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宝塚記念でパンサラッサの手綱を取る吉田豊の、ドバイ制覇の後日譚

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
ドバイターフ(GⅠ)のパドックでのパンサラッサと吉田豊騎手。右が矢作芳人調教師

ドバイターフ(GⅠ)制覇のその後

  26日、阪神競馬場で宝塚記念(GⅠ)が行われる。

 この春の末尾を飾るグランプリレースに出走する18頭の中に、パンサラッサ(牡5歳、栗東・矢作芳人厩舎)がいる。この馬とタッグを組むのが吉田豊騎手(47歳)。前走のドバイでは見事にドバイターフ(GⅠ)を逃げ切り勝ち(1着同着)。当時のエピソードは「ドバイターフでパンサラッサに騎乗する吉田豊と、依頼した矢作の漢気溢れる逸話」や「吉田豊、悲しみを乗り越えた先にあったドバイでの勝利」で記したが、実はこの話にはまだほんの少しだけ、続きがあった。

ドバイのホテルでの吉田豊騎手。窓の向こうにはドバイの街並みがみえる
ドバイのホテルでの吉田豊騎手。窓の向こうにはドバイの街並みがみえる

海外遠征を助けてくれた1人の男

 1994年にデビューした吉田。以来、毎年、夏の開催は福島か新潟に参戦しているが、デビューした年は北海道に滞在した。スポット参戦を除き、函館、札幌にフル参戦したのは唯一このデビュー年だけ。そして、この時、たまたま知り合ったのが当時まだ調教助手だった矢作芳人だったのだ。

 リージェントブラフがドバイへ遠征した2004年、矢作を招待したのは既報の通りだが、実はこの当時、吉田はたまたま毎年のように外国へ飛ぶチャンスを掴んでいた。02年にはスマイルトゥモローでオークス(GⅠ)を、04年にはショウナンパントルで阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ)を勝つなど大舞台で活躍した吉田が、初めて海を越えてレースに臨んだのは01年。師匠の大久保洋吉が管理するメジロダーリングで香港スプリント(GⅠ)に挑んだ。

 「武豊さんがステイゴールドで香港カップ(GⅠ)を勝たれた年です。他にもアグネスデジタルやエイシンプレストンが勝って、日本馬が大活躍したけど、自分は勝ち負け以前に海外競馬の勝手が分からず、蚊帳の外(13着)でした」

 03年には夏の約1ヶ月をフランスで過ごした。ドーヴィル競馬場近くに居を構え、毎朝、同競馬場で地元馬達の調教に跨った。当時、私も現地へ飛び、1週間ほど彼と一緒にいた。しかし、20年近く昔の話でデジカメもなかったため、今回、写真を探したが見つからなかった。そのくらい隔世の感がある出来事だったわけだが、この遠征が実現した裏には、1人の男の力添えがあった。

04年にはショウナンパントルで阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ)を制した吉田豊。この当時は毎年、海外へ飛ぶチャンスがあった
04年にはショウナンパントルで阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ)を制した吉田豊。この当時は毎年、海外へ飛ぶチャンスがあった

 例の矢作との縁が強固になったリージェントブラフによるドバイ遠征は翌04年の話なのだが、この馬のオーナーである大原詔宏氏が、03年のフランス遠征を全面的に支えてくれていたのだった。

 「大原さんが全てのサポートをしてくださり、向こうへ行ける事になりました。遠征前、最後の日本の騎乗で落馬して怪我をしたため、出発が1ケ月くらい遅れたのですが、そのあたりの対処も全てやってくださり、最終的にフランスで1ケ月過ごせました」

 今回のパンサラッサでのドバイは、彼にとっては久しぶりの海外遠征だったわけだが、それでも「初めてでなかったのは大きい」と口を開くと、更に続けた。

 「昔の事といえ、何回か海外を経験させてもらっていたので、余計な緊張をしないで済んだと思います」

 そして、そんな精神状態で挑めたからこそ、パンサラッサを頂点へいざなう騎乗が出来たのだろう。

ドバイターフ(GⅠ)で1着同着だったパンサラッサ(右)と吉田豊
ドバイターフ(GⅠ)で1着同着だったパンサラッサ(右)と吉田豊

世界を制した後に届いた思わぬ報せ

 自身初となる海外GⅠ制覇は、08年のブルーメンブラットによるマイルチャンピオンシップ(GⅠ)以来、自身10度目となるGⅠ優勝劇でもあった。

 さて、嬉しい想いと共に帰国した吉田だが、新型コロナウィルス騒動の余波で、隔離を命ぜられた。

 「同じ飛行機に乗っていた人から陽性者が出たらしく、濃厚接触者扱いになり、3日くらいホテルで隔離となりました」

 結局、3日を待たずに解除される事になるのだが、その隔離中に思わぬ連絡が入った。

 「携帯に、大原さんのご子息から連絡が入りました」

 大原氏の訃報だった。

 「亡くなられてすぐに連絡をくださったようですが、ドバイで僕が勝った事を認識されていたかどうかは分かりません」

 本日行われる宝塚記念(GⅠ)で、吉田はドバイ以来となるパンサラッサとのコンビを組む。空の向こうにいる海外遠征の恩人に、朗報が届けられるか。その逃げ脚に注目したい。

ドバイターフ(GⅠ)制覇直後の吉田豊
ドバイターフ(GⅠ)制覇直後の吉田豊

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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