阪神タイガース・原口文仁選手が迎えた雄飛の時 ―その強さは たゆまぬ努力の証―
開幕して1ヶ月が過ぎた2016年の阪神タイガース。スローガン『超変革』の先陣を切ったのは、高山選手と横田選手の1、2番コンビでした。その後も江越選手や北條選手、陽川選手、原口選手、板山選手など若トラの躍進が目立っています。4月29日のDeNA戦ではスターティングメンバ―の平均年齢が25.8歳という若さ!
そんな中、4月27日に支配下登録を勝ち取った原口文仁選手(24)の、まさに飛び級の “快進撃” はチームにも、ファンの皆さんにも強烈な刺激を与えたでしょう。ことし7年目、育成選手となってからは4度目のシーズンが始まった直後、待ち焦がれた2ケタの背番号に復帰しました。「やっとですね。長かった」。そう言いながら、絶対に諦めなかった彼の姿は誰もが知っています。
与えられた試練を乗り越えた6年
2009年のドラフト6位で帝京高校から入団。3年目の2012年3月24日、鳴尾浜で行われたウエスタン・ソフトバンク戦に代打出場した際のスイングで腰に張りを訴え、そこから腰痛に悩まされる日々。この年のオフに育成契約となります。巻き返しを誓った2013年は4月11日にシートバッティングで死球を受け『左尺骨骨折』。5月末に実戦復帰するも、公式戦出場は14試合だけでした。
2014年は自身最多の5本塁打。ところが秋のフェニックス・リーグでまたアクシデントが…。10月18日に行われた巨人戦、中前打を放った原口選手は、今村投手の牽制球で帰塁した際に右肩を痛めます。好調だっただけに無念の離脱。もしケガがなければ、島本投手とともに11月の支配下復帰があったかも、と考えずにはいられません。
2015年は4月下旬から7試合連続安打と3本塁打など好調な時期もありましたが、少しずつ出場機会が減っていきました。支配下登録の期限である7月末が過ぎ、11月に育成での再契約。しかし、戦力外も覚悟した秋に伝えられた “残留” が分岐点となり、2人の新監督就任が彼の人生を変えたと言ってもいいのではないでしょうか。
もちろん、原口選手が持つ不屈の精神なしには語れない、育成での3年間でした。そして今季2016年の大躍進。この1週間の “予告編” とも言える、ことしの様子はこちらからご覧ください。
★<安芸から宜野座へ!―その2・原口選手が育成では初の沖縄キャンプ>
ダブルで届いた吉報
4月26日の夜。高野球団本部長からの電話で、翌27日に支配下へ戻ることと、その日の1軍出場登録を伝えられたそうです。実家やお世話になった方々へ連絡をして、おそらく眠ったのは相当遅かったんじゃないでしょうか。翌朝はファームの練習に出ず、11時前に甲子園へ向けて出発。この時点で鳴尾浜のファンの皆さんは気づかれたようですね。原口選手は「心臓バクバクです!」と言っていました。そして「まだまだこれからです。頑張ります」とも。
27日の午後2時から高野本部長が会見。「きょう支配下登録をして1軍登録ということです。守備が他と比べてどうかという状態が続いていたけど、今季はまたキャッチャーにも取り組み、掛布監督のバッティングの評価が高い。ここ8試合で4番を任せ、力を試していた。きのう(26日)は金本監督も見て、即1軍で使いたいということもあり、こうなった。本人にはきのう伝え、きょう鳴尾浜で激励もしてきました」
14日から24日まで、雨天中止が2つあったので計8試合、ずっと続けて4番だったんですよね。しかもキャッチャーは16日だけで、他はすべてDHでの出場。もしかすると最終段階の見極め?卒検?と思いましたが、やはりそうだったんだと高野本部長の言葉で納得。10日ぶりにマスクをかぶった26日の交流試合(社会人・履正社戦)は金本監督も視察しています。
急きょ決まったのかとの問いに「前から考えていて、先に支配下登録をと思ったんですが、ここのところ数字も出ていたので。筑後でのソフトバンク戦を見たら内容がいい。ホームランを打ったあと凡打でも粘っていたし。報告と私の目が一致した」と高野本部長。また「本人がことし勝負を賭けている、キャッチャーもやりたいと言うので。打つだけでなくチャンスが広がるでしょう」と、原口選手が強く望んだキャッチャーとしての支配下復帰であることを明言。それが現実となり、金本監督も「十分な戦力」と評しました。
「一生忘れられないデビュー戦」
支配下選手に戻り、即1軍昇格、その日のうちに試合出場してマスクもかぶり、2打席目には初ヒットという “初づくし” のデビューでした。試合後コメントは要約してご紹介します。「まず試合に出させてもらったことに感謝しないと。1本出てホッとしています。しっかり自分のスイングができました。思ったよりも平常心で、周りも見えていたと思います」。ただ自身がマスクをかぶってからも失点があり「悔しい思いしかないので、これからしっかり頑張って振り返った時に、いいデビュー戦だったと思えるようにしたい」と気を引き締めた原口選手。
「そんな簡単にいかない、まだやることはたくさんあると感じました。あそこで落ち着いていけるように、しっかりやっていきたい。守備でも、周りを見られるように日々進歩したいですね」。 そして「これ以上ないくらい、嬉しさと悔しさを味わった。ユニホームも含めてインパクトも残せたと思う。一生忘れられないデビュー戦になりました」と締めくくっています。
なおインパクトあるユニホームの件ですが、せっかくのデビュー戦で新しい自分の番号をつけられなくて残念?と聞いたら「逆にいいかも。印象に残るでしょ」と。読みはドンピシャでしたね。ベンチ入り前に上着をめくって見せながら、すごくニヤニヤしていた原口選手。ベンチでもみんなに披露して一緒に笑っていました。この時点でもう、つかみはOK!ですよねえ。
山田コーチの上着を借りるに至った理由は「たまたまサイズが合ったからじゃないですかね?」とのこと。そして「ズボンは置いてある予備の中から選んで、帽子は山本(翔也)さんの」だったそうです。翌28日に通常のユニホームはできていたはずですが、1人だけ白いホーム用で出るわけにいかないので『82』でした。また28日は同点犠飛という仕事をしたもんで、全国ネットのスポーツニュース各局で出まくり!これはもう間違いなく、2016年の阪神タイガース重大ニュース候補でしょう。
大先輩・狩野選手のアドバイスで
そのあと少し話ができたので、重複する部分も含めて書いておきます。最初は「疲れました…。頭が痛いです」という感想でした。そりゃそうですよね。試合が始まってからも緊張はしていた?「意外と1打席目から周りが見えたし、お客さんの顔もわかったので大丈夫でしたね」。プロ初打席のセンターフライは「抜けたかな~と思ったんだけど」と好感触のようです。
出番が来るのも早かったけど準備は?「岩田さんが追加点を取られたところで、4回くらいから動き始めました。ストレッチをしていたら狩野さんが『5回にピンチヒッターの可能性もあるから、下で振ってていいよ』と言ってくれて」。なるほど。さすが狩野選手ですね。戦況もさることながら、初めて1軍のベンチに座る後輩の心境を察してのアドバイス。同じように育成選手から支配下へ戻った経験を持つ大先輩の言葉を受けて、ベンチ裏(階下)にある素振り部屋へ行き集中してバットを振れたのだと思います。
初ヒットは「嬉しいですけど、手放しでは喜べない感じ」と言います。それは守備のことがあるから?「はい。踏んでいかないといけない…」過程?「そうですね」。ただ、そこまで初日に経験させてもらったのはありがたいことかもしれません。一気にここまでやれるとは?「思っていませんでした」。やっぱり金本マジックかな。「ほんと感謝ですね」。さすがに経験のない疲れだったと思われ、センテンスが短め。そんな状態でこちらこそ感謝です。ありがとうございました。
連日の初づくし、残るは…
1軍3日目の4月29日は自身のユニホーム『94』で臨んだDeNA戦、初めてのスタメンです。しかもマスクをかぶってフル出場だったので、2対1という接戦を制したあとの表情を見に行ってきました。私ごとですが、1軍の試合後の囲み取材に参加したのは初めてです。ベンチからの通路を出ると一気に表情を緩ませ、握手を求めてきた原口選手。いつも通り、出し切ってかすれた声で「よかった~」と言って右手を見せてくれました。ピッチャーがサインを見やすいよう、右手の爪に蛍光色シール?が貼ってあります。これも初体験でしょうね (この時は黄色。ナゴヤドームでは白をつけていたような?)
取材では、おそらく人生初の緊張感だったかもしれない9回を振り返っての質問。何度もミットを外して左手の汗を拭い、ボールを投げ返す右手に土をつけていたのは「汗がすごいんで。なるべくミットがぶれないようにと意識していた」からだと言います。そして、この日の感想を「とてつもない喜びですね。味わったことのないくらい」と表現しました。
「9回までマスクってのが少ない中、1軍の試合でかぶって勝てた。いいスタートになりました。こんなしびれる試合、1軍でもなかなかないので、こういう機会にかぶらせてもらって充実していました」。鳴尾浜の倍はいるであろう記者陣に囲まれても堂々と、しっかりとした声で話す横顔に満足感が漂っていました。なおヒーローインタビューを受けた岩貞投手と陽川選手は原口選手の同級生。この日は逃したお立ち台ですが、原口選手も密かに狙っているみたいですよ。
4月30日のDeNA戦もスタメンマスクで、藤川投手とのバッテリー。この日の初は盗塁を2つ刺したことでした。5月1日は代打で出て初マルチ!毎試合、何かの“初”を積みかさねています。残るはタイムリーとホームランくらいですかね。それと、代打出場の際もそのまま引っ込まないで、必ず最後までキャッチャーとして出て試合を締めくくっていることが何よりも嬉しいでしょう。
「アイツはすごい!」と森田一成さん
何度となく訪れた試練を克服し、常に前を向き続けた強さ。とはいえ、休まず努力し続けてもかなわない現実に、立ち止まりたいと思ったことがあるはずです。見ていたこちらも「まだ足りないのか。これ以上どう頑張れというのか」と思うほどでしたから。だけど原口選手から感じた、そんな心の揺らぎは一瞬。すぐに「でも頑張りますよ!」と気持ちを立て直すと、また目がキラキラと輝きます。
逆境の時に加え、たとえば満塁ホームランを打った後や連続試合安打中も、ことし安芸から宜野座キャンプへ“初昇格”した際も、必ず出てきた「これからです。頑張ります」というフレーズ。このたび支配下登録されて1軍に行く時も「まだまだこれからです。頑張ってきます!」と言っていました。それで本当に頑張るから、原口文仁って人はすごい。
入団時にファーム監督だった平田1軍チーフ兼守備走塁コーチは「いまどき珍しい好青年だよ。娘がいたら嫁にやりたいくらい」と事あるごとに褒め称えていました。支配下登録された日も「よかったなあ!何より一番は彼の人間性だね。野球に対して真摯に取り組む姿勢。ゴメスよりもずっと上だよ」と、最後はたまたま通りかかったゴメス選手を話に盛り込むという、平田コーチならではの技です。あ、ゴメス選手は何のことかさっぱりわからずに去っていきましたけど。
そして阪神在籍時に原口選手を可愛がってくれた森田一成さんも、本当に喜んでいました。「LINE来てた!嬉しい!新井さんも!」。広島・新井貴弘選手の2000本安打も一緒に嬉しかったんですね。そして「誰が見てもわかるくらい力みまくるんじゃろうな~、ふみ!」と森田さんの笑った顔が目に浮かぶような言葉。それが、あまり緊張は見えなかったかも。ただ室内練習場で、捕って素早く強く投げ返すという動きをやっていた時、相手の原田打撃投手から「どんどん前へ来てる」と指摘されていたので、少しは舞い上がっていたんですかね?
森田一成さんは「でも、アイツはすごいよ!」と話を続けます。
どこがすごい?
「諦めないところ、不器用なところ。新井さんみたい」
そして「周りが応援したくなるようなところ」
だそうです。そういえば4日後の5月1日、金本監督も同じく「応援したくなる選手だよね」と言っていました。そう思わせる “ひたむきさ” が原口選手にはあります。今も変わらず応援してくれる森田さんからのエールは「後悔だけはしないようにやってほしい」でした。
おばあちゃん似のしっかり者
26日の夜10時すぎにかかってきた電話は「支配下登録されて1軍に行きます」というものだったと、原口選手の父・秀一さんはおっしゃいました。「みんな喜びました。そばに母親も、おばあちゃんもいて」。でも育成選手として3年を過ごし、4年目を迎えたっていうのは過去の阪神にないこと。長く感じられたのでは?と尋ねると「ちょっと時間はかかりましたが、今思えば大学を出て2年を過ごしたのと同じですから」とお父さん。なるほど。大卒3年目と思えばいいんですね。
これまで何度か故障に泣き、さらに試合出場も減ってくると、遠く離れたご家族はさぞ心配されたと思います。「緊迫感はありましたね。本人はあまり話さないですけど。自分の選んだ道だから地道にやるしかない。結果を出すしかないんですが、出そうと思って出るもんじゃないから、一歩ずつ自分で進んでいくしかない。そんなふうに考えていたんじゃないでしょうか」
本当にしっかりした息子さんで。「おばあちゃん似ですね。芯がしっかりしていて、曲がったことが大嫌いで。私の方がいいかげん(笑)」。いえいえ、お父さんとお母さんのおかげですよ。真面目で一生懸命で。「ことしは沖縄キャンプにも連れていってもらい、1軍のオープン戦まで出してもらって、そのうえ…。ありがたいことですねえ」。原口選手が感謝を忘れないのも、やっぱりお父さん似です。
「よかったですね。頑張って、頑張って、頑張ってほしいです。1軍でやるしかないといつも言っていましたから。私たちは何もしてやれないけど、家族揃って、気持ちだけはみんな一緒に応援します」とお父さん。妹・美佳さんも初ヒットの瞬間は「家族みんなで叫んでいました!」と大喜び。そんな原口家ではこのたび、すべての試合中継が見られるようCSテレビのチャンネルも追加されたとか。生観戦は関東遠征まで我慢だそうです。
なお巨人戦で放った初ヒットの記念ボールについて聞いたら「当分は僕が保管します」と原口選手。保管って(笑)。行き先が決まったら、また教えてください。と、ご家族のお話のあとで書いたら他へは渡しづらいですよね。軽くプレッシャーをかけてみました。はい。
怠らない準備とケアが原動力
1軍6日目の5月2日は休養&移動日。阪神鳴尾浜球場では名古屋遠征前の江越選手や横田選手ら寮生が自主練習をしました。掛布監督の姿もありましたね。原口選手は寮内でストレッチをしたあと、午後0時40分に外へ出てきて室内練習場へ。バッティングをするの?と聞いたら「というか、感覚を忘れないためです。1日空けるより少しだけでも。なまらないように20球だけ打ってきます」という返事。
数分後、帰り支度で出てきて打球音に気づいた掛布監督から「誰が打ってんの?」と聞かれたので「そりゃもうお分かりのように」と答えたところ「原口?」と一発正解でした。そして「ほんとに?え、名古屋へ行かないの?」と室内へ入り、すぐに出てくると「うちのビシエド」と笑いながら帰途に。あとで出てきた原口選手は「20球のつもりが30球になって、監督が来られたんで31球にしました」とニコニコ。監督からは「打ちすぎるなよ」と言われたそうです。
ここまで疲れは?「ないです」と答えながら「こんなのが出来ました」と下唇をめくります。あらまあ見事な口内炎!そりゃ紛れもなく疲れていますよ。目を酷使したり、肩が凝ったり。「これって大丈夫ですよね?」。大丈夫。体の疲れが取れれば治るから。ビタミンも必要かな。「そうなんですか?よかったぁ」。そんなに心配していたんですか。もしかして初口内炎?健康なんですねえ。
ファームで1試合フル出場する2倍も3倍も疲労感があると思います。それが蓄積して腰痛につながったら怖いし、何が何でも避けたいのはケガですね。「はい!トレーナーさんに、ちゃんとやっていただいて。ありがたいです」。もちろん自分自身でケアしているでしょうし、ナゴヤへの移動日だったこの日も午前中にしっかりストレッチをしたとか。キャンプ中にも、こんなことを言っていました。
「野球をやっていく以上、準備とケアは続けていかないといけない。それは普通のこと。当たり前のこと」
「夢のようだけど夢のように思わず」
きのう3日はナゴヤドームでの中日戦で、原口選手は藤浪投手と初バッテリーを組み、3度目の先発出場。この3連戦に向けては、とにかく「ビシエドのことで頭がいっぱい」だった様子です。スポニチ紙面に出ていた『ビシエド対策』の記事を写真に撮って保存もしていましたよ。試合の映像は見ていないと記者陣の質問に答えていたんですけど、原口選手に限ってそれはありませんね。寝る時間を削ってでも、研究と準備はしたと思います。
その結果、インコース低めを攻めてビシエド選手を4打数ノーヒット (陽川選手、北條選手も素晴らしい守備!) に抑えたことは収穫でしょう。藤浪投手の速球をがっしりと受け止めて、盗塁も1つ刺し、一時は同点に追いつく犠飛も放って、ここまで出た6試合すべてで関西のスポーツ新聞の記事になりました。
そんな1週間を振り返って、今どんな気持ちですか?
「夢のようだけど、夢のように思わないで、今をしっかり」
ただ待っていたわけではなく、考えて努力して諦めずに戦ってきた証。もう夢じゃなくて、自分の居場所ですからね。そこで誰よりも輝いてください。
すると続けて「ほんと、ガツガツいけるように!」とつけ加えました。この“ガツガツ”という言葉を裏づける話がまだあるのですが、それはまたの機会に。そうそう、練習の虫・原口選手のことだから、もしかして1軍でも試合後に練習しているのではないかと聞いてみたら…「してません!死んじゃいます」という返事でした。さすがにね。口内炎、早く治りますように。