祝・月間MVP受賞!新たな“勲章”にも、感謝と謙虚さを忘れない原口文仁選手
きのう7日午後、NPBから『5月度日本生命月間MVP』が発表され、セ・リーグ打者部門で阪神タイガースの原口文仁選手が初受賞しました。これまでファームでもウエスタン・リーグの月間MVPどころか、球団制定のファーム月間MVPも「もらったことないんですよ!」と本人が驚くくらいです。考えてみたら成績云々より、まず1ヶ月それだけ試合に出続けたことがなかったと言えますね。
たくさん出てきた “〇年ぶり”
既に候補選手として名前は挙がっていたものの、いざ決まってみると、これまた多数の“ぶり”がついてきます。まず育成契約を経験した選手では、2009年8月の中日・チェン投手(支配下→育成→支配下に復帰して2年目)、2012年7月の巨人・山口投手(育成→支配下に昇格して6年目)以来で、野手の受賞となれば史上初!それに上記2選手に比べても、支配下復帰が前月末だったので、相当なスピード受賞です。
またタイガースの選手が選ばれるのは2014年7月の岩田稔投手以来2年ぶりで、野手では2010年8月の鳥谷敬選手以来6年ぶりのこと。そしてキャッチャーの受賞は2012年9月の巨人・阿部慎之助選手以来、両リーグを通じて4年ぶり。タイガースでは1975年4月の田淵幸一選手以来、実に41年ぶりの出来事でした。
1975年というのは月間MVPが設けられた初年度(しばらくはセ・リーグのみ)で、4月というと第1号ですね。受賞者も1人だけで、今のように投打で1人ずつ選出するようになったのは1989年から。ちなみに田淵選手は、西武に移って1983年5月に2度目の受賞をしています。
原口選手の月間MVP表彰は14日、阪神甲子園球場でオリックス戦の試合前に行われる予定です。観戦される方はぜひ早めに行って、晴れ姿をご覧ください。
受賞した5月の振り返り
4月27日に支配下登録され、即1軍昇格。その日に代打で出場して初安打も記録しました。翌28日に犠飛で初打点、3試合目の29日が初スタメンでフル出場。この日から『94』のユニホーム着用です。このあたりの話はこちらでご覧いただけます。<阪神タイガース・原口文仁選手が迎えた雄飛の時 ― その強さは たゆまぬ努力の証 ―>
そして、5月はこんな成績です。
24試合 96打席
79打数 30安打 17打点
本塁打5 二塁打2 犠飛1
四球11 死球5 三振10
打率.380 (リーグトップ)
1日が代打出場で、次の3日から31日まで全試合が先発出場。つまり5月に行われた24試合すべてに出場しただけでなく、そのうち23試合がスタメンマスクで、さらに21試合はフル出場(途中交代は18日と20日のみ)でした。3日から17日までの11試合連続フル出場は2011年の藤井彰人捕手以来で、それに並ぶ記録です。何よりも、すべてキャッチャーで出ていることが嬉しいでしょう。
最後までマスクをかぶり続けるためには打たないといけません。1日から8日まで7試合連続安打を放ち、この間の成績は17打数10安打6打点で打率.588と驚異的。8日に試合が終わった時点の.542が通算での最高打率ですね。そのあと17日から24日にまた7試合連続安打があり、この間は28打数14安打7打点の打率.500でした。
マルチヒットは全部で11試合、そのうち22日と24日は1試合連続の猛打賞!逆に1本もヒットが出なかったのは7試合。さらに、一度も出塁していないのは3試合しかありません。なんせ23試合で16四死球ですからね。また「5番キャッチャー原口」は11日の巨人戦(甲子園)が最初で、そのあと22日から31日までは8試合連続、計9試合。最初は8番か7番、現在は6番が多くなっています。
ファーム最多の5本塁打に並ぶ
5月にホームランは5本。これまでウエスタン公式戦でも2014年の5号が最多だったので、既に並びました。
1号3ラン 4日 D:吉見(ナド)
2号ソロ 7日 S:松岡(甲子園)
3号ソロ 24日 S:村中(神宮)
4号ソロ 26日 S:小川(神宮)
5号ソロ 28日 G:宮國(東ド)
ファームでは非公式戦を合わせても2011年に4本(うち公式戦が2本)、2013年に1本(公式戦はなし)、2014年に7本(公式戦5)、2015年に4本(公式戦のみ)、そして2016年に5本(公式戦は3)というホームラン。ことしは1軍と合わせると5月でもう10本も出ましたね。どこまで伸ばしてくれるか楽しみです。
ライト方向へのホームランは1軍で24日の3号ソロが初ですが、通算ではプロ3本目。ファームでは2014年10月11日、みやざきフェニックスリーグのヤクルト戦(西都)で八木投手から打ったのが最初で、2015年には4月25日にイースタン・巨人との対戦(ジャイアンツ球場)で今村投手からもライトへ打っています。なお同じ年の4月30日はオリックス・佐野投手から鳴尾浜のバックスクリーンへ放り込みました。
ご両親が、1軍メンバーとして出場する原口選手を見たのは28日の東京ドームが初めてだったのですが、そこでホームランを打ってくれたと喜んでおられました。この時は親戚の方も合わせて総勢8人で観戦され「打った!打った!ホームランだあ!って、もうみんなで大騒ぎ。あの1点は大きかったですよね」と、お父さんは思い出して声をはずませていらっしゃいます。そういえば昨年、ファームの巨人戦で打った右への1発もご覧になっているご両親。孝行息子です。
喜びの受賞コメント
では、原口選手の受賞コメントも書いておきましょう。私は残念ながら会見に参加できなかったので、スポニチ・巻木記者に教えてもらいました。インターネットや新聞の写真を見ると、カメラのフラッシュを浴びながら浮かべた笑顔が初々しいですね。
◆おめでとうございます。今の気持ちは?
「ありがとうございます。(1軍に)上がってきた月に取れたというのは嬉しいの一言です。快挙かどうかはわかりませんが(笑)、よく取れたなあと。勢いで取らせてもらった感じはありますけど。支配下に登録されて、すぐ使ってもらって、状態がいい時に上げてもらってそのままの力を1軍で出すことができました。感謝の気持ちでいっぱいです。自分の中でまったく想像つかなかったので、周りの人に感謝しかないです。鳴尾浜で6年間、こういう日を目標にやってきました。(心が)折れそうになったこともあったけど、周りの人に支えられてやってこられました。今思えば、よかったと思います」
◆打撃面が光っていました。
「打つに越したことはないと思うので、そういう結果が残ってよかったです。1打席1打席食らいついていったのが、結果につながったと思います」
◆5月は1日以外すべてスタメンマスク
「5月中はいくつか、いいプレーができたと思います。思いきってやったのがよかったと」
◆一番印象に残る場面は
「やっぱりサヨナラ打(5月19日の中日戦・甲子園)ですかね。打ったことがなかったので」
◆誰に一番に報告したい?
「まず家族に報告したいです。『よかったね』ぐらいだと思いますけど(笑)」
◆候補に上がったときは意識したか?
「取れるとは思っていなかったので気にせず試合をしていました。けど、最後の1週間は意識しましたね。でも試合に入ると普段通りできていたと思います」
◆ここまで振り返ってみて
「すごく早かったです。色々なことが初めてづくしでした。でもこれから、さらに色んなことがあると思うので、しっかりやっていきたいです」
◆プライベートで変化はあった?
「まったくないです。とにかく野球漬けの日々で頭もいっぱいだったので、ほぼ何もやっていません」
◆目標とする捕手は
「1人をあげるのは難しいですね。尊敬する人はたくさんいるので」
◆今後に向けて
「1軍で試合に出られて、厳しいことばかりで。厳しい声もありますけど、そういうのを味わえるのもありがたいことだと思う。そこに幸せを感じてやっていきます。でも、まだまだ未熟すぎるので(受賞は)嬉しいですけど、さらに気持ちを入れて取り組んでいきます。守備も打撃も課題が多い。試合に出る中でクリアしていきたいと思いますし、毎回責任を持って試合に臨んでいきたいです。今、たくさんのことを経験できている。自分の財産になるようにやって、いずれは阪神を背負って立てるような選手になれるよう頑張っていきます」
次々に訪れる初づくし、今度は球宴?
さすが月間MVPともなると、普段の“囲み取材”とは違いましたね。きれいな生花が飾られたテーブルの前に座っての記者会見だったみたいです。原口選手にとって、このような晴れの場は6年半前の新入団発表会以来ではないかと推察します。だからでしょうか。「カミカミでしたよ~」と苦笑い。でも言葉の端々に、原口選手の謙虚さや感謝の思いが滲み出ています。
「鳴尾浜で6年間、こういう日を目標にやっていた」「折れそうになった時も周りの人に支えられて」「厳しい声もあるが、それを味わえることもありがたい。幸せを感じてやっていきたい」。これは、彼がたとえタイトルホルダーになろうとも変わることはないはずです。
本当に驚きと喜びが入り混じった感じだったそうですが、本音を言えば「あんまりよくない時だったので…」と少し目を伏せます。誰もが絶好調の、その時にもらえるとは限りませんからね。でも見事です。立派な数字です。今月も、来月もそれを目指していきましょう。
コメントの中に出てくる、一番印象に残る場面として挙げたサヨナラ打と初お立ち台の模様は、こちらの記事でご覧ください。阪神・原口文仁選手がサヨナラ打で初のお立ち台!「必死のパッチ」三代目に就任
ちなみに、原口選手の父・秀一さんは月間MVP受賞に「本当にもう嬉しい限りです。どこまでも、どこまでも喜ばしいことが続いて、私らは何もできないけど、同じ気持ちでいます。ありがたいですねえ!みなさんのおかげです」と、息子さんと同じく感謝の言葉。そして前日、オールスターゲームのファン投票中間発表で野手部門の1位になったことも大喜びでした。次は夢の球宴ですね。
実はファン投票が始まる日に、その方法をお知らせしたところ「近所のコンビニでしっかり投票していますよ、一度に何通も(笑)」とお父さん。親戚の方も1日1回、ネット投票をしてくださっているそうです。鳴尾浜で、原口選手が練習する姿をずっとご覧になっていたファンの皆さんもしかり。育成選手も出場可能なフレッシュオールスターの経験もない原口選手ですが、あの夢舞台で『94』という大きな背番号を輝かせてほしい!と、みんな願っています。
受け継がれる『94』の全力プレー
先月末、ルートインBCリーグとの交流試合で富山と福井を訪れた際、原口選手をよく知る方々に話を聞いてきました。きっと月間MVPを受賞すると信じて、きょうまで温存していたものです。出せてよかった~!内容的にはMVPのことを聞いていませんが。
まず原口選手の前に『94』を背負ってプレーした野原祐也選手です。阪神が育成制度を取り入れた2年目、2008年に育成ドラフト1巡目で入団。ルーキーイヤーの7月26日に支配下登録され、背番号が123から94になりました。これに伴い、ながらく94をつけていたブルペン捕手の本田さんが111に変わっています。野原祐也選手が退団後は空き番号だったんですね。
阪神を退団後、古巣の富山GRNサンダーバーズに戻って兼任コーチを務めている野原祐也選手。阪神戦の前日、5月27日の石川戦(高岡)を観に行った際、ちょうどスタメンでしたが「久々なんですよ。あまり出てなくて。出てもDHだし。守備につくのも今季初!去年の9月以来です」と苦笑。なんとフル出場で、翌日は「筋肉痛ヤバイです。体バリバリです!」と言いながら、阪神戦もライトで先発。さすがに7回で交代しました。
「原口は3年間いっしょにやっています。94番?いやいや、もう彼のものですよ。入ってきた時から片りんはあったでしょ?僕はやれると思っていましたよ、あれくらいは打つと。高校出で、すごいなあ!と思った記憶があります。去年4月にこっちへ来た時はファーストでしたよね。キャッチャーやれて、よかった。頑張ってほしいですね!」と原口選手へのエールです。
昨年の合同トライアウトは受験しなかった野原祐也選手に、今後のことを聞こうと思ったのですが…その前に「今回のスタメンは、打てない若い選手の気持ちを変えようとの意図もあったかなと。僕はこれからも若い子をしっかり鍛えていきますよ。また来てくださいね」という言葉があり、それを答えと受け止めさせていただきました。攻守交代時には今も変わらず全力疾走の野原兼任コーチ。その姿で勉強する選手も多いはずです。
今の原口があるのは努力と根性
次は5月29日に阪神戦が行われた福井で、福井ミラクルエレファンツの吉竹春樹監督に伺いました。2011年と2012年の阪神ファーム監督です。「ずっと見ていましたよ。育成になってからも。キャッチャーでそこそこやっていたけど、腰の故障もあったし、ちょっとしんどいかなと負担の少ない内野をやらせたり。でも本人の努力はもちろん、何とかキャッチャーで勝負したいという強い気持ちがあったから、今の原口がある」
やはり一生懸命で?「そう。ファームでもベンチでメモを取ってたよ。そういう努力の成果が今につながってるんだろうね。バッティングはいいものを持ってた。監督が代わってチャンスが巡ってきたのもあるだろうけど、それだけアピールできたということ。オフもしっかり過ごしていたから」。やはり誰に聞いても、優等生の印象は同じです。それと、吉竹監督時代に言われていた“準備力”も持った選手ですね。
「準備を怠るな、毎日ノートをつけろ。失敗を恐れるな。こっち(福井)に来てからも、実戦に強くなるため、それは言っていますよ。それを全部、実行した選手が原口だった。あとは、ずっと試合に出ているので体のケアとトレーニングをしながらね」。最後はチームの選手を気遣う監督の口調でした。そして去り際に「1ヶ月でホームラン5本でしょ?すごいね!」と笑顔。これからも見守ってください。
「一度つかんだら放すな!全部いけ!」
同じく福井の藤井彰人バッテリーコーチ。藤井さんは今、阪神のフロントから福井球団へ派遣されている形です。ことしの2月は安芸キャンプで原口選手も見ていました。「ケガしたからね、腰も肩も。だけど、ことしに限っては体調がよかったみたいやね」。そうなんですよ。どこにも不安のないオフが久しぶりで、自主トレも春季キャンプも本当に全力で臨めたようです。
「僕は阪神の1年目(2011年)に続けて使ってもらって、その前の年は楽天でファームやったから実際しんどかった。35歳やったしね。でもキャッチャーとしては、そんなの勝てば吹っ飛ぶから!試合に出してもらえるのを、本人は喜んでいるでしょう。逆に、休めと言われたらイヤって言うはず。これから夏場が大変やけどなあ」
キャッチャーでフル出場の連続試合数、その35歳の時の藤井さんに並びました。「そのあともスタメンマスクやろ?ほぼ1ヶ月。アイツのすごいのは、1軍の経験がないのにやっていること。すごいよ。その姿勢はピッチャーに伝わってると思うよ。テレビで見てますけど、頑張ってる。必死に。わからんことはピッチャーに聞いて助けてもらったらええねん」。藤井さんの言葉の1つ1つがすごく沁みてきて、何だか私が泣きそうになりました。
「あのためにやってきたことやから」。つまり1軍の、あのホームベースを守るために今まで努力してきたってことですね。「だから、一回取ったら放さんようにせんと。鳥谷にも言うたことがある。一回つかんだら放すな!って。1軍の監督に信用される選手になってほしい」と藤井さん。さらに熱い激励が続きます。
「去年は(1軍に)名前すらなかったのに、今はレギュラーなんやもんなあ。休んでる場合やないで。痛い、痒い、言うたらアカン。全部いかな!」。最後に「頑張ってと言うといてください」と結んだ時は、いつもの穏やかな笑顔。伝えたら「ありがとうございます!頑張ります!」と原口選手も気合いを入れていました。大丈夫です。本人は全部いくことしか考えていないでしょう。痛い、痒いなんて絶対に言いません。逆にそれが心配でもありますけど。
初欠場、ベンチで考えた一日
最後に、千葉へ出発する6日の鳴尾浜でのこと。14時過ぎに出かけると言っていて、5分前に寮の階段を降りてきた時は既に迎えのタクシーが到着済みでした。そこで、まずドライバーさんに「すみませんが5分だけ待ってもらえますか?」と声をかけ、こちらに合図。我々の取材に応じてくれたわけです。ほんと完璧な対応!(神とか塩とかいう表現は嫌いなので…)
そこで、6月4日の欠場が「休養」と記者陣に振られ「僕は休みだとは思っていません。考えろという一日だと思いました」と答えました。以前に聞いた時、矢野バッテリーコーチは休ませるためと話していたものの、本人は「きのうのいけないプレーが理由」と言っていたのです。前日、ファウルボールを捕りに行くのをやめたことを差しているようで「僕のミスです」とひとこと。それを考えるためのベンチだった、勉強になったと話す原口選手。
とはいえ、OBや評論家の方も「すごく落ち着いている」という評価が多いですね。キャッチャーとしても、打席でも。確かに、こちらの予想をはるかに超えています。というか予想のレベルが低かったことを申し訳なく思うくらいで。ところが原口選手は「(岡崎)太一さんを見ていたら、落ち着いてるなあ!って、かなり思いました」と。それが昇格後初めて欠場した日のことです。
キャッチャーの仕事も、自身のバッティングも、もちろん試合の勝ち負けも「全部気にしている」そうですが「打つことに関しては、打席に向かう時からベンチに戻って来るまで。それ以外は守備です」とキッパリ。もともと長くは引きずらないタイプですけど、切り替え力もなかなかのものだと確信しました。
そうそう、オールスターのファン投票について聞くと「オールスターまで長いですよ」、侍JAPAN選出の可能性も「まだまだですよ」と一蹴されます。頑張ったご褒美にと期待しているんですけど。でも「今、頑張ります」「何とか頑張らないと」「一日一日頑張ります」と繰り返すばかり。ま、原口選手らしいといえば、らしいかも。だって急に「出ますよ!200万、獲りますよ!」とか言われたらビックリしちゃいますもんね。