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明和の大津波 「ぬるぬる地震(津波地震)」があるので、大きな揺れでなくても高台へ

饒村曜気象予報士
石垣島マングローブ(ペイレスイメージズ/アフロ)

地震の揺れと津波の大きさ

地震で発生する津波は、一般的には揺れが大きいほど大きな津波が発生します。

しかし、例外的に地震波動が比較的小さい地震が大きな津波を起こすことがあり、過去に大きな津波被害を起こしています。

これは、通常なら大きな地震を発生させる地下の岩盤の瞬時のずれが、瞬時よりは長い時間にわたってずれることによっておき、「ぬるぬる地震(津波地震)」と呼ばれています。

今から246年前の、1771年4月24日(明和3年3月10日)、八重山列島沖の地震で、「明和の大津波」と呼ばれる巨大な津波が発生しています。石垣島では、震源地からそう遠くないにもかかわらず、大きな震度を感じない地震でしたが、巨大な津波が発生し、大きな被害がでました。

つまり、「ぬるぬる地震」によるものだったと考えられています。

海岸で地震を感じたら、大きな揺れでなくても、急いで高台へ避難することが必要であるのは、「ぬるぬる地震」があるからです。そして、正しい情報の入手に努める必要があります。

正しい情報の入手に努めてから避難ではありません。情報の入手に手間取ると逃げ遅れます。

石垣島を襲った「明和の大津波」

今から246年前の、1771年4月24日(明和8年3月10日)の午前8時ころに発生した八重山列島沖の地震では、石垣島で遡上高が28丈2尺(85メートル)に達するともいわれる津波が押し寄せ、八重山諸島で9300人、宮古諸島で2500人以上が死亡しています。

この85メートルという数字は、これよりも標高が低い井戸は被害を受けなかったなど、過大という説もありますが、60メートルは越している大津波です。

地震の規模は諸説ありますが、マグニチュード7.4、石垣島の震度は4程度と推定され、地震そのものでは被害がでていません。

ただ、これほどの巨大津波が起きた原因については、海底で地すべりが起こったという説が最も有力ですが、その場所は特定されていません。

琉球女護島、八重山洪水、島民過半溺死

出典:沖縄風俗記録(「日本災異志(小鹿島果、1893)」に収録)

1771年は、沖縄は琉球暦が使われており乾隆(けんりゅう)36年であったため、乾隆大津波又は八重山大津波と呼ばれていました。

しかし、当時は薩摩藩(島津藩)に服属していたため、「明和の大津波」と呼ばれるようになった経緯があります。

薩摩藩は、人頭税をかけていたため、人口を正確に把握しており、津波前後の住人数が村別に求めています。

琉球大学ホームページには、明和の大津波について、詳しいまとめがあります

これによると、石垣島の人口は、大津波の前後で17549人が9069人になっています。この差の8480人が津波による死者に相当しています。

遡上高が30メートル以上の津波があった石垣島の東部の白保では1402人が115人に、大浜では1402人が115人に、真栄里では1173人が265人に激減し、壊滅的な被害を受けています。

これに対し、遡上高が4メートルの津波があった石垣島西部では、川草では951人が919人、野底では600人が576人であり、太平洋に面する島の東側と、東シナ海に面する島の西側とは大きな差があります。

これは、巨大津波が東海上からやってきたことに対応します。

沖縄県の地震

現在、地球の表面は、12枚のプレートという板状の岩盤で覆われ(プレートの数え方には多少の差があります)、そのプレートがマントルの熱対流によって別々の方向で移動すると考えられています。プレートには、海底を形づくっている海洋プレートと、大陸を載せている大陸プレートがありますが、両者が衝突すると相対的に重たい海洋プレートは、陸のプレートの下に沈み込み、海溝になります。海溝では、海洋プレートが大陸プレートを巻き込みながら沈みこんでいますので、エネルギーは大きく溜まり、時々巨大地震が発生します。

沖縄近海は、フィリピン海プレートとユーラシアプレートの境界付近にある琉球海溝がありますので、場所によっては、マグニチュード8程度の巨大地震が起きることがあります。

そして、巨大地震で発生した大津波が南西諸島を襲うことがあります。

くりかえす大津波は津波石が語る

津波によって海底の岩の一部が分離して陸上に上がったものを津波石といいます。海底の岩が満潮線よりも高い位置に移動した場合は、表面にあるサンゴなどの活動が停止しますので、放射性炭素年代測定を行うができます。

石垣島には「明和の大津波」による多数の津波石が打ち上げられました。

しかし、石垣島にある津波石を調べると、「明和の大津波」以前の津波石が混じっています。

たとえば、石垣島の観光名所である「津波大石」(つなみうふいし)は、13メートル×10メートルの大きさで高さが6メートル、重さが約1000トンという大石ですが、約2000年前の津波によって打ち上げられたものと考えられています。

頻繁ではありませんが、「明和の大津波」のような大津波は、繰り返し起きていたのです。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2024年9月新刊『防災気象情報等で使われる100の用語』(近代消防社)という本を出版しました。

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