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騎手時代の悔しい思いを調教師として晴らせるか?! 今週末のGⅠでのエピソード

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
チャンピオンズC連覇を狙うレモンポップと田中博康調教師

騎手時代の乗り替わり

 当時騎手だった田中博康から「海外へ行きたい」と相談を受けたのは2011年の終わりか11年の頭だった。

 「なるべく長期で滞在して、現地の競馬で騎乗機会を求めたい」

10年、フランスに長期滞在した際の田中博康当時騎手
10年、フランスに長期滞在した際の田中博康当時騎手

 20代半ばだった彼はそう語った。結果的にフランスの厩舎を紹介すると11年の春から12年初頭にかけて約9カ月も異国で滞在する事になった。09年にはクィーンスプマンテを駆ってGⅠエリザベス女王杯を逃げ切っていたが、このタイミングでの海外挑戦の理由を問うと、彼は言った。

 「成績も落ちて来たし、シルクメビウスも乗り替わりになってしまったので、騎手としてもっと上手くなるために何か起爆剤が必要だと考えた結果、まずは海外で学びたいと思いました」

 シルクメビウスとのタッグでは09年にユニコーンS(GⅢ)、10年には東海S(GⅡ)やブリーダーズGC(JpnⅡ)を勝っていた。

 ただ、大舞台では09年のジャパンCダート(GⅠ)が2着、翌10年の同レースでも5着に敗れると、ここで乗り替わりが告げられた。

10年ジャパンCダート(GⅠ)。後方が田中博康騎手のシルクメビウスで前方は勝ったトランセンド。田中騎手はこの敗戦で乗り替わりとなった
10年ジャパンCダート(GⅠ)。後方が田中博康騎手のシルクメビウスで前方は勝ったトランセンド。田中騎手はこの敗戦で乗り替わりとなった

 「上手には乗れていなかったと思うので、自分でも納得の騎手変更でした。むしろそれまで乗せ続けてくださったオーナーや領家(政蔵)調教師、厩舎スタッフの皆さんらには感謝の気持ちがありました」

 本人はそう言うが、ジャパンCダートの勝ち馬はそれぞれエスポワールシチーとトランセンド。ダート界では一時代を築いた馬達でもあり、仕方ないと思える面もあったが、思慮深い田中は言う。

 「メビウスにはほとんどのレースで乗せてもらっていました。でも、出して行くような競馬を最後まで出来ませんでした。もしかしたら他の一流の騎手が乗り続けていれば全く違う走りの馬に教育していたかもしれません。例えば最近ではドウデュース。厩舎の力や馬自身のポテンシャルは勿論大きいでしょうけど、同時に武豊さんが競馬を通して教えて来たからこそ、今の強さがあると思います。僕にはそういう乗り方、教え方が出来ませんでした」

武豊騎手の存在が大きいと語るドウデュース
武豊騎手の存在が大きいと語るドウデュース

 自分の事となると感情に走る人も多い中、冷静に俯瞰して考えられるのが田中の強みである。とはいえ当然ながら悔しいという感情は、少なからず抱いていた。

 「重賞も勝たせてもらう等、メビウスで目立った活躍が出来た事でクィーンスプマンテ陣営からも声をかけてもらえた感じがありました。だから彼のお陰でもっと頑張ろう、もっと上手くなろう、という気持ちが増しました。それなのに結果を出せず、そういう意味で悔しい気持ちがありました」

 そんな気持ちがありながら、17年には調教師免許を取得し、あっさりと鞭を置いた。僅か5~6年での心境の変化。何が起きたかを尋ねると、彼は答えた。

 「海外へ行ったり栗東へ行ったりと、自分なりにもがいたけど、正直ジョッキーとしてやって行くためのスキルが足りないと感じました。それでもメビウスのお陰で重賞を勝てたし、スプマンテでG Iも勝たせてもらえました。だからスパッと切り替える事が出来ました。思うように行かなかったもどかしさや悔しさはあったけど、それを調教師になって晴らしたいと考えるようにしました」

クィーンスプマンテと田中博康騎手(当時)
クィーンスプマンテと田中博康騎手(当時)

レモンポップで連覇を目指す

 こうして18年に開業すると、昨年の根岸S(GⅢ)をレモンポップで勝利し、調教師として重賞初制覇。更に同馬とのコンビでフェブラリーS(GⅠ)も優勝し、一気にGⅠトレーナーへと昇華した。

 その後の活躍は枚挙に暇がない。ローシャムパークやレーベンスティール、ミッキーファイトらで重賞を優勝。開業から初重賞制覇まで5年弱を要したのが嘘のように次々とタイトルを掌中に収めた。

 また、今年はローシャムパークでアメリカのブリーダーズCターフ(GⅠ)を2着した他、先週の11月24日現在でJRA43勝。関東リーディング2位で、地方での3勝を加えると同首位。勝率は全国トップを独走している。

ローシャムパークではアメリカのBCターフ(GⅠ)を2着に健闘した
ローシャムパークではアメリカのBCターフ(GⅠ)を2着に健闘した

 そして、先出のレモンポップでは昨年のチャンピオンズC(GⅠ)も制覇。今週末行われる今年の同レースで連覇を狙っている。

 「昨年勝ってはいるものの正直1800メートルはこの馬には長いし、年齢的なモノか当時に比べると迫力は感じません」

 これだけ聞くと不安になるが、田中が慎重に言葉を選んで“泣く”のはいつもの事。これには本人も苦笑して続ける。

レモンポップ
レモンポップ

 「オーナーも『この調教師はいつも自信がないとか、距離が長いとか、ネガティブな事ばかり言う』と思っている事でしょう。実際ここまでも毎回のように弱気でしたけど、レモンポップは常に期待以上に走って来てくれました。一所懸命にやってくれるスタッフと、レモンポップ自身の頑張りのお陰で、毎回助けてもらっています。GⅠ連覇ではないけど、好結果が出るように、やれるだけの事はやっています」

 今回は同馬のラストラン。レース後には引退式が行われる。チャンピオンズCの前身は騎手時代の田中がシルクメビウスとのコンビで2度にわたり悔しい思いをしたジャパンCダートだ。調教師としては2度制し、騎手時代の悔しさを晴らせるか。レモンポップにとって大団円となる事を期待したい。

騎手時代、シルクメビウスと共にチャンピオンズCの前身ジャパンCダートに挑んだ際の田中博康現調教師(09年)
騎手時代、シルクメビウスと共にチャンピオンズCの前身ジャパンCダートに挑んだ際の田中博康現調教師(09年)

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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