「理想の夫婦」の日常に、突然パックリと口を開けた”底なしの断絶”
今回は「4月の絶対面白い映画」の中から『さざなみ』をご紹介します。この間のアカデミー賞でシャーロット・ランプリングが主演女優賞にノミネートされた作品ですが、”白すぎて男社会すぎる”アカデミー賞で、70歳の女優がノミネートされたのは、本当にすごいこと。その演技が、なんてことのない老夫婦の一週間を「どうなっちゃうの?」というすごいサスペンスに仕上げています。特に既婚者には、ぐさーーーーっ……と刺さる作品。怖いですね~。まあ気にせずいっちゃいますけども!
まずは物語。主人公は初老の女性ケイト。夫ジェフとの間には子供こそいませんが夫婦円満で、週末には結婚45周年のパーティーを開くことになっています。映画はその週の月曜日スイスから届いた不穏な手紙から始まります。それはジェフがケイトと出会う以前に付き合っていた恋人カーチャの遺体が氷河で発見されたいう知らせでした。ジェフと訪れたスイスでの登山中、カーチャだけが氷河の裂け目に落ちて行方不明になっていたんですね。君に話したことがあったかな、彼女は君に会う以前の恋人で、氷漬けの遺体は若いままらしい、スイスまで行った方がいいのかな――と、ジェフは激しく狼狽え始めます。ケイトはとりあえずは夫を宥め、その場は収まったように思えたのですが、この小さな事件をきっかけに「理想の晩年」を迎えたはずの夫婦の中で何かが狂ってゆきます。
さて、シャーロット・ランプリング演じるケイトは「長年連れ添って、お互いに何もかもわかってるし、一緒にいて一番居心地がいい。確かに男女関係の生々しさはなくなってはいるけれど、穏やかに二人で枯れていくのも愛よね」というふうに思っている奥さんです。すごく一般的な、どこにでもいる「家族」になった夫婦だと思いますが、そういう人たちが自分の中の「女」や「男」を完全に諦めているかといえば、さにあらず。
ただ「内であれ外であれ、相手は“そういう生っぽいのはもういい”と思っている」という思い込みと信頼のもと、「まあそれも悪くないから」と折り合っているだけです。その暗黙の了解を片方ーージェフが裏切った時に何が起こるかを、映画は描いてゆきます。
でも「ジェフは“裏切って”ないじゃん」って思いますよね。だってカーチャはケイトと出会う前の恋人だし、もう死んじゃっているんですから。じゃあケイトにとって何が裏切りだったのか。これはなかなか複雑で一言で言うのは難しいんですが、ジェフが「カーチャ」から想起するものが何なのかがわかると、おぼろげながらに見えてきます。
まずは「恋愛感情」です。
ケイトはカーチャの存在は知っていたのですが、遺体発見に狼狽えたジェフは、ケイトが知らなかった、知りたくもなかった事実を次々と話し始めます。「そんな昔の女にそこまで嫉妬するか?」と思うんですが、これはジェフが「そんな昔の女にそこまで動揺するか?」ってことの反応です。これが打ち明けられた事実と合わせ技で嫉妬となり、ケイトを蝕んでゆきます。
第二に「若かった日々」と、その裏返しとしての「老い」です。
カーチャの存在に若かりし頃の自分を思い出したジェフは、「俺だって昔は**だった」てな具合に、それを再現し始めます。当然ですが歳も歳なんで、いろんなことがまったく追っつかない。中でも「男」であることに執着し始めるところは、それを証明せんがためだけに付き合わされるケイトにとっては、たまったもんじゃありません。
ジェフの姿は「若い恋人の存在に、自分も若さを取り戻せる気がしてる血迷ったオッサン」そのものだし、その事実自体が自分と夫の間に別の女が踏み込んできた証拠にほかならず、妻としたらこんなにキモくて不愉快なことはありません。その一方で、周囲に「最近のジェフは変だ」と言われていることをケイトがたしなめると、まるでケイトが自分を老け込ませている原因であるかのように、ジェフは苛立ちをぶつけてきます。いかんなあ。
こうした中で浮き彫りになっていくのは、ケイトとジェフの違い――つまりは女と男の違いです。端的に言い得ているのが、2人の友人の女性のこのセリフ。
「男たちが執着しているものが、自分の死亡記事や死後に残すものなら、生きてる今が大事だと女が教えなくちゃ」
カーチャの遺体発見の後、ジェフは急に、かつて何度も挫折したキェルケゴールの哲学書を読み始めます。「絶望と不安から解消されるには、自分自身の価値を作り、意味に満ちた人生を生きること」って言ってる人です。
カーチャの遺体発見は否応なく老いたジェフに「死」をも想起させているわけですが、キェルケゴールと件のセリフは、ジェフの中に「このまま何の目的もなく死んでゆくのか」という焦燥感があることをほのめかします。男の人ってこういうところありますね。「爪痕残す」とか「生きた証」とか。ロマンチストです。
でもリアリストである女子は、夢は見ても夢に溺れることはほとんどせず、自分の半径3mくらいで楽しさや喜びを発見して手っ取り早く幸せになることを選びます。死後に何かを残すより、今が楽しいことのほうがぜんぜん大事なんですね。
描かれる1週間の中で日々のルーティーンをきっちりとこなすケイトは、その穏やかな繰り返しが続くことに何の不満も持っていません。それを作ってくれた45年間に愛着を持っていたわけですが、ここにきてが「俺は45年間で何も残せなかった」と言い出すジェフに、ケイトがはしごを外されたようなモヤモヤを感じるのは当然のことです。
さらにその理由が、死んだカーチャの中に「あったかもしれない別の未来」を見ていたのだと気づいた――というか自分の痛点を突かれたために、おそらく一人合点してしまった――ことで、それまでの単なるモヤモヤは、怒りと猜疑心という明確な形を持ち始めます。ここらあたり、水曜日から金曜日くらいのシャーロット・ランプリングの演技、静かな狂気と冷え切った怒りを帯びてゆく様はすごいものがあります。
映画を見て思うことは、本当に夫婦ってややこしくて大変だなあということです。45年もの時間をともに過ごして性別を超越した絆を築き、ある部分では男女の生々しさを避けながらも、その実完全に枯れることはできず、一旦男女に戻ってしまったが最後、さっきまで平穏だった世界に底なしの断絶が現れてしまう。そうなると、一番理解していたはずの相手が何を考えているのかさっぱりわからなくなってしまうんですね。
さてそんな状況にありながら迎えた週末、ふたりは多くの客を招いた結婚45周年パーティーを開くことになります。その顛末はいかに。ラストシーンでふたりが踊る曲の歌詞がすごく効いています。結婚している人もしていない人も、大人の観客ならば――そういうことなんだな、夫婦って――と独得の感慨を覚えるに違いありません。いずれにしろ夫婦の深淵を覗いてしまう作品、結婚を目前に控えている人は見ない方がいいかもしれませんよ~。
『さざなみ』
4月9日(土)公開
(C)The Bureau Film Company Limited, Channel Four Television Corporation and The British Film Institute 2014
(C)Agatha A. Nitecka