【京都市】右京区「清涼寺」境内の宝篋印塔は源氏物語、光源氏のモデルの源融(みなもとのとおる)の墓!
京都の観光地である嵐山の渡月橋から徒歩15分のところにある『清涼寺』。
「嵯峨釈迦堂」として地元の人からも愛されている寺院です。
中世以来「融通念仏の道場」としても知られる場所です。
この地は、「源氏物語」の主人公である光源氏のモデルになったと言われる源融(みなもとのとおる)の山荘「棲霞観」があった場所と伝わります。
「清凉寺」の「阿弥陀堂」は「源氏物語」の光源氏のモデルの源融が建立した棲霞(せいか)観を偲ぶ唯一の建物です。
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「源融公栖霞観旧地」と書かれた石碑が、山門前にあります。
「源氏物語」ゆかりの地として説明があります、『源氏物語』の六条院のモデルとして書かれているそう。
源融の死後、この地に『清涼寺』を建立しました。
源融は、嵯峨天皇の第十二皇子。
鴨川に別業(別邸)「河原院」を築いて過ごしました。
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・六条「源 融」〜河原院跡〜
境内には数々の石碑に歌が書かれています。
釈迦も粧う 初秋の襞こまやかに 海道
もろ蝉に息あわせ聞く 釈迦若し 佳子
丸山海道・佳子夫妻の句碑です。
「あでやかに 太夫となりて 我死なん 六十路過ぎにし 霧はかなくも」 中村芳子
「清涼寺」さんには、「源融」の公墓があります。
先日、お邪魔した「清涼寺」の中にあるカフェのオーナーに教えていただきました。
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「清凉寺」境内には源融の宝篋印塔(ほうきょういんとう)があり、融の墓と伝えられています。
何度も通っている「清涼寺」さんにまさかの「源融の墓」と伝える宝篋印塔!
その隣には、嵯峨天皇と皇后の檀林檀林皇后の宝塔があります。
宝塔の前には河津桜が咲いていました。
嵯峨天皇は源融のお父さん、檀林皇后は義母です。
宝篋印塔は右(北側)が嵯峨天皇の宝塔、左(南側)檀林皇后の層塔と伝わります。
また、「清涼寺」境内には、昭和55年(1980)大阪城三の丸から出土した豊臣秀頼の首が納められた首塚もあります。
毎年3月15日に、春を告げる「火祭り」が行われる「清涼寺」。
清凉寺の「嵯峨お松明式」では、約7メートルの大松明が三基立てられ、早稲・中稲・晩稲と呼ばれるそれぞれの火の勢いで今年の農作物の豊凶を占う行事です。
とっても神秘的な夜ですよ♪
今年の大河ドラマでも活躍中の藤原氏の末裔様に「高津商会」ではご縁をいただき、ご一緒にイベントなどをさせていただいてます。
「源氏物語」や「平安時代風セット」のご縁で、「源氏の間」を装飾させていただき公家文化を教えていただくイベントなどもさせていただきました。
毎日が学びの日々です♪
清涼寺宝篋印塔(源融公の墓)
京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46