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傷んだ実、取れない泥…線状降水帯の豪雨災害から3カ月、愛知県の被災農家の現実

関口威人ジャーナリスト
6月の大雨で冠水した後に変色してしまったナシの実(8月22日、筆者撮影)

 6月に愛知県東部を中心に発生した線状降水帯による豪雨災害から、2日で3カ月が経つ。豊橋市で3人が死傷、県内で1000棟以上が床上・床下浸水したほか、田畑の冠水や施設被害で77億円を超える農林水産被害がもたらされた。全国有数の農業地帯ではあるが、生産者を取り巻く環境は気候変動の不安に加えて担い手不足などもあって、ますます厳しい。その困難に向き合う人たちの現状を追った。

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一番の書き入れ時に収穫できず

 「本来は一番忙しい時期なのに、一番ヒマになってしまった」

 豊川市金沢地区のナシ農家、小山和也さん(43)は複雑な表情を見せた。

変色したナシを心配そうに見上げる小山和也さん。今季の収穫はあきらめたという(8月22日、筆者撮影)
変色したナシを心配そうに見上げる小山和也さん。今季の収穫はあきらめたという(8月22日、筆者撮影)

 約200本の木が植わるナシ畑が、すっぽりと冠水してから約3カ月。2メートルほどの高さで育っていたナシの実は、水をかぶってからボトボトと地面に落ち、茶色く腐食していった。枝に残った実もナシ特有の黄金色を保つものは少なく、とても出荷はできない。

 「正確には分からないが、木が泥水で“窒息”してしまったのだろうか。もともと一番いい時期のものをお客さんの顔を見ながら売ることにこだわってきた。ナシはジャムなどの加工品にしづらいし、ネットで支援を求めるのは互いの顔が見えないし…」

 今季の収穫はすべてあきらめざるを得ず、被害は軽く1000万円を超える。収入保険でなんとか賄える見通しだが、精神的なダメージは大きい。

 「保険で自衛をしていたからお金はなんとかなった。でも、農家としては本当なら自分で作ったものを売って収入を得たい」。小山さんはうらめしそうに頭上のナシを見つめた。

「まさかここまで浸かるとは」

全体が水に浸かった小山さんのナシ畑(6月2日午後6時半頃、小野田泰博さん撮影)
全体が水に浸かった小山さんのナシ畑(6月2日午後6時半頃、小野田泰博さん撮影)

 ナシ畑は小山さんの父、恵嗣(しげじ)さん(70)が代々の土地で営んできた。小山さんには物心付いた頃から父の畑仕事を手伝っていた記憶がある。

 サラリーマンとして運送の仕事を20年ほど続けたが、自営で働ける場を「自分の子どものためにも残しておきたい」と決意。昨年、父に“弟子入り”する形で畑を継ぎ、今年は初めて一人で栽培を任されたところだった。

 畑は豊川の「霞堤」地区の中にある。途切れた堤防からあえて水を引き込み、下流の被害を減らす河川防災の仕組みだ。

 豊川にはもともと右岸と左岸のそれぞれに霞堤があった。しかし1965(昭和40)年、右岸寄りの下流に人工河川である豊川放水路が整備されたことで、右岸の霞堤は順次締め切られていった。放水路によって川の水が速やかに海に流れるようになり、右岸側には水を逃がす必要がなくなったという理屈だ。

小山さんのナシ畑などと豊川の霞堤の位置関係。左岸(地図では川の右側)は堤防が不連続で、豊川が増水すると霞堤地区に水があふれる仕組みになっている(筆者作成、堤防や浸水範囲などはイメージ)
小山さんのナシ畑などと豊川の霞堤の位置関係。左岸(地図では川の右側)は堤防が不連続で、豊川が増水すると霞堤地区に水があふれる仕組みになっている(筆者作成、堤防や浸水範囲などはイメージ)

 実は、小山さんは川向こうの右岸にも野菜畑を持っていて、今回そちらには被害がなかった。

 一方、左岸の4地区には今も霞堤が残るが、田畑だけでなく家を構える住民は少なくない。中でも300世帯以上が住む金沢地区は最上流部にあり、大雨が降れば真っ先に浸水する地域となっている。

 「霞堤自体は知っていたが、まさかこれだけ浸かるとは」。小山さん親子にとって、今回はナシ栽培を始めて以来、最も大きなダメージになった。

 自宅も一部床上浸水し、3日間ほど途方に暮れたという小山さん。しかし、「ここで逃げるものか」と思い直したという。

 「はじめから最悪の状況を見たので、今年をなんとか乗り切れれば。左岸がだめなら右岸の畑もある。霞地区に関しては何か特別に優遇してほしいわけではないが、せめて原状回復を行政にしっかりしてもらいたい」。小山さんはそう訴えた。

こだわりのブルーベリーも8割がダメに

 小山さんのナシ畑から7キロほど南に下った豊橋市の下条(げじょう)地区でブルーベリー畑を営むのは菅沼真利子さん(70)。6月にはやはり霞堤内にある畑が冠水し、栽培していたブルーベリーが「8割方ダメになってしまった」と話す。

豊橋市の下条地区でブルーベリーを作る菅沼真利子さん。約500本の木が泥水に浸かった(8月22日、筆者撮影)
豊橋市の下条地区でブルーベリーを作る菅沼真利子さん。約500本の木が泥水に浸かった(8月22日、筆者撮影)

 建築設計業を営む夫・眞一さんの実家の敷地で15年ほど前からブルーベリー栽培を始めた。当時はまだ周囲でもブルーベリーを手掛ける農家はなく、インターネットで育て方などを調べながら手探りで畑づくりを進めた。

 さまざまな品種を試し、ハイブッシュ系、ラビットアイ系などのブルーベリーの木を500本ほど育てられるように。直売や通販、地元のケーキ店向けの出荷のほか、農園でのブルーベリー狩りも始めた。酸っぱさを抑え、「ブルーベリーってこんなに甘かったの?」と言われる味に育てるのがこだわりだ。そのためには「畑の面倒が一年中大変で、他のものは育てられない」ほど手を掛けなければならないという。

 そんな大切な畑が、かつてない量の泥水にまみれた。畑に隣接する事務所は1メートル以上浸水。大雨の前に運べるものはできるだけ2階に上げていたが、翌朝見ると1階は冷蔵庫や棚がぐるぐるとかき混ぜられたように散乱していた。

浸水後、冷蔵庫や棚がぐちゃぐちゃに散乱していた事務所の様子(菅沼さん提供)
浸水後、冷蔵庫や棚がぐちゃぐちゃに散乱していた事務所の様子(菅沼さん提供)

 片付けは自分たちで済ませたものの、事務所は今も壁のベニヤがゆがみ、畑も土壌が流れてしまった跡や、葉っぱについた泥がまだ残る。ブルーベリーの木は下の方の枝を剪定せざるを得ず、残った上の方だけで来年以降、どれだけ実がなるか分からない。

 菅沼さんは収入保険や農業共済などには未加入で、今回の損害に対する補償はほとんどないという。

 「今までこれほどの被害はなかったので。今回はあきらめて前向きになるしかないけれど、これからは水害だけでなく温暖化の影響も心配。実際に収穫の時期はどんどん早くなっていて、9月や10月まで収穫できていた品種も最近はお盆に摘み終わってしまうぐらい。あと何年、農業を続けられるかしら…」とため息をつく。

気候変動を踏まえた新たな営農の制度を

 愛知県内の農家でつくる農民運動愛知県連合会は8月、今回の災害で「被災農家の営農意欲が失われないように必要な支援を」と求める要望書を愛知県の大村秀章知事宛てに提出した。

今回の災害で農家への支援を訴える要望書を愛知県知事宛てに提出した農民運動愛知県連合会の伊藤政志会長(左から3人目)ら(8月1日、筆者撮影)
今回の災害で農家への支援を訴える要望書を愛知県知事宛てに提出した農民運動愛知県連合会の伊藤政志会長(左から3人目)ら(8月1日、筆者撮影)

 規模の小さな農家は保険や共済に未加入で、加入していても補償の対象や金額は限られる。伊藤政志会長は「被災した施設に対する補償はあっても、農作物が作れなくなったことに対する補償はほとんどない。災害にあっても営農を続けられるよう、農家の実態にあった施策を」と訴える。霞堤地区のような特殊な地域への支援や、気候変動を踏まえた新たな営農の制度を国に求めることも要望している。

 これに対して愛知県は、今後の「局地的な災害にも迅速に対応できる」と謳う新たな災害対応融資制度を9月1日から設けたが、主に商工業者向けで、農業者は対象になっていない。農政の担当部署は「農家向けに県独自の制度を設ける予定は今のところない。国の支援の動向を見極めながら検討していく」とする。

 自然相手の農業が大きなリスクを抱える中で、農業者への支援が不十分なままでは日本の「食」がますます不安定になる。現場からの声を積み上げていきたい。

ジャーナリスト

1973年横浜市生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科(建築学)修了。中日新聞記者を経て2008年からフリー。名古屋を拠点に地方の目線で社会問題をはじめ環境や防災、科学技術などの諸問題を追い掛ける。東日本大震災発生前後の4年間は災害救援NPOの非常勤スタッフを経験。2012年からは環境専門紙の編集長を10年間務めた。2018年に名古屋エリアのライターやカメラマン、編集者らと一般社団法人「なごやメディア研究会(nameken)」を立ち上げて代表理事に就任。

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