ドバイターフでパンサラッサに騎乗する吉田豊と、依頼した矢作の漢気溢れる逸話
18年前のドバイでのエピソード
現地時間24日の早朝。吉田豊がドバイ入りする。彼がこの地に降り立つのは2004年以来。当時、所属していた大久保洋吉厩舎で主戦を務めていたリージェントブラフがドバイワールドカップに挑戦。メイダン競馬場が出来る前のナドアルシバ競馬場で、このレースに参戦した。
その時、そのレースぶりを見守ったのが、当時は技術調教師だった矢作芳人。調教師試験には合格したが、開業までの猶予期間を利用して、後学のため、海を越えた。そして、ここに現在につながる1つのいきさつが生まれた。
出走馬の関係者は主催者側からの招待となるこのドバイミーティング。吉田豊も当然、招待されていた。そして、当時は招待騎手1人につきもう1人、同行者の招待も認められていた。そこで吉田は矢作を誘ったのだ。吉田が振り返る。
「僕は結婚もしていないし、とくに連れて行く人のアテはありませんでした。当時の矢作先生は技術調教師で勉強したいという気持ちと時間もあるようなので、せっかくなら先生に使ってもらおうと思いました」
ところがその後、予想外の事が起きたと言う。
「僕の兄貴が急に『行ってみたい』と言い出したんです」
とはいえ同行者の招待枠はもう無い。そこで兄の分を招待に回し、矢作の分は吉田が自腹を切って一件落着した。
ドバイを舞台にした物語の続き
それから18年が過ぎ、今年の中山記念(GⅡ)を矢作厩舎のパンサラッサで逃げ切った吉田。続くドバイターフ(GⅠ)も引き続き吉田に依頼した理由を、矢作に聞くと次のような答えが返ってきた。
「パンサラッサは吉田豊君で2戦2勝です。本来なら前走や福島記念のような小回りコースが合うのでしょうけど、豊君は東京の2000メートルでも勝っている。この馬との相性は抜群と思えるので替える理由がありません」
当たり前のようにそう答えるが、吉田に確認すると次のような裏話が漏れてきた。
「矢作先生に『ドバイも僕で良いんですか?』と聞くと『豊には恩があるからな』と答えられました」
18年前のドバイで、矢作は吉田兄弟を食事に誘うなどして、当時の経緯を耳にしていた。「パンサラッサには吉田豊君が合っている」という言葉に嘘はないが、同時に18年間、ずっと恩返しを出来る機会をうかがっていたのも事実だろう。
ドバイターフは日本時間27日0時20分、発走する。シュネルマイスターやロードノースら相手は決して楽ではない。しかし、ゲートが開いた後、強敵を相手に果敢にハナを切るであろう吉田とパンサラッサの姿は鮮明に見えている。矢作の漢気溢れる想いを乗せ、逃げろ、パンサラッサ!行け、吉田豊!
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)