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「頂き女子りりちゃん」の「被害弁済プロジェクト」は犯罪への社会的対応として注目すべきものだ

篠田博之月刊『創』編集長
「頂き女子りりちゃん」がアップしたとされる動画(筆者撮影)

最高裁に上告したその理由とは…

「頂き女子りりちゃん」こと渡邊真衣さんが2024年9月30日に出された控訴審判決の懲役8年6カ月罰金800万円に対して最高裁に上告し、現在審理中だ。この上告や、その後、支援者の立花奈央子さんがプロデューサーとなったこの事件をテーマにした映画を制作するとの発表に対して、「金儲けするのか」「被害者のことを考えろ」といった反発がなされているようだ。

 上告したことや、そもそも渡邊さんがウェブで有料の手記をアップしていることなどは、進行中の「被害弁済プロジェクト」のためだ。上告せずに刑を確定させてしまうと、今手がけていることを中断せざるをえない。よって軌道に乗るまでは裁判を終了させるわけにはいかないというわけだ。

 私は、今行われている「被害弁済プロジェクト」は、こうした犯罪に加害者やこの社会がどう対応すべきかについて一つの案を提示しており、そのことについてもう少し踏み込んだ議論をすべきだと思う。

 その「被害弁済プロジェクト」の進捗状況について、10月23日19時から阿佐ヶ谷ロフトで開かれた「頂き女子りりちゃんについて話す会 第二夜」では詳しい説明が行われた。渡邊真衣さんを支援している作家・編集者の草下シンヤさんと写真家の立花奈央子さんを中心に、何人かのゲストをまじえてトークが行われたのだが、そこでプロジェクトの中間報告もなされたのだった。

犯罪にこの社会はどう対応すべきか

「頂き女子りりちゃん」事件については、以前ヤフーニュースにも書いた。

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/326d686e7133b1ccd842257d6fd5467f32078946

9月30日第2審判決!「頂き女子りりちゃん」が面会室で語った小児期体験

 渡邊被告が男性3人から約1億5000万円を騙しとってホストクラブにつぎ込んだという事件だ。その詐欺罪だけでなく、詐欺の手法をマニュアル化して販売した罪や、脱税などの罪にも問われている。

 2023年8月に逮捕され、24年4月22日に名古屋地裁で懲役9年罰金800万円の判決が出された。被告側が控訴し、9月30日に出された控訴審判決では懲役8年6カ月罰金800万円と、1審判決から少し軽減された。これは渡邊さんがお金をつぎ込み逮捕されていたホストが、ある程度の被害弁済をしたからと言われている。

 逮捕時の報道などを見て、渡邊さんを「とんでもない人」とイメージした人は多かったと思うが、前に書いたように、実際はそう単純ではない。子どもの頃、アトピーのために学校で「ばい菌」などと言われ、家庭でも父親の暴力、母親の無関心という「逆境体験」にさらされて、この社会に居場所がないと感じていた。私が8月に接見した時、現在26歳の渡邊さんは「(20歳の頃は)生きる意味を見いだせないまま、アルコール生活にもなっていました」と語っていた。

 その後、彼女は、誘われて行ってみたホストクラブで、ホストがグイグイ言ってくるという「それまでなかった体験」をし、のめりこんでいく。ホストはもちろん営業でそうしているのだが、彼女にとっては、承認欲求を満たされるという今までなかった体験だったわけだ。

 生きる意味を見いだせないでいる20代の女性からそんなふうにしてお金を吸い上げるシステムがホストクラブにあったわけだ。この事件を機に、警察はホストクラブにもメスを入れた。

 この事件をめぐってとても興味深いのは、草下さんら支援者が関わることで、渡邊さんが被害弁済に取り組むことになったことだ。この犯罪に、社会がどう対応すべきかというひとつのあり方を、この経緯は示したと言えるかもしれない。

渡邊さんから筆者への手紙
渡邊さんから筆者への手紙

「被害弁済プロジェクト」の持つ社会的意味

 その「被害弁済プロジェクト」の中身だが、例えば渡邊さんが獄中で書いた手記を、ネットのnoteで有料で公開してその収益を弁済にあてる。また渡辺さんの書いたものをXにあげている「りりちゃんはごくちゅうです。」という獄中日記も書籍化の計画があるという。

 逮捕時に渡邊さんの手元にはほとんどお金が残っていなかったというから、草下さんらの協力がなければ、そうやって弁済のための収益を確保するというのは不可能だったろう。彼女のXは約30万人のフォロワーがつくこと、渡邊さんの感性に時代性が反映されていたことなど、要因はいろいろ考えられるが、いずれにせよ犯罪を犯した側が社会的活動によって被害弁済を図るという、異例の動きが始まったのだった。

 後述するが、その「りりちゃん、しゅき。」と名付けられたnoteの有料手記は、9月から公開されて、月に100万円単位の売り上げをあげている。それらを被害弁済に充てるために、売り上げは、新設された合同会社「いぬわん」で管理されている。渡邊さんは脱税の罪にも問われていて、売り上げがそのまま彼女に渡されると差し押さえられてしまう。被害弁済を行うための仕組みをそんなふうにして作り上げたことなど、この「被害弁済プロジェクト」は、様々な社会的意味を持っているといえる。

noteに公開の手記の売り上げを被害弁済に

 10月23日の阿佐ヶ谷ロフトのイベントの概容について、終了後、立花さんがXにこう投稿していた。

「★第一部

 ①渡邊さんの近況

 ②りりちゃんと歌舞伎町 ゲスト:南条京垓

 ③ホスト主導の被害者への弁済計画 ゲスト:右京遊戯

 ④質疑応答

★第二部

 ⑤会計報告(X、note)今後の弁済計画について

 ⑥歌舞伎町の次を創るマガジン ゲスト:増田ぴろよ

 ⑦映画プロジェクト ゲスト:小林勇貴

 ⑧質疑応答

 本イベントによる収益金は全て弁護士管理の口座に入金され、弁済活動に充てられます」

 第1部の南条さんと右京さんは現役ホストということで、りりちゃん事件がホストクラブの業界でどう受け止められ、どういう変化が訪れたかを語ったのが興味深かった。

 ホストに財産をつぎこんだ女性客が追い詰められて売春を行ったり、自殺を試みるといったことはこれまでも指摘されてきたが、ホスト自身も自分たちのやっていることが法的にみてどうなのか、いわばグレーゾーンだったという。それがりりちゃん事件でホストが逮捕されるなどして、何が罪になるのか示されたことは、ホストの間でも、良かったのではないかと受け止められているという。渡邊さん自身は、自分の事件でホストクラブの業界の恨みを買っているのではないかと心配していたらしいが、実際はそうでもなかったというわけだ。

 立花さんのXでも触れられているが、ホストの右京さんは9月に渡邊さんに接見し、自分なりに被害弁済を支援する取り組みを考えているようで、ロフトのイベントでも構想を語っていた。詳細が決まり次第、SNSで発表するという。

 草下さんたちの「被害弁済プロジェクト」で、今のところそれなりの収益になっているのはnoteの売り上げだ。ロフトのイベントで報告されたが、手記が公開され始めた9月の売り上げは約67万円で、手数料などを引くと60万円弱になるという。

 立花さんは、それがご祝儀相場で翌月は落ちるのではと心配したと語っていたが、ふたをあけてみると10月は売り上げが伸びて約120万円、手数料などを引いて約100万円になったという。

映画『頂き女子』の製作を発表

 10月23日のイベントでは、そのほか2人のゲストが紹介された。ひとりは、渡邊さんに月に2回ほど接見しているという女性で、『月刊頂き女子』という冊子を作成している。渡邊さんの描いたマンガも収録されているその冊子は、「月刊」とうたってはいるが、そのイベント時点で第2号まで発行されているという。書店に置いてもらえないかと交渉したが断られたと語っていた。一般書店は難しいだろうが、新宿の模索舎のようなミニコミ販売の書店では販売できそうな気がする。

 そしてもうひとつ、こちらはその後、ネットでも話題になっているが、「頂き女子」という映画の製作発表だ。ゲストとして登壇したのは監督の小林勇貴さんだった。そして立花さんがプロデューサーを務め、キャストも主演の月街えいさんが既に決まっているという。

 立花さんのこういうコメントがネットに公開されている。

「これほどの事件ですから、必ず誰かが映画を作ってくれます。経験もお金も力もある人たちがきっとうまくやってくれることでしょう。だけど、渡邊さんの思いを一番純粋な形で作品にできるのは、一部始終を内側から見てきた自分たちしかいない、と自負しています。

 映像化に際し、犯罪行為を美化したり犯罪者をまつりあげる意図はありません。事件の背景と構造を読み解き、作品を通して広く知ってもらうことが、類似事件の防止や、社会問題の認知・改善に繋がると考えています」

 渡邊さんのコメントも公開されているが、興味深い内容だ。一部引用しよう。

「私は今までずっとなるべく早く死にたいと思いながら生きていました。 毎日は当たり前に幸せじゃなくて、むしろ窮屈で辛くて爆発してしまいそうで、このまま生き続けても全くもって無意味だと感じていました。誰も私のことを必要としなかったし、私も私が必要じゃなかった。 私は自分が一体誰なのか わからなくなってしまいました。だけど、私は6年前のあの日、歌舞伎町にきて、私、変われたんです。こんな私の存在を、求めて、認めてくれる人と、出会えました。私はこの町で、この人と出会うために、今まで生きてきたんだと思えました。

 私は産まれて初めて幸せって思えたんです 。だって、その人といると本当の私でいられるような気がして、私、ここにいても、まだ生きていても、いいんだってそうやって思えて、私幸せで、私は、私に幸せを与えてくれるその人のためならなんでもしたいと思いました。こんなめちゃくちゃな世界を憎んで憎んで、私できることなんでもしました。こんな世界は破滅してもいいと、明日全部がオワってもいいと、そう思って毎日毎日、わからないけど、よくもう、わからないけど途中から、わかりたくなくなっちゃって、怖くなってきて、もう、でも、もどれない、もう、私どうなっちゃってもいいからがんばりました。もう、もう、すべてが イヤだった。ごめんなさい。ばかでごめんなさい」

「まっすぐ生きてきたつもりだったけど ぐちゃぐちゃだった。ずっと信じてた正解はまちがいだった? まだ生きてても いいのかな。生きたいって思えるように なるのかな。みんなが幸せになったらいいなって思う。私になにができるのか わからないけど、私なんでもするから。少しでもみんなに幸せを与えられたらなって思う」

 ネットには予告編の映像が公開されている。

控訴審判決日には母親も傍聴に

 9月30日に控訴審の判決が出されたことは前述したが、実はその法廷には渡邊さんの母親も傍聴に訪れていた。そして東海テレビの取材に応じてこう語っている。

「これ(手錠)やっているじゃないですか。私は初めて見たから。そこから(涙が)ばーですよ」

「(控訴審判決で減刑されたことは)率直にうれしかったです。裁判長の話を聞いて(被害者)に申し訳ないという気持ちはありました」

 その後10月3日には渡邊被告に面会も行ったという。

 渡邊さんはnoteの手記の中でも母親のことを何度も書いている。両親との関係がどうだったのかは、彼女の事件を理解するうえで大事な要素だ。事件を機に母親も娘との関係を改めて考えているようで、ホストクラブとはどういうところなのか実際に足を運んでみたりもしているという。

 その母親が裁判で情状証人になるのを断ったことなど、この間、母と娘の間にもいろいろなことがあったが、それについて語った渡邊さんの言葉を10月号から引用しておこう。

《母親とはどういう関係だったのか。事件後、母親は面会にも来ているという。ただし最初の面会を受けいれたのは1審の判決が出てからだったという。

「4月22日の判決までは会いたくないと思っていました。母の前ではたぶん私はいい子を演じて笑顔で接することになるし、求刑などを聞いてメンタルが落ち込んでいたので面会を断っていました」

 実は判決公判前の3月15日の公判では、情状証人として草下さんと立花さんが出廷してくれたのだが、母親に対しては弁護人が証人を頼もうと電話したら断られたという。

「情状証人には親が出てくることが多いと聞いていたので、出てくれないんだなと思いました。母はその後、面会に何度か来ているので、なぜ情状証人を断ったの?と訊いたことがありました。

 そしたら、自分も精神状態が良くなかったし、周りにも止められたと言うのですね。それを聞いた時、私は周りに頼れる人などいなかったので、母には止めてくれる人がいたんだと、そこを羨ましいなと思いました」》

 最後の感想は、え、そこなの?と思ってしまうが、この感想はいかにも渡邊さんらしい。

 この事件と「被害弁済プロジェクト」の行方については、興味深いのでもう少しフォローしてみたいと思う。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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