと思っています。思春期の子どもが親から『勉強しろ』と言われ続けると、逆に勉強嫌いになってしまうようなことはあります。このプログラムでは、そうならないような関わり方のスタンスを言葉の一つ一つ、表現の一つ一つで伝えるように工夫し、動機付け面接法をある程度は再現できたと思っています」
──具体的にはどのような内容になっているのでしょうか。
武井「例えば、禁煙したい理由、したくない理由をまず天秤に書いてもらいます。その後、禁煙したい理由を上げてもらい、その理由に問い掛けをするのです。例えば『これからタバコを吸い続けた10年後・20年後を想像してみて、もう1回考えてみてください』とか『もし魔法で今すぐに禁煙できるんだったとしたら、どんなことを感じますか』とか『そのときの自分は、どんなことを感じていそうですか』といった問い掛けです。そして『では、改めて天秤を書いてみましょう』という流れにし、ある意味ではゲームに近い感覚で矛盾や葛藤といった自分の内面を認識してもらうのです」
取材時に説明してくださったCureAppの井上氏と武井氏(左)。動機付け面接法は関わり方のスタンスが重要という。写真撮影筆者
ゲームに近い感覚で禁煙へ
──アプリではなくWeb上のプログラムなんですか。
井上「StarterはアプリではなくてWebのブラウザ上でやるのが特徴で、スマートフォンでもパソコンでもできます。対話式のUIでキャラクターが出てきて会話しながら進めていくシステムになっています」
──AIが入っていてインタラクティブに会話するのでしょうか。
武井「AIではなく独自のアルゴリズムを組んでいます。喫煙者と一言で言っても、禁煙にあたってハードルになっていることは人それぞれです。インタラクティブな対話を通じ、ユーザーの考えや情報に合わせて対話の展開を個別化していきます」
──動機付け面接法をWeb上のサービスにする工夫は何かありましたか。
武井「例えば、天秤というメタファーは動機付け面接法にも出てきますが、それをブラウザのボタンを押して入力する形にし、ゲーム感覚なインターフェースにしている点に工夫を凝らしました。天秤ですからお金や健康といった価値観に自分で重みをつけ、その結果『禁煙したい』と『したくない』の天秤が一気に傾いたりするビジュアル的な体験を楽しめるようにしています」
サービス内に出てくる天秤。自分の禁煙したい理由と禁煙したくない理由の「重み」を視覚的に知ることができる。提供:株式会社CureApp
──現状、法人や健康保健組合といった団体向けのサービスということでしょうか。
井上「そうですね、将来的には一般ユーザー向けのサービスも考えていますが、今は法人や健康保健組合が対象です」
──Starterを導入している法人はどのようにして参加者を集めているのでしょうか。
井上「社員の喫煙者に対し、メールを流す法人もあればイントラネットを使う法人もありますし、朝会や定例ミーティングで呼びかける法人もあるようです」
──法人によっては、喫煙率を下げることで健康優良企業に認定されるというインセンティブがあるようですね。
武井「そうした法人の人事部が、健康優良企業になることを目標にし、ascure卒煙プログラムやStarterを導入するケースは少なくないと思います」
井上「法人や自治体でも活用していただけると思います。大阪府豊中市様は市民のために無料(在勤者は3000円)でascure卒煙を導入しています。これは行政から民間へ成果報酬型で事業を委託するソーシャル・インパクト・ボンドという仕組みで運営されており、禁煙サポートでは世界初の取り組みになります」
すでに日本では喫煙率が男女平均で20%を下回っているが、30〜50代の男性でタバコを吸う人はまだまだ多い。法人向けの禁煙サポートは、まさにこの層にリーチするものだ。今後は導入する企業が増えていくかもしれない。
※1:Domina Petric, "Immune system and COVID-19." DOI: 10.13140/RG.2.2.21811.99366, March, 2020
※2:Katsunori Masaki, et al., "A randomized controlled trial of a smoking cessation smartphone application with a carbon monoxide checker." nature, npj digital medicine, Vol.3, Issue35, 2020