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最高裁で逆転の可能性!講談社元社員「妻殺害」1・2審有罪判決に突き付けられた大きな疑問

篠田博之月刊『創』編集長
子供部屋の扉は押収されたまま。長女作成ジグソーパズルが父の帰りを待つ(筆者撮影)

逆転の可能性が濃厚!?最高裁が弁論を開くというニュース

 月刊『創』(つくる)で昨年来、キャンペーンを張り、『週刊朝日』やNHK「クローズアップ現代」も取り上げ話題になっていた元講談社社員・朴鐘顕被告の「妻殺し」裁判について、最高裁が10月27日13時半より弁論を開くことを決めたことは既にこのヤフーニュースで報告した。6月30日の午前、通知を受け取った弁護人は東京拘置所の朴被告に面会してそれを伝え、昼から被告の母親や関係者にも連絡した。私のもとへも、最初に母親から、その後、弁護人から電話があった。夕方からはNHKのニュースを始め、そのことは新聞・テレビで一斉に報道された。

 それがそんなふうにニュースになったのは、最高裁で弁論が開かれること自体が、2審への差し戻しか無罪判決が出される可能性が極めて高いからだ。最高裁は通常、証拠調べは行わないのだが、2審の有罪判決を覆すあるいは差し戻すといった場合にはこんなふうに法廷が開かれる。

 1審も2審も有罪判決が出たことで、世間的には朴被告が妻を殺害したのではという見方が強まっていたと思うが、それが逆転する可能性が生じたという、ある意味、劇的な展開だった。

 朴被告の子どもたち4人は事件から6年間、母親が亡くなったうえに父親が殺害犯として勾留されるという過酷な状況に置かれ、朴被告の今年70歳になった母親が関西から上京して息子の家で暮らし、4人の孫の世話をするという辛い生活を続けてきた。

 もちろん逆転の可能性が高いといってもまだふたを開けてみないとわからないし、弁論が開かれてもそうならなかったケースもあったようで、全面的にそうなると決まったわけではない。しかし、朴被告やその家族にとっては、6年間の暗かった道のりに大きな希望の灯が見えたことになる。

この間の報道が及ぼした影響は

 2022年7月15日、私は、朴被告の大学時代の友人で、昨年、支援する会を立ち上げた佐野大輔さんと一緒に朴被告の自宅を訪れ、母親に話を聞いた。今回の知らせを家族はどう受け止め、子どもたちはどんな反応を示したのか聞いたのだが、その内容は追って公開するとして、ここではこの裁判の逆転をもたらした問題とはそもそも何だったのかについて整理しておきたい。

 というのも、この事件は、衝撃的なものとして逮捕時には大きく報道されものの、その後の裁判の審理内容については詳細な報道がほとんど見られず、1・2審有罪という結果のみが伝えられた印象だ。それが逆転と言われても、何がどう問題になっているのかわからない人がほとんどだと思うからだ。

 最高裁で弁論を行うという決定がこの時期になされたことの意味についても少し言及しておこう。NHK『クローズアップ現代』放送を受けて、『創』7月号でもその『クロ現』を手がけたディレクターの手記を含む3本の特集記事を掲げるなど、この問題について議論が深まったタイミングだったし、元裁判官などからも判決への疑問の声が上がるなどしていたため、そうした状況が何らかの影響を及ぼしたのではないかという見方もある。実際、ある元裁判官は「これだけ話題になったら最高裁も安易な審理はできないでしょう」と語っていた。そのあたりは何とも言えないのだが、直接的な因果関係はないにしても、何となくの世論の高まりは、裁判官に慎重審理を促すひとつの要因になった可能性はあるのかもしれない。

ちなみにその『クロ現』ディレクターの手記は以下に公開している。

https://news.yahoo.co.jp/articles/cc29377c6e4a578b6dbf4095bf2509372459ca4a

妻は夫に「殺された」のか!? ―「事件と裁判」が問いかけるもの  前田陽一[NHK報道局 ディレクター]

 逆に言えば、1・2審まではそれだけ審理内容がほとんど報道もされず、裁判に対する社会的チェックも全く働いていなかったと言える。例えば2審判決を見ると、妻の死は自殺だという被告側の主張を簡単に退けているのだが、判決文の中でその主張を「自殺ストーリー」と表現している。朴被告の母親も「法廷でその言葉を聞いた時には驚きました。裁判所が使うにはあまりに軽すぎる表現ではないかと思いました」と語っている。

 この事件はそもそも、妻の死を通報した朴被告が駆け付けた警察官に「階段から落ちたことにしてもらえませんか」と話しながら翌日、「実は自殺だった」と説明を変えたことに対して捜査官が不審に思ったことから始まっている。いわば捜査官の「勘」によって朴被告は疑いをかけられ、現場状況を妻殺害疑惑に結び付けられていくのだが、裁判所も被告の主張を「自殺ストーリー」と呼んで退けるなど、ある種の予断を持って審理に臨んでいたのではないかという印象が拭えない。後述するように2審判決の構造も粗雑で、今回最高裁で疑問を呈されたのはその点ではないかと思われる。

 本当は公開されている法廷の審理を取材・傍聴し、チェック機能を働かせるのもメディアの役割だと思うのだが、そうした報道は1・2審の過程でほとんどなされていない。その意味では『クロ現』の取り組みは、有罪判決に独自調査によって敢えて疑問を呈するという、忖度が支配する昨今の大手メディアではなかなか見られないものだった。それゆえに局内外に反発もあったと思われるが、今回の決定によってそういう本来あるべき報道が評価を得ることになったのは喜ばしいことだ。

 ちなみに前述した2審判決を含め、裁判記録のいくつかは「朴鐘顕くんを支援する会」がnoteにて公表している。原文をご覧になりたい方は下記にアクセスいただきたい。 

https://note.com/freepaku05

 月刊『創』がこの裁判に関わることになったのも、朴被告の友人たちが2021年に結成したこの会の活動がきっかけだ。

 最高裁が弁論を開くというニュースは多くの新聞・テレビが報道し、この事件に対する見方が変わったことを受けて、この事件に改めて取り組むメディアが幾つも現れている。ただ前述したように、裁判で何が問われたのか、争点が何なのかなどわかりにくいのが実情だ。

 ここで論点をできるだけわかりやすく整理して、10月27日へ向けた報道の取り組みに供したい、また市民の方々にも何が問題なのか知ってほしい。それが本稿を書こうと思った目的だ。

弁護人が語ったこの裁判の問題点

 裁判の問題点については、実は『創』が最初に2021年7月号に掲載した森達也さんらの座談会がよくまとまっている。貴重なのは、この座談会には弁護人の山本衛弁護士が参加していたことだ。その後、係争中の事件について弁護人がいちいち説明するというのはどうかということなのだろうが、山本弁護士はマスコミにほとんど登場していない。その意味では貴重な座談会で、その中で山本さんは問題点をわかりやすく解説してくれている。全文は下記にて公開しているが、山本弁護士の発言部分をここで改めて紹介しておこう。

https://news.yahoo.co.jp/articles/b4b8bd065edde2ff04e774e52b38817bf53c3dd8

講談社元社員「妻殺害」判決はどうみてもおかしい 森達也/佐野大輔/宮本昌和/山本衛

――最初に弁護人の山本さんから、裁判の経緯を話していただけますか。

山本 この事件は、朴さんが自宅で妻の佳菜子さんを殺害したのではないかと疑われているものですが、発生したのは2016年8月でした。朴さんは任意の事情聴取を受けていましたが、翌年1月に逮捕され、殺人罪で起訴されました。

 公判前整理手続きを経て裁判は2019年2月に始まりましたが、争点は、朴さんが奥さんを絞め殺したのか、奥さんが首を吊って自殺したのかということです。頚部圧迫による窒息死という死因は争いがありませんが、他殺だったのか、自殺だったのかが争われています。第1審は有罪で、朴さんは無実を主張しているので控訴を申し立てました。その控訴審の判決が出たのが今年(2021年)の1月です。控訴棄却、有罪維持という判決で、現在上告中です。

――自殺か他殺か、裁判でどういうことが問題になっているのでしょうか。

山本 争点は多岐にわたっているのですが、特徴的なこととしては、まず寝室の布団に、奥さんのものと思われる尿斑が検出されています。また、奥さんのご遺体の額に少し大きめの挫裂創(ぶつけて皮膚が裂けた傷)があり、そこから出血したような痕がありまして、その血痕が家の中や衣服についていました。ところが寝室にはその挫裂創から出たような血痕は存在しないということが、まず大きなポイントになっています。

 こちらとしては、奥さんは階段のところで首を吊って亡くなったという主張をしています。問題なのは、解剖所見上は、階段で首を吊ったという場合と、例えば後ろから手などで絞め殺した場合とでほとんど変わらないのです。だから死因が何かではなく、額の傷はいつできたのかとか、寝室の失禁はどうして起こったのかとか、自殺か他殺かを考えるうえでそういうところの解釈が問題になっているのです。

 第1審も第2審も、いずれも寝室で朴さんが首を絞めたという認定をして有罪判決を書いているように思われます。失禁というのが窒息する時に見られることのある現象であるということから、寝室で絞め殺したという認定をしているのですね。

妻が亡くなっていた階段の手すり(筆者撮影)
妻が亡くなっていた階段の手すり(筆者撮影)

 では額の傷はいつできたのかということになるわけですが、第1審、第2審ともに明言はしていませんが、朴さんが人為的に作ったと考えているのだろうと思います。寝室には血の跡はないですから、寝室で亡くなった後、朴さんが人為的にその傷を作ったことによって出血したということになっています。

 亡くなった方の体を傷つけても心臓は動いていないので血は出ません。しかし、人間は窒息して意識を失ってもうほとんど回復しないという状態になってから心停止になるまで少しだけ時間があります。死戦期というのですが、その時であれば、心臓も多少は動いているので、なんらかの外力を加えて血管を壊せばそこから血が出てくるということもあり得ます。だから第1審と第2審は、その時点で朴さんが人為的に額に傷をつけたのだと解釈していると思われます。これが1審2審の有罪認定の構造ですが、私たちから見れば、おかしな点がたくさんある。かなり不自然な認定だと思います。

 ひとつ指摘しておかなければいけないのは、朴さんの当初の対応についてです。朴さんは最初に警察が臨場した時に「階段から落ちたことにしてほしい」と言っていたようなのです。自殺したことを子どもたちに知られたくないので、事故として警察に処理してほしいと、親心からそう言ってしまったようなのです。その結果、若干説明が変わっていると警察に疑いを持たれたようなのです。警察には、額の傷も、例えば朴さんが階段から落として転落を装ったことでついたのではないかとか、そういう見立てを最初からされてしまったようなのですね。

 この事件は本当に証拠が薄い。私たちは1審で無罪が出ると思っていましたし、2審はなおさらです。ありえない判決だという思いを持って、取り組んでいるところです。》

弁護側が上告趣意書で提出した妻の遺体の顔写真

 その後2021年8月、上告趣意書が最高裁に提出されたのだが、弁護側がこれは決定的だと考えているのは1枚の証拠写真だ。それについては『創』2021年9月号に書いたが改めて紹介しよう。

 その写真とは2016年8月9日未明に亡くなった佳菜子さんの顔面のカラー写真だが、それまでの裁判に証拠として提出されていたのは、それをコピーしたものだった。2審判決が佳菜子さんの出血状況、顔面の血の跡などを有罪判決の論拠としたため、弁護側はわざわざ病院にあたって、元の鮮明な写真を入手したのだった。

 佳菜子さんの顔面には、額の左側に大きな傷(挫裂創)が残っており、階段から落ちた際にできたとされているが、争点になったのは、その傷を負った時に彼女がどういう状態だったのか、ということだ。検察の主張する他殺説は、その傷を負う前に寝室でのもみ合いで殺害が行われ、朴被告が隠ぺい工作のために脳死状態の佳菜子さんを階段から転落させたという見立てだった。

 朴被告の説明ではそうでなく、階段から転落したと思われる後で、佳菜子さんは階段の手すりに巻き付けた上着を首にかけて自殺したことになっている。だから、その挫裂創の出血状況は、傷を負った時に彼女が脳死状態だったのかそうでないのか判断する材料となる。

 実際、裁判所に検察側が提出した写真では、顔面の左側に血の跡とも影とも見える黒い部分が見えるのだが、2審判決は、顔には痕跡が見られないと断定してしまっているのだ。判決文を引用しよう。

〈自殺ストーリーを前提として、①本件挫裂創からの出血に関する痕跡、②階段上で被害者が窒息死した場合の本件挫裂創からの出血に関する痕跡について検討したところ、①については、被害者の遺体(手・顔)や、血を拭うなどした際に使用した可能性のある物という形で現場に残っているはずの痕跡がなく、客観的な証拠と矛盾し、②については、被害者の遺体(顔)・着衣及び現場(階段上)に残された痕跡と整合しないという状況にある。〉

 顔などに出血の跡が残っていないことが被告側の主張の信ぴょう性を否定すると言い切っているのだ。

 しかし、顔の左側の黒いものは、額から流れた血の跡であるようにも見える。弁護側は上告趣意書で、2審判決が出血の跡を見落としているのは明らかな誤りだと主張しており、それが明らかになれば、2審判決は根底から覆るという。

 本来、それが血の跡かそうでないのかが重要なポイントであれば、裁判で医師の証言を得て、徹底的に審理すればよいと思うのだが、実はそういう議論はなされておらず、弁護側によれば、裁判所が判決でその理屈を持ち出したのは「不意打ち」なのだという。判決でそういう認定がなされたために、弁護側は元の鮮明な写真を独自に入手し、それが血の跡だと確信を得たというのだが、裁判の進め方そのものに疑問を抱かせる話だ。

 そういう例は、ほかにもある。例えば朴被告が妻ともみ合いになった後、幼い二男を抱いて避難したという2階の子ども部屋のドアもそうだ。この記事冒頭の写真で示したように、警察はそのドアごとはずして押収していったのだが、そこに包丁の跡がついていれば、朴さんの証言を裏付けるひとつの根拠になる。弁護側はその鑑定結果を証拠提出したのだが、裁判所はそれを無視しているという。

 知れば知るほど、そういう審理で夫が妻を殺害したという重大な認定が行われてしまってよいものかという疑念が拭えないのだが、ここで、事件現場で何が起きていたのか、公判で主張された自殺説・他殺説両方の概要を説明していこう。

事件の夜、自宅で何があったのか

 佳菜子さんが亡くなるという事件があった2016年8月9日未明、朴さんは午前1時過ぎに帰宅した。昼頃出社してマンガ家からの原稿を受け取り、入稿する作業を深夜まで行い、明け方に帰宅するのが通常の生活だったが、その日は気になったので早く帰宅したのだという。

 夜7時過ぎに電話で話した時の妻の様子が、泣きながら話すような感じでいつもと違っていたからだ。その前には「夕飯作れる気がしない」といった、追い詰められた様子を示すメールも届いていた。

 帰宅後、2階のリビングに行くと、妻の様子が変で、右手に包丁を持っており、「お前が死ぬか私が死ぬか選んで」と言われたという。夫を「お前」と呼ぶこと自体普段あり得ないので、異様さに驚き、「話をしよう」と言って、妻の手から包丁を取り除こうとした。しかし妻の手は包丁を強く握りしめており、立ったまま2人はもみ合いになった。

 その後、妻は「へえ、死にたくないんだ。じゃあ、○○(二男)殺して私死ぬわ」とつぶやいて1階の寝室に降りて行った。夫はその後を追って寝室へ駆け寄り、妻を突き飛ばした。そして、包丁が手を離れたのを見て、倒れた彼女に覆いかぶさった。

 うつぶせに抑えられた妻は、頭をそらすようにして夫に頭突きをして抵抗した。そのもみ合いの最中、妻の頭を押さえようとして夫は、右手を彼女の首の下にねじ込んだ。

 以上、妻が幼い子どもを殺して自分も死ぬと言ったことなどは、朴さんの証言に基づくものといっても、妻の家族からすると辛いものだろう。本来、逮捕事件にならず終わっていたら、公開されなくてすんだプライバシーだ。ただ、現状では、現場のディティールがわからないと、裁判の争点も理解できない。ここでは、あくまでも法廷で朴さんが証言した内容だと断ったうえで話を続けたい。

 寝室でのもみ合いの末に、朴さんは、妻が落ち着いてきたので体を離した、と証言している。でも、その時、佳菜子さんは首を圧迫されて失禁しており、検察の「他殺説」では、現場の尿班などをもとに、ここで朴さんが妻を殺害したことになっている。ただ朴さんの証言ではそうではなく、佳菜子さんは再び起きてきたというから、一時的に気絶したような状態だったのかもしれない。

 朴さんの話によると、夫婦がもみ合っている間、生後10カ月の二男は激しく泣き出し、彼はその子を抱いて、2階へ避難した。二男を抱いた彼の目に、妻が再び包丁を手にしたのが見えたからだ。

 そして子ども部屋に入って、ドアを背にして座り込み、妻が入ってこられないようにした。その部屋には上の子どもたち3人が寝ており、長女などは父親の様子を目撃していたという。

 ドアは外側に包丁を突き当てた跡が12カ所残っていたというから、朴さんの証言を裏付けるように思えるのだが、裁判所は証拠採用したものの、それを無視しているという。

 その後、2階に避難した朴さんの耳に、しばらくすると階段の方からの「ドドドン」という音が二度以上聞こえたという。しばらくしてドアの向こうが静かになったと思い、朴さんが子ども部屋から出て寝室へ行こうとすると、佳菜子さんは、階段の手すりに巻きつけたジャケットを使って、自殺していたという。

 以上が朴被告の主張する話だ。検察側の他殺説では、朴さんは寝室で妻を殺害し、それを隠ぺいするために、脳死状態の妻を階段の上から突き落としたということになっている。

 自殺説、他殺説、問題はそれぞれ現場に残された痕跡と照合ないし矛盾がどのくらいあるかということだと思うが、裁判ではそれを争点として議論がなされておらず、判決でいきなりそれを持ち出すという「不意打ち」がなされているというのが弁護側の主張だ。ちなみに裁判では、解剖医のほかに検察側、弁護側双方の医師が証言を行っている。

 いずれにせよ客観的に見ると、決定的な証拠と思われるようなものは存在せず、こういう審理で朴さんが妻殺しという殺人犯にされてしまうのかという疑問は拭いきれない。

 事件当時、朴夫婦は4人の子どもを抱え、4番目の子どもはまだ生後10カ月だった。朴さんにすれば毎晩深夜帰宅になるという仕事を抱えながら子育てのことも考えなければいけない状況で、そこで大変な負担を抱えている妻を殺害してしまうという動機は考えにくい。検察側の見立てはもみあいになった瞬間に突発的に殺意を抱いたということのようなのだが、そういう判断を下すなら、よほど確かな証拠が求められるはずなのに、決定的なものは明らかになっていない。朴被告が子どもたちに見られないようにと、血を拭き取ったりした後に警察が現場に来ているため、現場の厳密な保存もなされていない。

 自殺説と他殺説が争われたこの裁判、確かな物的証拠があるわけでもなく、検察側の主張に全体が引っ張られている印象は否めない。本来なら「疑わしきは被告人の利益に」という原則が適用される事例であるような気がしてならないのだ。

朴被告の母親が語る家族のこの6年間

 さてもう事件から6年が経過し、当初、児童相談所が預かろうとした朴被告の4人の子どもたちを育てているのは、大阪から上京した朴被告の母親だ。

 今年70歳を迎えた彼女が、4人の小さな子どもたちを一人で育てるという、本当に大変な生活なのだが、家族は一丸となって助け合いながら、父親が無罪になって帰るのを待ち続けている。その様子については『創』は二度にわたって母親の詳しいインタビューを掲載しているのだが、2022年7月号に掲載したインタビューのごく一部を改めて紹介しておこう。

《息子の朴鐘顕への面会は、私は3週間か1カ月に1回くらいしていますが、子どもたちは学校もあるので春休みとかを利用して会いに行っています。昨年1月に2審の判決が出るまでは、息子も私たちも無罪になって息子が帰ってくると信じていたので、子どもたちの面会はしていなかったのです。拘置所の面会室で子どもたちに会うというのは親にとってもつらいことなので、家に戻ってから会おうと言っていたのです。

 でも2審も有罪だったので、その判決が出た後は、子どもたちも面会に行くようになりました。面会は一度に3人までなので、私のほかに2人の子どもを交互に連れて行っています。

 特に4人の子どもたちの末っ子にあたる二男は、事件当時まだ赤ちゃんでお父さんの顔を記憶していません。だから父親の顔を覚えてもらおうと、2審が終わった後、最初は多めに面会に行きました。

 その後も子どもたちは面会に行っていますが、二男は面会室でもよくしゃべるので、他の子と一緒だと他の子がしゃべる時間があまりないのですね。面会時間は20分です。だから二男については、この子だけ連れて面会に行ったことが何度かありました。

 今年はその子が6歳になり、小学校に入学したのですが、「パパは小学生の頃、どんな子だったの?」とか「駆けっこは速かったの?」とか、いつも父親を質問攻めにしています。

 春に面会に行った時には、拘置所の近くに咲いていたれんげ草を摘んで、「これをパパにプレゼントしたい」と持って行きました。でもそれを面会室に持って入るのはだめだと言われました。ただ聞いてみると、拘置所の売店に売っているお花なら差し入れできるということなので、今度の父の日にはお花を差し入れすることにしています。

 そういえば入学式の前後に面会した時も、あの子が「パパに見せるんだ」と言ってランドセルを背負っていったんです。それもだめと言われたので、ランドセルの中には何も入っていないからと見せて3回お願いしたのですが、やはり規則なのでダメですと言われました。しかたなく面会室に行く前にロッカーに入れて、父親にランドセルを見せることはできませんでした。》

長女が金賞をとった習字は「強い信念」

《子どもたちはこの春、長女が中学3年で来年が高校受験です。その下の長男は中学に入学したのですが、本人の希望で区域の違う学校に通うことになりました。入学式の後の保護者会で私も自己紹介しましたら、後で別室で学年主任の先生と担任の先生が話す機会を作ってくださり、息子や子どものことを説明しました。

 下の2人の子が通う小学校でも保護者会があったので先生に説明しています。幸い、今のところ子どもたちは、学校で友人に親や事件のことを言われるといったことはないようです。父親が逮捕されて大きく報道された時には、学校の先生たちもピリピリしたようですが、それから何年もたって、今は先生もあまり思い出す機会がなくなったと言っています。

 長女は以前から絵を描いたりするのが好きでしたが、中学ではイラスト部に入っています。小学生の頃から文京区の展示会に出品したり、交通安全のポスターを頼まれて描いたりしていました。去年は鎌倉への社会見学のしおりの表紙を任されて描いて、私にも「見て見て」と言って持ってきたし、父親にも面会室でアクリル板越しに見せていました。

 イラスト部の作品展も3月にあるのですが、今年は子どもたち全員を連れて見に行きました。長女の作品がいっぱい飾ってあって、後で「どうだった?」と聞くので「良かったよ」と言ってあげました。絵だけでなく、工作も得意だし、いま家に飾ってある「強い信念」という習字も冬休みの課題として提出したのですが、金賞をとったと言っていました。》

二女のおみくじは「待ち人、来たる」

《子どもたちは1日でも早く父親が帰ってくるのを願っています。今年1月4日に小学5年生の二女が神社でおみくじを引いたら大吉で「待ち人、来たる」と書いてあったんです。そしたら帰り道に二女が「待ち人、来たる」だから、「今年はパパが帰ってくるよね」と言っていました。「春頃かな、パパの誕生日には帰ってくるのかな」と言っていたのです。そのことを息子あての手紙に書いてあげたら、読みながら泣いてしまったと言っていました。 

 ふだんは母親の話は子どもたちがつらくなると思ってあまりしないのですが、1階の母親が使っていた部屋には祭壇を設け、ふだんは私がお花を活け、命日などには子どもたちがお花を飾ってみんなでお参りしています。母親の誕生日も4月だったのですが、今年は子どもたちに、4人でお金を出し合って自分たちでお花を買ってみたらと提案しました。そしたら誕生日と母の日に、200円ずつお金を出し合って花を買ってお参りしていました。

 そんなふうにいつも母親のことをお参りしていれば、どうして僕たちを置いて死んじゃったのというふうに思うこともないと思います。一番下の子はまだ事情がよくわからないかもしれませんが、大きくなったらわかってくれると思います。その二男は、小学校の参観日にも、周りの子は母親が来るのに自分はおばあちゃんが来るということについて、おばあちゃんはお母さんの代わりだねと言っていました。

 私も、1日も早く息子が帰ってきて、子どもたちと一緒に暮らしてほしいと思っています。今は鐘顕が子どもたちに接する機会は面会と手紙だけですが、手紙はよく送ってきます。子どもたち全員に宛てた手紙と一人ひとりに宛てた手紙を一緒に大きな封筒に入れて送ってくるのです。

 夕飯の後に「きょうはパパの手紙を読もう」と4人を集めて、テーブルで全員に宛てた手紙を私が読んできかせます。便箋10枚くらいですが、鐘顕は毎回テーマを決めて書いてきて、「パパ教室」と呼んでいます。「パパ教室の始まりー」という書き出しで、きょうはこの話をしようと書いてあるんです。》

 ここに出てくるパパの手紙の実例は下記に掲載したので興味ある人はご覧いただきたい。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20220612-00300456

元講談社「妻殺害」裁判被告が獄中から4人の子どもに送ったウクライナ戦争についての手紙

 母親のインタビューの一部をここで紹介したのはほかでもない。朴被告の二女が神社でおみくじを引いたら大吉で「待ち人、来たる」と書いてあったという話がいま、「やっぱり本当だった」と家族の間で話題になっているというのだ。

 10月27日に無罪判決が出たらもちろんのことだが、差し戻しだったとしても弁護側は改めて保釈申請を行う予定で、家族全員が今度こそ朴被告を迎え入れることを強く願っている。

 事件当日まだ幼かったが、現場状況の説明にも出てくる末の男の子は、上の3人の子どもが2階の子ども部屋のベッドで寝ているのに対して、そこが4人では狭いという理由で、祖母とともに1階に寝ている。そして「パパが帰ってきたらどこに寝てもらうの?」と口癖のように心配しているという。

 小さな子どもたちの願いが、ぜひかなえられるように祈りたい。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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