阪神・原口文仁選手の2016年回顧~前編 「ここで落ちたら二度と上がれない」
阪神タイガースの契約更改は佳境を迎えており、ファン感謝デーで金本監督から『2016フレッシュ大賞』を贈られた2人も、相次いで交渉の席につきました。11月28日は北條史也選手が730万円→2200万円、翌29日は原口文仁選手が480万円→2200万円(推定)と、揃って大幅アップでサインをしています。
原口選手は、桜井広大選手が6年目のオフに更改した際のアップ率346%を上回る、358%の球団史上最高記録だとか。まあ育成から支配下になった差額分を足しても、もともとが低いですもんね。とはいえ、笑いが止まらないという表情ではなかったみたいです。本物の1軍正捕手として1年後に「満足」と言えるよう、あえて厳しい表情で会見に臨んだのかもしれません。
交渉は約40分とかなり長め。原口選手は契約更改を球団事務所でやるのも、本格的な“交渉”という時間を持つことも初めてなので、あれもこれもと話を聞いていたのでしょう。会見開始が18時を過ぎてしまい「遅くまで待っていただいてすみません。ありがとうございます」と記者陣に頭を下げたようですよ。
そんな原口選手の、歴史的なシーズンを振り返ります。ことし出した記事をいくつか貼りつけましたので、参考になさってください。1月の自主トレと2月の沖縄キャンプ招集については★1の中でご覧いただけます。
「ここで落ちたら二度と上がれない」
7年目で初めて経験した1軍。「最初は、一日でも長くしがみついていようという心境」だったと振り返ります。シーズン最後まで1軍にいられると思っていた?「とにかく1試合、1試合と考えていました。でも、怖かった…。親指をやったとき。打てない日が続いたとき。ここで落ちたら、きっともう戻って来られないだろうって」
“親指のケガ”は6月9日、ロッテ戦(QVC)での出来事。1回に自身の捕逸で先取点を与えるなど7対2とリードされた5回裏、清田選手の打球が原口選手の左手を直撃します。テレビで見ていると、すぐさまミットを外し右手で左手親指をつかんで押し込む仕草。彼にしては珍しく、かなりの痛がりようで驚きました。そのあとピッチャーにうなずいて構えたものの、何度も顔をしかめるほどです。
このイニングが終わり、原口選手はトレーナーに付き添われて病院へ。次の打席に代打が送られました。「あの瞬間、親指が外れたんですよ。だからグッと押し込んだ。もうね、指がね、反対側にそっくり返ってた!」。ものすごい痛みで、その後も「1ヶ月くらい、ずっと痛かった」そうです。でも「今もしファームに落ちたら、もう二度と上がれない」と踏ん張りました。
次は札幌へ移動しての日本ハム3連戦で、10日は途中出場して1打数ノーヒット。11日は2打席目まで三振2つで「手の影響があると思われたらダメだと思って」3打席目に左中間二塁打、4打席目も左前打したのはすごい精神力ですね。必死に平静を装いながら痛みとも戦っていた中で、3戦目の11日に大谷選手から3打数ノーヒットだったことが心残りらしく「大谷君としっかり対戦したかった~」と言っています。
印象に残るのは初スタメンの試合
印象に残った試合を聞いてみました。いろいろありますよねえ。初の1軍は雨の巨人戦。それから初ヒットや初ホームラン、必死のパッチのサヨナラ打、ヒーローインタビューも計7回あったし。いや、もしかすると原口選手のことだからキャッチャーとして勝てた試合を挙げるかも。
「最初にスタメンで出た試合です。さだ(岩貞投手)が先発で、1点取られて陽川が2ランを打って逆転。ドリスとマテオも投げてピンチを抑えて勝ったんですよね。マテオの球にも大分慣れてきたところでした」
やっぱり!支配下登録&1軍昇格から2日後の4月29日、3試合目で初めてスタメンマスクをかぶり最後まで出たDeNA戦(甲子園)です。9回は1球受けるたびにミットを外して手の汗を拭っていたのを思い出しました。「何年も、フルでマスクをかぶっていないのに」1軍で初のフル出場がキャッチャー。こだわり続けたポジションだけに忘れられないでしょう。
さかのぼって調べてみると、ことし2月の安芸キャンプで1年半ぶりにキャッチャーとして練習試合に出たのですが、スタメンマスクとなると2014年の安芸キャンプ以来2年ぶりでした。その後、ウエスタン公式戦で4月に5試合のスタメンマスクがあり、4月16日はフル出場。ちょうど支配下復帰へ向けた“卒検”だったように思える、10日あまりの4番固定期間です。
フルでマスクをかぶった試合といえば、2013年10月のフェニックス・リーグで2度(どちらも練習試合)。公式戦では2012年9月26日(ソフトバンク戦・雁の巣)以来のことでした。つまり3年半ぶりにキャッチャーでフル出場した約2週間後に、1軍のグラウンドで試合終了の瞬間を経験できたわけですね!2対1という僅差の勝利で、試合後は「味わったことがないほど、とてつもない喜び」と表現しています。
この日は6回1失点(自責0)で2勝目を挙げた岩貞投手と、決勝打となるプロ1号の陽川選手がヒーローインタビューを受けました。もしかしたら原口選手を含めた同級生トリオでお立ち台?と期待したのですが、それは来年の楽しみにしておきましょう。
来年は20本越え、お願いします!
初ホームランは昇格して8日後、出場7試合目で出ました。ナゴヤドームで中日・吉見投手から打ったもので、そこから5月は5本。あっという間にファーム公式戦で自身最多だった2014年に並んでいます。以降は6月が1本、7月に3本。やはり「体力的にも精神的にも一番きつかったかな」と振り返る6月、7月あたりは減っていますね。
「途中までいいペースでいけたけど、1ヶ月くらい空いた時あるじゃないですか?あれでちょっと」。確かに7月27日の9号から8月30日の10号まで、約1ヶ月かかりました。
でも9月24日に打って、計11号となり「とりあえず2ケタ打てたんで」と言います。この11号もナゴヤドームで中日・吉見投手から。最初と最後が同じピッチャーってのも何かの縁でしょうか。ところで初ホームランの記念ボールは結局?「戻ってきていないですねえ」。そうですか…残念。
「でも別にいいんです。それより初ヒットの方がうれしい。ボールはちゃんともらいました!」。そうそう、しばらくは僕が保管しておきますと言っていましたよね。「初ヒットとサヨナラヒットのボールは、甲子園歴史館にずっと飾ってあったんで。今は僕が持っています」とのことです。
『ポロリ賞』は貰わないように?
オールスターは楽しかった?「楽しくないですよ~!楽しむ余裕なんてなかった」。周りがすごい人ばかりで?「それもありますけど、ちょうど公式戦でポロッとやったり走られたりという時期で…。しかもすごいピッチャーの球を受けるのに、逸らすわけにいかないじゃないですか。打つ方?それは大丈夫です。打席は楽だった」。そこはとっても楽しそうな顔。
そういえば2戦目(横浜)の試合後、「ポロリ賞をもらってしまいました!」と言っていた原口選手。どうやらフライをポロっとしてしまったからポロリ賞ってことなんですね。「自分で自分にあげた賞。もう、もらわないようにします(笑)」と決意表明つきでしたよ。
ポロリといえば、6月3日の西武戦(甲子園)で、三本間のファウルフライを追ってサードのヘイグ選手とお見合いして、原口選手のエラーが記録されたプレーも、かなり記憶に残っていますね。「捕るつもりでいって、もうちょっと後ろの方かなと考えたところで、背中に足音が聞こえたんですよ。あ、ヘイグが来てると思って…やめちゃいました。あれは僕が捕らなきゃいけない。あのあとはしっかり捕りにいっています」
ギリギリで逃した3割ですが…
初出場の4月27日から8月30日までキープし続けた3割ですが、翌31日に4打数ノーヒットで.299になり、9月4日からの3試合で3割に乗った以外は再び2割9分台でした。.299で迎えた10月1日の最終戦(対巨人、甲子園)は1打席目で二塁打を放ち.302、そのあと2打席は凡退したけど、まだ四捨五入すれば3割ちょうど。そして7回の4打席目は…初球を打って中飛、最終打率.299です。
その試合後、苦笑いしながら「でも勝ったことが一番大きい」と6対0の完封勝利にホッとしていましたね。それについて「3割より、どれだけ打席に立てるかです。僕みたいな選手は」と原口選手。「最後はフォアボール…ってのも頭をよぎったけど、でも絶対に打ってやる!と思って打席に入りました。引っ込んだ気持ちになりたくなかった。打って決めてやると。だから初球からいったんです」
ところで苦手なピッチャーは?「数字を見たらわかる通り、巨人の菅野さん」。4打数0安打、1四球でした。「あとは今永(DeNA)の真っすぐですね。150キロくらいに感じる。メッチャ速い!2、3本は打ったけど」。はい、7打数3安打で三振が3つあります。「マシソン(巨人)も速いですねえ」。マシソン投手は4打数0安打で1三振という内容。「来年は打ち返さないと!」と力を込めました。
「環境のせいにはしたくない」
1軍に上がる時、ファームの監督やコーチに「ここでやっていた通りにやれば大丈夫だから」と励まされて迎える初打席。自分はそのつもりでいても、同じように打てなかった…と肩を落とす選手を、これまで何度も見てきました。でも原口選手はどっしりとした構えで、普段と変わらない表情。その姿を頼もしく感じた方も多いでしょう。1試合の中で、また1打席の中で相手ピッチャーの球に対応していく姿はベテランさながらです。
あの落着きはなぜ?と聞いてみたら「それはもう、6年間の…下積み?(笑)」と原口選手。ファームの打撃練習で、若い選手が「原口さんは1球ごとに場面を想定して、考えて打っている」と言っていたのを思い出します。置かれた環境で、どれだけ濃い時間を過ごしてきたか。だから、いつかその時がくれば結果を出せるという自信もあったでしょうね。ただ本人はそう言わず、まったく別のことを口にしました。
「ファームでも、そんな試合に出てないんですけどね」と苦笑いしたあと「だけど、出られなかったのは自分のせいなんですよ。キャッチャーが多いからとか、育成だからとか、そういう“環境”が理由じゃない。1軍でも同じです。外れるのは自分がダメだから、打てないから。勉強しなさいということだと思っています。環境のせいにはしたくない。絶対にしない」
※原口選手の2016年回顧・後編はこちらからでもご覧いただけます。<昨年秋に訪れた分岐点で「最後のアピール」>