シリア:ウクライナの情報機関が南部の治安錯乱を画策?
2024年6月4日付『クドゥス・アラビー』紙(在外のパレスチナ人資本の汎アラブ紙)は、ウクライナの報道を引用しつつウクライナの情報機関がシリア南部のダラア県、クナイトラ県でロシア軍、政府軍・親政府民兵への攻撃を強化していると報じた。『クドゥス・アラビー』紙の報道は、シリアの「反体制派」の広報機関のまとめを基に、ダラア県では治安の弛緩が進み、去る5月にはシリアの情報機関の者、民兵、「反体制派」民兵、民間人など40人以上が殺害されていると主張している。これらの治安錯乱は、2024年の年頭以来ウクライナ軍の特殊部隊や、同軍の情報機関の支援を受けたシリアの地元の集団によって実施され、ゴラン高原にロシア軍が設置した検問所や監視所への攻撃も繰り返されているそうだ。この報道によると、ロシア軍がシリアの沿岸部のラタキア県のフマイミーム基地に設置した「和解センター」は、ロシア軍がウクライナ戦線に送り込むシリア人傭兵の勧誘拠点とみなされている。また、2022年のウクライナ紛争勃発以来、ロシア軍はウクライナ戦線を支えるためシリアからの装備や人員の移転を進めているそうだ。二つとも、ウクライナ紛争当初にこの紛争とシリアとの関係で盛んに唱えられた物語だ。これに従えば、ウクライナの機関がシリアの治安を錯乱することはロシアに対する後方攪乱や、ロシア軍の戦力補強の妨害としての意義を持つ。
ただし、このお話は「悪いロシア軍(とその協力者であるシリア政府)をウクライナ軍(と正義の「反体制派」)がやっつける」などという単純な筋書きに回収できるものではない。というのも、2015年秋からシリア紛争に政府側で参戦したロシア軍は、シリア各所に数千の兵力を配置しているのだが、現在その一部はゴラン高原方面でシリア軍・親政府民兵、そしてイランの革命防衛隊、レバノンのヒズブッラー、「イランの民兵諸派」がイスラエルと交戦するのを防止するために展開するようになっているからだ。つまり、報道が事実ならばウクライナの情報機関はイスラエルによるガザ地区への攻撃をはじめとする最近の地域の紛争で、「紛争拡大を防ぐための努力をぶち壊しにする」とか、「イスラエルに与してその敵を攻撃する」と解釈されかねない活動をしていることになる。
どの位信憑性があるかはともかく、ウクライナ紛争の中で紛争当事者の行動がシリアをはじめとする中東の紛争にとんでもない効果を及ぼしたり、シリア紛争の中での動きがウクライナ紛争に想定外の影響を及ぼしたりすることは、ありえない話ではない。特に、今般引用した報道で挙がった地域は、「イスラーム国」をはじめとするイスラーム過激派諸派も浸透を目指している場所で、事の次第によってはウクライナ紛争、シリア紛争、パレスチナ周辺の紛争という、文脈も当事者の利害関係も異なる複数の紛争にイスラーム過激派の跋扈というさらに面倒くさい要素が重なりかねない。ちなみに、シリア紛争では当初からイスラエルが物的支援や兵站拠点提供してゴラン高原方面で「イスラーム国」を含むイスラーム過激派を活動させていたことが、「イスラーム国」の元戦闘員などへの聞き取りを通じて確実視されている。2022年秋に「イスラーム国」の先代の自称「カリフ」が、ダラア県にて誰にどうやってやられたのかよくわからない状態で死んでしまった事例がある。同派は、機会や資源があればシリア南部の諸県に浸透したいと思っているのだろう。
ロシアを含む旧ソ連諸国は、「イスラーム国」を含むイスラーム過激派にとって大口の資源調達先である。旧ソ連諸国出身のイスラーム過激派の構成員の多くは、自分たちが戦う政治的な意義や目標、所属組織の政治目的を理解できない程度に賢い人々で、単に「ロシア軍と直接戦いたい」とか「待遇がいい」という動機でシリア紛争の場にやってきた者たちだった。シリア紛争での戦闘が下火になると、彼らの多くは「ロシア軍と戦いたい」なり、「報酬が高い」なりの理由でウクライナの傭兵として雇用されるようになったというお話もまことしやかに唱えられている。イスラーム過激派の者がただシリアから他所に行ってしまうことで、喜んだり安堵したりすることはできない。また、ウクライナ(あるいは他のどこか)の工作により、シリアの治安が悪化して再びイスラーム過激派の「活躍の場」になってしまうことは、シリア人民にとっては迷惑以外の何物でもない。
今般報じられたウクライナの情報機関の工作が、事実なのか、どの程度の規模なのか、どのくらい戦果が上がっているのかを裏付けるのは難しいだろう。しかし、ウクライナがロシアに勝つためなら、「シリアの治安を乱すのはいいことだ」、「イスラーム過激派を蘇生させても構わない」、「中東の紛争を拡大する不安要素をばらまいてもよい」と考えるのなら、それはあまりにも無責任というものだろう。