テロ支援者制裁法案に対するオバマ大統領の拒否権発動:「民主主義の帝国」衰退の加速
9月23日、オバマ大統領は、テロリストを支援する外国政府を米国内の地裁で提訴できるようにするテロ支援者制裁法案に拒否権を発動し、上下両院に差し戻しました。これに対して、共和党大統領候補トランプ氏は「恥ずべき行為」と非難し、民主党のクリントン候補も自分が大統領になれば法案に署名すると明言しています。
この法案に関しては、上下両院の共和、民主両党が(珍しく)足並みを揃えています。そのため、大統領の拒否権が覆る公算が大きいとみられます。合衆国憲法では、立法権は議会に独占されていますが、大統領の署名によって発効します。しかし、大統領が署名を拒否して拒否権を発動した場合は、上下両院それぞれで再び審議し、3分の2以上の賛成があれば、その法案は大統領の署名がなくても発効することになっているのです(オーバーライドと呼ばれる)。
ただし、この法案がオーバーライドで成立すれば、それは任期満了が近いオバマ大統領の求心力の低下を印象付けるだけでなく、環境の変化に米国市民がついていけていないことを浮き彫りにするとともに、「米国の衰退」をさらに加速させ得るといえます。
テロ支援者制裁法案とサウジアラビア
今回の法案は、先述のように、外国政府が支援するテロリストが米国内で破壊活動を行った場合、被害者やその遺族らがこの政府を米国内の地裁で提訴できるようにするものです。この法案で特に問題になったのは、サウジアラビアの扱いでした。
9.11テロ事件の実行犯グループのうち、直前にFBIに逮捕されていて唯一生き残ったザカリアス・ムサウィは公判のなかで、サウジアラビアの王族から資金協力を受けていたと証言しました。日本でも、政治家や財界人へのテロが相次いだ昭和10年代前半、三井、三菱などの財閥から過激派に資金が流れたことは、よく知られています。それはいわば、「攻撃されないための代償」だったといえます。いずれにせよ、サウジ政府はムサウィの証言を否定しましたが、同国政府がアルカイダに資金を提供し、それがさらに「イスラーム国」にも渡っていたことは、国際的にはもはや通説といってよいものです。
ただし、その一方で、世界屈指の産油国であり、さらにメッカとメディナというイスラームの二大聖地を擁することからスンニ派の盟主ともいえるサウジアラビアは、米国にとって長くエネルギーを中心とする経済面だけでなく、安全保障の面でも最重要のパートナーであり続けました。実際、サウジアラビアは1991年の湾岸戦争で米軍が率いる多国籍軍に協力し、2014年からはイラクでの「イスラーム国」空爆で当初から米軍と行を共にしています。国際的なシーンでサウジアラビアと協力できれば、その他のスンニ派諸国、特にUAEやクウェートなどペルシャ湾岸諸国からの協力も期待しやすいのです。
そのため、米国政府も、2001年以降、サウジからの原油輸入量を減らし、距離を置きながらも、基本的には関係を維持し続けてきました。しかし、この状況が米国市民、特に9.11の被害者やその遺族らを中心にとって、「サウジとの友好関係のためにその責任追及を控えている」と映ったとしても不思議ではありません。
米国-サウジ関係の亀裂
そのため、今回の法案に対するサウジ政府の危機感は大きなものがありました。法案成立を阻止するため、米国議員に対するロビー活動を展開してきただけでなく、法案が成立した場合には米国内から資産を引き上げると通達していたのです。
もともと、長く協力関係にあった米国とサウジアラビアの関係には、この数年来、黄信号が灯っていました。特にサウジとライバル関係にあり、長く米国務省が「テロ支援国家」と位置付けてきたイランが、2015年に核開発をめぐる問題で米国などと合意を達成し、国際社会に復帰したことは、多くの国から歓迎された一方、イスラエルとともにサウジの危機感を煽る結果となりました。
この状況のもと、今回の法案が通れば、米国-サウジ関係には深刻な亀裂が走るのは明らかでした。その場合、サウジアラビアがエネルギーと市場を確保するために血道をあげている中国とこれまで以上に接近することも、これまた明らかです。2014年当時、中国は「イスラーム国」台頭の責任がサウジなど湾岸諸国とそれをバックアップし続けてきた米国にある、という主張を大々的に展開していましたが、米国-サウジ関係が怪しくなるにつれ、その主張はトーンダウンしつつあります。つまり、中国にもサウジとの蜜月を期待する用意はあるのです。
この観点からみれば、オバマ大統領が拒否権を発動したことは不思議ではありません。しかし、それは司法の場での裁きを求める多くの米国市民にとって、あずかり知らないことだったといえるでしょう。
「民主主義の帝国」
しかし、裁きを求める米国市民、とりわけ被害者やその遺族の感情は理解できるとしても、それでもこの法案には問題が多いと言わざるを得ません。最大の問題は、他国政府の行動を「自国の裁判所で」裁くことを可能にする、という点です。
他国政府を、その国の裁判所で訴えることは、よくあることです。「その国の政府は、その国の法律にのっとって行動する」わけですから、それに支障があった場合、「その国の法律で判断される」ことは道理にかなっているといえます。
しかし、そもそも自分の国の裁判所で他国政府の行動を裁けるとすれば、それは「自分の国の法律で他国政府を縛ることができる」と言っているのと同じです。それはつまり、自分の国の方が相手国より優位にある、という宣言に他なりません。全ての個人に人権があるように、全ての国家には主権があり、能力はさておき、少なくとも立場においては全員が対等であるはずです。だとすれば、この法案は「米国は特別な国」という(米国人が抱きがちな)意志を具体化したものといえるでしょう。
米国が国内の判断基準で他国に制裁を加えることは、これまでにもありました。例えば、1974年に連邦議会で成立した通商法301条や、1988年にそれをバージョンアップさせたいわゆるスーパー301条は、「不公正な取引慣行を行う国に対する制裁」を盛り込んだものでした。その主な対象は、当時米国市場に輸出攻勢をかけていた日本でしたが、いずれにせよここでの問題は「誰が、どんな基準で他国の行為を不公正と判断するか」です。この法律では、言うまでもなく、その判断主体は米国の議会や政府であり、その判断によって制裁を下すというのであれば、米国の立場が相手国より上だと宣言しているのと同じになります。また、2003年のイラク戦争で米国政府が展開した、「米国本土の安全を守るために、『予防的に』イラクを攻撃する」という主張も、同様の文脈で理解できます。
これらはいずれも、その当時の大統領の意志も無関係ではないですが、その一存で進んだというより、米国市民からの突き上げを受けたものでした。米国の外交では国務省を中心とする政府がクローズアップされがちですが、議会も小さくない影響力をもちます。
三権分立が厳格な米国では、立法権は議会に独占されており、米国のなかで渦巻く、外部に対する様々な不満は議員への働きかけを通じて実現されることが稀ではありません。そして、各自が政党に依存せず、いわば自前で選挙を戦っている議員は、有権者やロビイストからの働きかけに対して、ホワイトハウス関係者以上に敏感です。先述の通商法301条の場合、日本製品が米国市場を席巻するなか、米国企業とりわけ政治的発言力の大きい鉄鋼メーカーが議員へのロビー活動を活発化させた結果でした。
互恵主義の観点からみた問題
今回の法案について、オバマ大統領は「従軍中の米軍人などが訴追される恐れがある」とも指摘しています。
「目には目を、歯には歯を」という応報は、ハンムラビ法典にもみられる正義の原型の一つで、現代の国際関係もこれと無縁ではいられません。例えば、貿易に関して、WTO(世界貿易機関)では、一方の当事者が関税率の引き上げなどを一方的に行うことは基本的に禁じられており、相手が与えたこと(それがよいことでも、そうでないことでも)と同じものを返す、互恵主義が原則となっています。
この観点からいうと、米国が「国内でのテロ活動を支援した外国政府を自国の裁判所で提訴できる」法律を作ったなら、他の国も同様の法律を作成し、米国政府を訴える事態が発生しかねないというオバマ大統領の指摘は、至極当然ものといえます。
これに関しては、「米国が行っているのは国家としての軍事活動で、テロ活動ではない」という論理もあり得るでしょう。しかし、「誰を指してテロリストと呼ぶか」には必ずしも明確な基準がありません。例えば、シリアなどで活動しているクルド人勢力は、米国をはじめとする欧米諸国から支援を受けていますが、トルコはこれをトルコ国内で分離独立を求めて破壊活動を行ってきたPKK(クルド労働者党)と結びついたテロ組織と位置付けています。この立場に基づき、今年8月からトルコのエルドアン政権はシリアで、「イスラーム国」とともにクルド人勢力に対する地上戦を始めました。
トルコはNATO加盟国ですが、エルドアン政権のもとで米国との関係はやはりギクシャクしています。今年7月に発生した軍の一部によるクーデタに関して、エルドアン政権が首謀者と目するギュレン運動指導者のフェトフッラー・ギュレン師は米国に滞在していることは、トルコ政府の米国への不信感を強める材料になっています。
この背景のもと、トルコで今回の米国におけるテロ支援者制裁法案と同様の法律ができた場合、シリアでクルド人勢力を支援している米国政府がトルコの裁判所に訴えられることは、充分にあり得るでしょう。そうなった場合、米国の対外イメージが、これまでになく悪化することは明らかです。
「民主主義の帝国」の衰退の加速
米国の世論調査では、「第二次世界大戦後の大統領のなかで最悪の大統領」のワースト1位という不名誉な結果を残しています。オバマ大統領のもとで、ロシアや中国からの圧力は強まり、対テロ戦争はむしろ泥沼化し、経済は回復しながらも格差はむしろ深刻化し、ヘイトクライムもむしろ増加したことを鑑みれば、これら全てが彼個人の責任によるかはともかく、少なくとも大きな成果が出せなかったことは確かです。今回の法案に関して、オバマ大統領が孤立無援になっていることは、その求心力の低下を象徴しているともいえるでしょう。
ただし、その一方で、これまで述べてきた問題を考えたとき、今回の法案に関していえば、市民感覚、世論、民意といったもののネガティブな側面が露骨に出たと言わざるを得ません。以前にも述べたように、昨今では「立場の平等という前提のもとに、自分の判断を優先させる」傾向が加速しています。各方面にわたって様々な矛盾が入り乱れ、米国がかつての存在感や信頼を失いつつあることを、オバマ大統領は早くから認めていましたが、この環境の変化についていけない米国市民の多くが、政府に「正義」の実現を任せるのではなく、米国の地裁という身近なところに提訴することを通じて、自らが「正義」の判断に関われることを求めた結果といえるでしょう。
そのこと自体は民主的といえるでしょう。しかし、それが果たして米国にとってプラスの多い選択かは疑問です。今回の法案が成立することはほぼ確実で、それがサウジアラビアをはじめとする各国との軋轢をさらに加速させることもまた確かとみられます。それは米国にとって、さらに行動しにくい環境ができることを意味します。「民主主義の帝国」は、もともと始まっていた国際的な衰退の途上で、外部での評判や味方の確保という資産を自ら掘り崩すことで、これをさらに加速させる決定をしたと言わざるを得ないのです。