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講談社元社員「妻殺害」裁判で最高裁が有罪判決破棄差し戻しという「逆転」判決の意味

篠田博之月刊『創』編集長
妻が亡くなっていた被告自宅の階段(筆者撮影)

最高裁が2審判決を「破棄差し戻し」に

 11月21日、講談社元社員「妻殺害」事件で最高裁が2審の有罪判決を破棄し、審理を高裁に差し戻した。最高裁としては異例の弁論が開かれたことから、2審判決が逆転する可能性は高かったのだが、今回の判決は大きなニュースとなり、関心も高まっている。

〔追補〕この記事は判決の出た21日夜に書いたのだが、その夜の「報道ステーション」がこのニュースをトップで大きく扱っていたのに驚いた。この番組の瞬発的な対応力を示すもので、底力を感じさせた。この裁判については月刊『創』(つくる)以外にはNHKや『週刊朝日』が長期取材を続けてきたのだが、NHKはもちろん夜7時のニュースで大きな扱い。この追補は22日に書いているが、翌日22日朝刊社会面で大きく報じた朝日新聞の裁判の経過説明が核心をついてよくまとまっていたのが印象的だった。

 それらの記事で強調されていたが、裁判員裁判の1審有罪判決を2審が維持したのを最高裁がこんなふうにひっくり返したのは初めてという。難しい事件だけに裁判も複雑な経緯をたどっているわけだが、こういう裁判のあり方そのものをチェックし、市民にわかりやすく伝えるのは新聞・テレビの役割だ。今回の劇的な「逆転」については裁判のあり方を含め、専門家をまじえて議論されるべきだと思う。(この部分22日に追記)

11月21日、傍聴券を求めて最高裁前に並ぶ人たち(筆者撮影)
11月21日、傍聴券を求めて最高裁前に並ぶ人たち(筆者撮影)

 この事件と裁判をもう1年以上も追い続けてきた月刊『創』編集部では、傍聴券を確保するためにスタッフ6人で14時すぎに最高裁南門前に並んだのだが、何と全滅(とほほ)。 

 傍聴席39席を求めて160人以上が並んだから倍率は4~5倍で、理屈から言えば傍聴できるはずだったのだが、現実はそうはいかなかった。ただこの日は判決文の読み上げだけで15分ほどで終了したというし、夕方になってその判決文は全文、最高裁のホームページで公開された。ぜひこの判決文も読んでいただきたい。下記にアクセスすれば全文が閲読できる。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/536/091536_hanrei.pdf

 私が判決主文の中身を知ったのは、私が傍聴できなかったのを知ったらしい朴被告の母親が16時頃、わざわざ電話をしてきてくれたからだ。弁護側は最高裁に対して差し戻しでなく自判によって無罪判決を出すことを求めていたので、そうならなかったのは残念だが、1審2審と冷酷な有罪判決が出ていたのがひっくり返ったという点では、大きな意味のある判決だ。16時半から行われた弁護人と支援者の会見でも、揃って「まずはホッとした」と語られていた。

弁護人(右)と支援者の会見(筆者撮影)
弁護人(右)と支援者の会見(筆者撮影)

 母親とはこの間、電話で何度か話したが、もう何日も前から、判決がどうなるか気になって落ち着かないと語っていた。とりあえず有罪判決が破棄されたことで、これまでの苦しみから少しだけ救われたのではないだろうか。

妻の額の傷について審理不十分と

 さて、最高裁判決の中身を少し紹介しよう。

 主文は「原判決を破棄する。 本件を東京高等裁判所に差し戻す」で、その後、検察側弁護側双方の主張を紹介した後、裁判所の判断を示しているのだが、結論部分を転載しておこう。

《6 結論

 以上によれば、原審において、Aの顔前面の血痕の有無や、それと本件自殺の主張との関係について、審理が尽くされたとはいい難く、Aの両手に血液の付着やその痕跡がなく、血液を拭うなどした物も見当たらないことと併せて、Aの顔前面の血痕がないことを挙げ、本件自殺の主張は客観的証拠と矛盾するとした原判決の判断は、原審の証拠関係の下では、論理則、経験則等に照らして不合理であるといわざるを得ない。そうすると、原判決には、審理を十分に尽くさなかった結果、重大な事実誤認をしたと疑うに足りる顕著な事由があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであって、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。

 なお、原判決と同様に、Aの顔前面の血痕がないことを、本件推認の根拠とするとともに、本件自殺の主張を排斥する根拠とするのであれば、Aの顔前面の血痕の有無はもとより、本件自殺の主張を前提とした場合に前額部挫裂創からの出血がAの顔面にどのような痕跡を残すのかについて、当事者双方の主張立証を尽くさせることが必要である。これらの事実を証拠上認定できないときには、それでも本件推認が成立するのか、本件自殺の主張を排斥し得るのかについて検討する必要がある。さらに、仮に本件推認が成立しない場合でも、なお訴因の事実が推認できるか否かについて検討する必要が残り、それに応じて自殺の可能性の有無、程度についても検討する必要があるというべきである。

 よって、刑訴法411条1号、3号により原判決を破棄し、同法413条本文に従い、更に必要な審理を尽くさせるため、本件を原審である東京高等裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。》

 被告・朴鐘顕さんの妻の額の傷からの出血について、2審では改めて鮮明な写真が弁護側から提出され、審理されたのだが、判決は「審理を十分に尽くさなかった結果、重大な事実誤認をしたと疑うに足りる顕著な事由があ」るとしたのだった。

 判決を受けて16時半より司法記者クラブで弁護人と支援する会の記者会見が開かれた。弁護人がこの事件について会見を行うのはこれが初めてだ。

裁判の経緯と被告の手紙、そして母親インタビュー

 この事件と裁判については、このヤフーニュースでも相当量の記事を書いてきた。判決後、新聞・テレビは一斉に速報を流し、判決文の中身は報道されているが、これまでの経緯について詳しい報道はなされていないから、私の主な記事を下記にまとめておこう。

 まずは、10月27日の弁論の傍聴後書いたのが下記記事だ。言論で語られた弁護側・検察側双方の主張を整理し、最高裁判決でも言及された妻の額の傷がどういうシチュエーションでできたか、双方の説明を紹介した。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20221031-00321928

講談社元社員の「妻殺害」裁判はくつがえるのか!?最高裁で極めて異例の弁論が開かれた

 それをもっと詳しく説明したのが下記記事だ。最高裁が弁論を開くことを決定し、逆転の可能性が出てきたことを受けて書いたものだ。同時に、この1年間の『創』の記事のエッセンスを紹介し、何が問題になってきたかをコンパクトに紹介した。この間、被告の母親に何度かインタビューしているのだが、その内容も紹介している。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20220717-00305943

最高裁で逆転の可能性!講談社元社員「妻殺害」1・2審有罪判決に突き付けられた大きな疑問

 上記記事の冒頭に掲げた写真は、朴被告の自宅2階の子ども部屋のドア付近だ。ドア自体は警察に押収されたままだが、その入り口に掲げられたジグソーパズルは長女が父親の帰りを祈って作ったものだが、絵柄が「七つの大罪」だ。父親が講談社のコミック編集者として担当したのが「七つの大罪」で、そのパズルを、自分のベッドのすぐ脇に飾って、父親の無罪帰還を待つ娘の心情が涙を誘う。

2階の子ども部屋に飾られた「七つの大罪」のジグソーパズル(筆者撮影)
2階の子ども部屋に飾られた「七つの大罪」のジグソーパズル(筆者撮影)

 母親のインタビューは下記記事でも詳しく紹介した。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20220630-00303297

講談社元社員は本当に妻を殺したのかー被告の母親が語る残された子どもたちのこの6年間

 囚われている父親が子どもたちに送った手紙については下記記事で紹介した。この手紙も多くの人が読んで涙を流したというものだ。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20220612-00300456

元講談社「妻殺害」裁判被告が獄中から4人の子どもに送ったウクライナ戦争についての手紙

 さらにさかのぼるともっと多くの記事があるのだが、割愛しよう。それぞれの記事で重複している部分もあるし、おおまかな経緯を把握するにはこのくらいで十分ではないだろうか。

冒頭に掲げた自宅階段の写真を改めて見てほしい

 もともと自殺とされたものを、捜査に当たった刑事が直感で怪しいと思い込み、殺人事件として立件されていくのだが、確たる証拠もないまま、刑事の直感がそのまま裁判で追認されていった。もし被告が語る「妻が自殺した」という説明をひっくり返して殺人だと主張するなら、十分な証拠が必要であるはずなのに、そうしたものもなく、「疑わしきは被告人の利益に」という裁判の原則が守られていないのは大きな疑問だ。

 同時に、この1年間、何度も母親や子どもたちに会いに、朴被告の自宅に足を運んで感じるのは、寝室で殺害した妻の心臓が止まるまでのわずかな時間に、被告が偽装工作を行うために、妻を階段の上まで運んで突き落としたという捜査側の推論の異様さだ。妻が亡くなっていた階段の写真を改めてこの記事の冒頭に掲げた。やや急で幅も狭く手すりが必要なその階段を何度も実際に見た者ならば、そこでごくわずかな時間に検察側の言うようなことが行われたというのには異様さを感じないではいられないだろう。現場を無視して、被告を有罪にするために頭のなかで無理やり組み立てられた推論という印象は、現場を見るたびに強くなっていった。

 これが冤罪事件だとすると、被告本人や家族の突き落とされた現実はあまりにむごく、ひどすぎる。それこそ「著しく正義に反する」というべきだろう。

 ぜひ公正な審理を早急に行い、真実を明らかにしてほしいと思う。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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