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アルツハイマーで記憶を失った後に、それでも人間の心に残るものとは?『エターナルメモリー』

渥美志保映画ライター

2050年には高齢化率(65歳以上人口比率)が30%を超えると言われている日本。南米で同様の問題を抱えているのが、2050年に60歳以上の人口が30%を超えると言われるチリです。映画『エターナルメモリー』はそんなチリの国民的女優にして、初の文化大臣となったパウリナ・ウルティアさんが、夫で著名なジャーナリストのアウグスト・ゴンゴラさんの介護生活を追ったドキュメンタリーです。かつてピノチェト独裁政権下のチリで起こっていたことを、ジャーナリストとして記録し続けたゴンゴラさんは、アルツハイマー病によってその強烈な記憶さえ失ってゆく様を捉えた映像には、少なからず衝撃を受けます。映画は同時に、高齢化社会において「誰にとっても当たり前」となっていく、介護する側が抱える問題や新たな提案、介護される側の心、そこに残っている最後の何かをも捉えています。

チリは2050年に60歳以上がの人口が30パーセントを超える高齢化社会だと聞いています。老人介護の当事者が抱える最大の問題はどういうものでしょうか?

パウリナ・ウルティア(以下パウリナ) 世界の多くの地域と同様に、チリでも人口の高齢化が進んでいます。今は特にベネズエラからの移民が多く流入しているため、数字は少し変化していますが、全般として高齢化が進んでいて、ラテンアメリカ諸国においては平均寿命が一位になるのではないかと思います。そういう状況ですから、長寿を可能にする医療へのアクセスは整ってはいますが、そうはいっても高齢者に対するケアの問題に取り組むことは国家政策の観点から最優先事項であることは間違いなく、その点について考えていかなければいけません。
チリでは、障害や精神疾患を抱える子供や若い世代に対する福祉政策は優先事項として掲げられているんですが、高齢者問題を語るうえでは特に女性に関する政策についても考えてほしいと思います。というのも、チリでは女性は社会、政治、経済における大きな存在となっているにもかかわらず(チリのジェンダーギャップ指数ランキングは、2021年に70位→2024年に21位)、老人の介護に直面せざるをえないのが女性だからです。前世紀の終わりまで遡れば、子供や老人の世話をする役割は完全に女性に丸投げにされていました。ケア労働の問題は女性問題と切り離せないと同時に、社会が追うべき責任の問題としても語る必要があります。私にはパートナーと家族に対して責任がありますが、同時に社会はそういう私を助け、その仕事に協力する責任があると思います。

パウリナさんがゴンゴラさんを自身の職場に連れていく場面がすごく印象的でしたが、これは決して一般的ではないですよね。その時に周囲に起こった反応や変化みたいなものが感じられるものがあったら教えてください。

パウリナ こういう時はいつも、女性が乳幼児や子供の世話をする例を挙げるようにしています。以前は子供を職場につれていくことはできませんでしたが、今はチリでも国会議員や州知事が子供を職場につれてきて授乳したりする姿を見ることができます。それは素晴らしいことだと思うんですが、子供でそういういことができるなら、例えばダウン症の子どもたちや、介護中の老人に対してもおなじようなことをしていいんじゃないか、そう思ったんです。誰もが働き、結婚し、社会の一員となることができますし、それは様々な病気を抱える人にとっても同じです。まずすべきことは「病気である」ということを脇において、子どもに対してできたことを思い出すことです。ご存知のようにゴンゴラはアルツハイマー病と診断されましたが、私は生きていくために仕事を続けなければいけませんでした。それで、彼を自分の職場である劇場や、ラジオの収録現場、学校の授業に連れて行きました。素晴らしかったのは、そうすることで周囲が一体となって彼の面倒を見てくれたこと、そこで介護チームが作られていったことです。介護が個人の問題としてでなく、周囲の人がそれを担ってくれることで、ケアが社会の一部になっていったんです。

映画は記憶を失っていくゴンゴラさんの現在と、ピノチェト独裁政権の1970年代におけるゴンゴラさんの報道フィルムが並行して構成された、「記憶」を巡る作品でした。現在のゴンゴラさんに対するパウリナさんの「思い出して」「覚えている?」という問いかけが、独裁政権時代を忘れかけているチリ社会への呼びかけのように描かれているようにも感じました。

パウリナ まず大事なこととして、この映画を創作し、脚本を書き、編集をしたのは監督のマイテ・アルベルディだということを明確にしておきたいと思います。それを踏まえた上で、映画はゴンゴラに関する「3つの時期」を捉えつつ、この国の歴史をたどる作品になっていると思います。まずひとつめは「ピノチェト時代の記録報道」。初期の頃のゴンゴラがどうやって記憶を記録していたか、戦っていたかというのが描かれています。2つ目は「独裁が終わり、民主化が達成した時期」で、ゴンゴラが公共テレビ局で番組を作っていた頃です。民主化した国で生まれたクリエイターたちを、司会者であり製作者だったゴンゴラがどのように新たな世界に導いたかが描かれています。3つ目が「アルツハイマーで記憶を失っていく」という時期です。ここではどうやってゴンゴラの記憶を取り戻すか、おっしゃるように、それがどうやってチリの記憶を取り戻していくかに重なっています。
この3つの時期を、監督が非常に巧みなモンタージュで組み合わせることで、映画には言わば「記憶のサイクル」のようなものが起こっていて、その点が非常に優れていると思いました。もちろんそれによって観客は、チリの歴史やゴンゴラについて、さらに観客自身のパーソナルな記憶も思い浮かべるでしょうし、そこにあるコンテキスト、社会の記憶、集団的な記憶みたいなものも考えさせるような構成になっていると思います。
そしてそのことは、私たち夫婦にとって非常に特別で個人的な「遊び」から始まったんです。私自身にとっては、彼に「思い出して」と問いかけることには「単にゴンゴラが話すことが好きだから」という以上の意味はありませんでしたし、アルツハイマーが始まった時も、私は彼に「もしあなたが何かを忘れても一緒に思い出すことができる」と思っていました。それが「ゴンゴラが今思い出したいことを、私が彼に伝える」という「遊び」になっていったんです。彼の母親について、彼の子どもたちについて、彼が会った時に話していたこと、彼の仕事についてーーマイテがそこに目をつけて、作品のプロットに組み込んでいったんですよね。非常に巧みな構成だったと思います。

記憶が全部失われても、人間の心のなかには何かが残っている。この映画におけるそれは「愛情」だと感じさせるラストが印象的でした。その点について思うところはありますか?

パウリナ まさにおっしゃるとおりだと思います。人間の脳が衰え記憶をなくしていく過程で、いちばん最後まで残る脳内の小さな領域は初期の人類から存在していた古い脳ーー感情を司る部分なんです。そこに何かが残っているからこそ、人間は最後まで、互いに触れ合い、その重さを感じることができるのだと思います。それがわかるのが、この映画の素晴らしいところだと思います。
撮影の背景を語るなら、あれは本当に最後の最後に撮影したシーンでした。監督のマルテ・アルベルディによれば、撮影するのをためらった唯一のシーンだったようです。というのもその時のゴンゴラは末期的な状態で、直前に「もう私は私ではない」というようなことをずっと繰り返していて、私が「あなたはあなたよ」となだめても事態はまったく変わりませんでした。だから撮影することが監督として辛かったと。そういう中でああいう場面を捉えたことは非常に重要なことだと思います。私たちはみんな消えていく存在ですが、それでもその後に残るものがあるーーそういうことを示しているのではないかなと思います。

『エターナルメモリー』

8月23日(金)新宿武蔵野館、シネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMA

ほか全国公開

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映画ライター

TVドラマ脚本家を経てライターへ。映画、ドラマ、書籍を中心にカルチャー、社会全般のインタビュー、ライティング、コラムなどを手がける。mi-molle、ELLE Japon、Ginger、コスモポリタン日本版、現代ビジネス、デイリー新潮、女性の広場など、紙媒体、web媒体に幅広く執筆。特に韓国の映画、ドラマに多く取材し、釜山国際映画祭には20年以上足を運ぶ。韓国ドラマのポッドキャスト『ハマる韓ドラ』、著書に『大人もハマる韓国ドラマ 推しの50本』。お仕事の依頼は、フェイスブックまでご連絡下さい。

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