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阪神・原口文仁選手がサヨナラ打で初のお立ち台!「必死のパッチ」三代目に就任

岡本育子フリーアナウンサー、フリーライター
プロどころか高校でも経験がないというサヨナラヒットを、甲子園で放った原口選手。

きのう19日の夕方、1軍の阪神-中日戦が行われる甲子園球場に立ち寄りました。試合前のシートノックに備え、選手やコーチ陣がロッカーからベンチへと移動していく通路で、久しぶりに原口文仁選手と対面。翌日から名古屋へ移動する5月2日、鳴尾浜で少し話を聞いて以来のことです。急激な生活の変化と疲労からか口内炎ができたと苦笑いしていましたけど、そのあと新たできた口内炎も含め、今はもう完治したみたいで何よりです。

前回出した原口選手の記事は、こちらからご覧ください。<阪神タイガース・原口文仁選手が迎えた雄飛の時 ― その強さは たゆまぬ努力の証 ―>

試合が始まってから5回終了までスタンドで見て帰宅しました。ところが、あんな事態になって…いや~もう家の中で飛び上がるわ、叫ぶわ、涙が出るわ、大騒ぎ。埼玉の実家ではご両親とお姉さん、妹さんが勢揃いでテレビをご覧になっていて、原口家も大騒ぎだったみたいです。さらにヒーローインタビューを見ながら「やりましたー!だって」とかなり盛り上がっておられた様子。

私もテレビで原口選手のインタビューを確認したあと、再び球場へ向かいました。ギリギリで囲み取材に間に合ったので、そのコメントものちほどご紹介します。

チーム5年ぶりの11試合連続フルマスク

考えてみると、原口選手はずっとスタメンマスクが続いていますね。3日からの中日3連戦(ナゴヤドーム)、6日からのヤクルト3連戦(甲子園)で6試合連続フル出場。雨天中止も含めて2日空き、11日の巨人戦(甲子園)、また1日空いて13日からのDeNA3連戦(甲子園)、そして17日から中日3連戦(甲子園)とすべて先発出場。17日は最後まで出たものの18日は9回に岡崎選手と交代したので、フル出場は11試合連続でストップしました。でも実はこれ、スポニチ記録部の方に調べていただいたところ、久々の記録だったようです。

4月27日、鳴尾浜から初めて甲子園へ“出勤”する原口選手。ちょっと緊張?
4月27日、鳴尾浜から初めて甲子園へ“出勤”する原口選手。ちょっと緊張?

阪神の同一捕手が10試合以上連続してスタメンマスクをかぶったのは、昨年の梅野選手が開幕から13試合続けたのが最後ですが、この時は5試合目と12試合目に途中交代があり、連続フル出場は6試合でした。10試合以上連続フル出場となると、2011年に藤井選手が11試合(7月31日~8月12日)、同じ2011年には城島選手も4月から5月にかけて15試合というのがあります。ただし城島選手は2010年に全144試合で先発していますので、最多記録は別です。というわけで、原口選手の11試合連続フル出場は、2011年の藤井選手以来のこと。

きのう19日もまたフル出場しましたが、前日の交代は相当ショックだったみたいで…。9回は藤川投手と岡崎選手のバッテリーで抑えてチームは勝ったものの「かなり悔しいです。悔しくて夜中3時まで寝られませんでした」と原口選手。4月27日から計18試合に出場、15試合に先発していてフル出場が13試合です。途中出場だった3試合も、代打からマスクをかぶって最後まで出たので、試合終了の瞬間をベンチで迎えたのは2試合だけでした。だからこそ昨夜の喜びはひとしおだったと思われます。

悔しさが生んだ翌日のヒーロー

きのう19日の中日戦、初回に2点を先制されながら、以降は抑えた藤浪投手。6回に鳥谷選手と福留選手の連続タイムリーで追いつき、7回は連投の石崎投手が、8回はプロ初登板の田面投手が、そして2夜連続で9回に登場した藤川投手が踏ん張り、2対2のまま9回に突入しました。9回裏1死からゴメス選手が中前打、ヘイグ選手は死球、高山選手も右前打でつなぎ、満塁で迎えた原口選手の打席。

1球目をファウルしたあと3球続けてボール、そして5球目の真っすぐ(135キロ)をとらえ、打球はセンターの頭上を超えました。一塁を回った原口選手のもとへ、打球が落ちるのを確認してベンチを飛び出した選手たちが駆け寄って、水をかけたり体を叩いたりの祝福。ずぶ濡れのまま金本監督に抱きついた原口選手が可愛らしかったですねえ、子どものようで。迎える監督が、またお父さんみたいに優しい笑顔で。ファームでの彼の6年間を知る平田コーチ、中村コーチも大喜びでした。

ファームの試合で、イニングの合間に素振り中。…カメラ目線なんですけど。
ファームの試合で、イニングの合間に素振り中。…カメラ目線なんですけど。

初めて経験するヒーローインタビューが甲子園のお立ち台というのも、“持っている”証拠でしょう。これまでもチャンスがありそうな時に案を練っていたというので、この日はもう打った瞬間から頭をフル回転させていたかもしれませんね。お立ち台で、どうしても言いたいことがありました。それもしっかり盛り込んで無事に初体験を終えています。ではコメントをここで書いておきましょう。

熱い熱いお立ち台でした

紹介される前に「最初、マイク(を持たせてもらって)いいですか?」と、インタビュアーに“仕込み”をする声も、ちゃんとマイクに入っていて笑っちゃいましたね。きょうのヒーローは原口選手です、ひとこと申し上げたいそうですと渡されたマイクを持って「サヨナラやりましたー!」と絶叫その1。ついで今の気持ちを聞かれ「最高でーす!」と絶叫その2。初のお立ち台の感想も「最高でーす!」で絶叫3。テンション高かったですねえ。

―この大歓声はどう?

「いやもうほんと、しびれるくらいの展開だったんで、皆さんの応援が力になりました!」

―サヨナラのシーンを振り返って

「もうここで絶対決めてやるって強い気持ちで、もう必死のパッチで打ちましたー!」

―その打球が見事センターを破っていった

「ほんと、嬉しかったです」(ここは少ししみじみと)

―リードの方でもよくしのいだ

「そうですね。まず晋太郎がね、まあほんと粘り強く何とか2点で止めてくれたんで、もう絶対に点はやらないっていうね、強い気持ちでいきました」

―8回の田面投手は1軍初登板で見事0点に

「まあ2人で、やっぱり苦い経験を味わってきたんで、もう最後は思いっきり、もうサインも合って、攻めていきました」

―プロ7年目、いろんな苦労も乗り越えてたどり着いたお立ち台。振り返って

「ほんと、いい経験ができた6年間だったんで、これからはその経験をもっと、どんどんここで、1軍の舞台で生かしていきたいと思います」(ここで大きな拍手と歓声)

―チームも連勝、この1勝は大きい

「そうですね。きのう勝って、いい波に乗っていくとこなんで、またあしたから一戦一戦がんばります」

―あしたから広島戦、まず相手は黒田投手ですが、意気込みを

「チーム一丸となって、これから戦っていきます!」

―ファンの皆さんに

「最後まで熱い応援、ありがとうございました!これからどんどん波に乗っていきます。応援よろしくお願いします!」

田面投手との12球

2014年、とある野球教室での原口選手です。未来の大砲相手に笑顔が。
2014年、とある野球教室での原口選手です。未来の大砲相手に笑顔が。

ヒーローインタビューのことはまた後で書かせていただくとして、先に囲み取材のコメントをご紹介します。サヨナラタイムリーを「確認はしていないんですけど、抜けたなって感じですね」と振り返っています。「ランナーが続いたら絶対に回ってくると思ったので、準備はしていました。センター中心で、最低でも外野フライがいけばと。ボール球をしっかり見極められた。ファーストストライクに手を出せたことがヒットにつながったので、打って決めるという気持ちで。センターにいい打球が珍しくいきました」

金本監督はカウント3-1になったところで押し出しかなと思ったと笑っていました。「打つ気満々でした。冷静に頭の中を整理できたので、力みなく思い通りにバットが出てくれたと思います」。とはいえ「これが一番じゃないかっていうくらいプレッシャーがかかっていたけど」と本音もチラリ。「でもいつも通り、やってきたことを思い切りやろうと考えて落ちつけた」そうです。

投手陣が粘ってくれたことに関しては「ほんとそうですね。しっかり抑えてくれたので、なるべくしてなった結果。ピッチャー陣の頑張りだと思います」と感謝も忘れず。そして同じく4月に支配下登録された田面投手と組んだ8回は、1人ランナーを出したものの、最後は代打・野本選手を145キロの真っすぐで空振り三振!「初登板なので、いつもの田面さんじゃなかった。その中で抑えて、最後の1球は最高のボールでした!」

昨年9月、投げ終わった田面投手(右)を迎える原口選手。2人ともまだ3ケタでした。
昨年9月、投げ終わった田面投手(右)を迎える原口選手。2人ともまだ3ケタでした。

引き上げる時、いったん返したボールをボールボーイから受け取り、田面投手に渡しました。「初三振のボール、田面さんは要らないかもしれませんが、僕には大事な1球と思えたので」。お互いに意味のある1イニング、12球だったでしょうね。「僕と田面さん、狩野さんもそうですけど、育成に落ちて、今となってはいい経験ができたと思えます。その時からずっと、また戻るという気持ちで、腐らずにやってきたのがいい経験。下の子たちに伝えられることがあると思うし、伝えられるように今がんばらないと」

原口文仁の“超変革”

彗星のごとく現れ、即座に戦力となった原口選手について、新聞やテレビでは「とても落ち着いて堂々としている」「キャッチングもリードも、ずっと1軍にいるキャッチャーみたい」と言われています。でも本人は「うーん、いつも通りやっているだけですよ。ファームでやってきた通り、ファームとまったく変わらないのに、え?それがなぜ?って思うくらいですねえ」と不思議がるばかり。それはきっと原口選手自身の経験が支えとなっているからでしょう。

テレビ中継では、マウンドへ行ったり声をかけたり、緊張の中でなかなかできないだろうという話はありましたが、考えたらファームでも声かけやジャスチャーは大きく、わかりやすくやっていますもんね。ただ「1軍の、初めて組むピッチャーに対しても堂々たるリードぶりで。それは感心した」と言ったら、ふと原口選手の顔が輝きました。

「それはね、あそこに行くと人間が変わるんです。運転でもハンドルを握ると豹変する人がいるじゃないですか。そんな感じ。あの場所に立つと、ものすごく強気になる」

ほほ~!それは驚きの証言。1軍は人を変える?「サインを出して、ピッチャーに『え?』と怪訝な顔をされても、しつこく同じのを出しました。二度、三度と。そしたら頷いて投げてくれて、これがまた構えたとこに来るんですよ!すごい」と目をまん丸にしたあと「ピッチャーが乗り気でない反応をしても、自信を持っていきます」とキッパリ。もちろん、そこには裏づけされたデータや、原口選手自身が読み取った空気などはあるんでしょうけど、1軍という場所がさらに後押ししてくれるのかも。

4月のウエスタン・中日戦(四日市)で試合前の練習中。
4月のウエスタン・中日戦(四日市)で試合前の練習中。

3日の中日戦(ナゴヤドーム)で6回に死球を当てられた原口選手が、すぐさまマウンドのジョーダン投手に正対したことと、あの威嚇するような表情は未知のものでしたね。ファームではどんなところに死球を受けようが、痛い素振りも見せずに一塁へ駆けて行く選手です。当然、ホームランを打ってもガッツポーズなど見たことがありません。ところが…

「ファームではやってないけど、ガッツポーズもしてやろうと思っていますよ。盗塁を刺した時にこう!」

と、やって見せてくれました。こぶしを高く突き上げるというガッツポーズではなく、球審の人が見逃し三振の時にやるような、握った右手をグッと引く感じです。試合で得点した時や盗塁を阻止した時に、こぶしをグッと握る仕草は何度かやっていますが「あんなもんじゃないんです。もっと」と言います。確かにまだまだ控えめかな。でもファームの原口選手を知る我々にとっては、その控えめな“グッ”ですら超変革!まあサヨナラは初体験だったので別としましょう。いいガッツポーズでした。

だから19日のお立ち台なんて、もう超超超変革ですよ。私は前もって聞いていたから心構えができていましたけど。ただ、あのヒーローインタビューで初めて原口選手がしゃべるところを聞いたという方が、いったいどんな印象を持たれたか少し気がかりでもあります。グラウンド以外ではすごく穏やかで静かに話す、そして誰もが認めるくらい礼儀正しい好青年。それが原口文仁選手です。あのお立ち台は自身のシナリオで、一生懸命に弾けさせた結果。そういうところも生真面目なんですよね。

受け継がれた「必死のパッチ!」

さて、お待たせしました。必死のパッチ復活の経緯をご紹介します。矢野選手(現バッテリーコーチ)、それから関本選手(現評論家)がヒーローインタビューで言っていた、阪神ファンおなじみのフレーズ。それを原口選手がなぜ、プロ初のお立ち台で発したのか?実現するまでは秘密にと言われていて、ずっと待っておりました。でもまさかサヨナラの立役者になるという、こんな文句なしの形で訪れる予測はしていなかったですねえ。しかも昇格して1ヶ月未満で。

昨シーズン、関本選手からもらって原口選手が大切に使っていた皮手袋。
昨シーズン、関本選手からもらって原口選手が大切に使っていた皮手袋。

支配下登録と1軍昇格が決まった4月27日、LINEで関本賢太郎さんから、お祝いと“必死のパッチ”スタンプが届いたそうです。原口選手が「使わせていただいでよろしいですか?」と尋ねたら、関本さんの返事はこうでした。

「当たり前やろ!ぐっちが使わんで誰が使うねん!」

野球の神様も、昨年までの代打の神様も、しっかり見てくださっていますね。誰よりも一生懸命で、誰よりも必死のパッチが似合う選手だと。腰痛がきっかけで半分以上を育成選手として過ごしたけれど、決して心が折れることはありませんでした。ヒーローインタビューで言った『苦い経験』という表現も、今まで聞いた記憶がないくらいです。その後の不運な骨折や右肩痛を克服して、なおかつキャッチャーで勝負したいと願い続けた日々。

人は、願うだけでは夢をかなえられません。もと宝塚歌劇団の男役トップスター・瀬奈じゅんさんが、2009年の退団に際して「願い、努力し続ければ“なりたい姿”になれる」と語っていましたが、まさにその通りですね。いくら願っても、努力しなければたどりつくことはできない。原口選手の強みは、絶え間なく努力を続けられるところ。バットを振るのも、朝早くから室内練習場でひとり打ち込むのも、試合で盗塁を決められた日は志願してスローイングの練習をするのも、彼にとっては当たり前のことなのです。

試合後に申し出てスローイング練習をするところ。手前は山田バッテリーコーチです。
試合後に申し出てスローイング練習をするところ。手前は山田バッテリーコーチです。

試合中、守備が終わるたびにバッターの特徴などを書き込む手帳の中身と同じで、そうやって積み重ねた時間のすべてが原口選手の血となり肉となっています。自信にもつながっています。なので、急に1軍の試合に出たからといって慌てることもなかったでしょう。ここまでの6年あまりは大きな財産で、たくさんの引き出しがある机。そこに、これからもっともっと多くのものが詰まっていくはずです。決して努力と勉強を絶対に忘れない選手だから。

なお、お立ち台でやりたいことがもうひとつあるみたいですよ。それはまた実現した時に。どうぞ楽しみにお待ちください。

試合の談話にも表れる人柄

そういう中身ギッシリの原口選手だけあって、試合中に広報を通じて出す談話も心境や分析経過などが見て取れます。しかも真面目ですからねえ。ここに載せておきます。5月5日の分は広報からのものではなく、試合後の囲み取材でのコメントです。

2014年夏の鳴尾浜。正座をさせられているのではありませんよ、原口選手に限って。
2014年夏の鳴尾浜。正座をさせられているのではありませんよ、原口選手に限って。

◆5月3日・中日戦(ナゴヤドーム) 4回に同点犠飛

「打ったのはチェンジアップ。次の打順がピッチャーだったので、甘い球で簡単にカウントを取りに来ないだろうと思って打席に入りました。2つのボール球をしっかり我慢することができましたし、カウント2-0になってからもセンター返しの意識を持っていたので、変化球に対応して外野まで打ち返せました。ランナーを還すことができてよかったです」

◆5月4日・中日戦(ナゴヤドーム) 4回に第1号3ラン

「打ったのはフォーク。追い込まれるまでの意識では、シュートをファウルでもOKだと考えて、フェアゾーンには入れないように気を付けていました。2点を先制した場面で回ってきましたが、この2点だけでは終われないと集中力を高めていけましたし、そうすることで最後の甘いボールを仕留めることができました。キャッチャーとして、もちろん横山を援護したい気持ちでしたし、打ててよかったです」

横山投手について「上手く緩急をつけてプラン通りに配球できた。ナイスボールでしたね。(勝利は)投手のおかげです」

◆5月5日・中日戦(ナゴヤドーム) 8回に大島選手の盗塁を阻止

「あれはアウトかセーフかで流れが変わるので。勝負どころでした」

―二度、牽制を入れた。警戒は強かったか?

「ドリスは牽制のタイミングも早いので、もちろん警戒はしますけど。いい反応ができて、いいスピードで捕って、スローもいいところにいけたので」

―100点のスロー?

「まあ高さとボールの質もよかったので。ボールの落ちてくれたところがよかったですね」

◆5月17日・中日戦(甲子園) 2回に同点タイムリー

「打ったのはスライダー。悪い先制点の取られ方をしたので、まずは同点に追いつきたいという気持ちでした。ボール球を見極められましたし、甘いボールを逃さずヒットにできました」

◆5月18日・中日戦(甲子園) 2回に先制タイムリー

「打ったのはシュート。内野が前進守備を敷いてきていたので、多少つまってもいいと思って、ポイントを近めにして強く振ることを意識していました。なので、つまったヒットでしたけれども、自分としては想定内の当たりでした」

昨年、甲子園で行われたウエスタン公式戦の試合後。
昨年、甲子園で行われたウエスタン公式戦の試合後。

真面目といえば、2014年オフの月刊誌に寮生20数人へのアンケート結果が出ていました。いろんな項目があり、そのうちの『寮生の中で一番、誰が真面目だと思うか?』という設問で、本人を除く全員が「原口選手」と回答しています。ただし本人は「岩崎投手」という答え。そう、自分の名前なんて書かないんですよ、真面目な原口選手は。だからこそ!何度も言いますが…きのうのお立ち台はメチャクチャ真面目に、必死で自分を弾けさせた結果だと思ってくださいね。

フリーアナウンサー、フリーライター

兵庫県加古川市出身。MBSラジオのプロ野球ナイター中継や『太田幸司のスポーツナウ』など、スポーツ番組にレギュラー出演したことが縁で阪神タイガースと関わって約40年。GAORAのウエスタンリーグ中継では実況にも挑戦。それからタイガースのファームを取材するようになり、はや30年が経ちました。2005年からスポニチのウェブサイトで連載していた『岡本育子の小虎日記』を新装開店。「ファームの母」と言われて数十年、母ではもう厚かましい年齢になってしまいましたが…1軍で活躍する選手の“小虎時代”や、これから1軍を目指す若虎、さらには退団後の元小虎たちの近況などもお伝えします。まだまだ母のつもりで!

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