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FIFAワールド杯カタール大会――「人権侵害」批判はどこまで正当か

六辻彰二国際政治学者
開幕試合前にスタジアムにきたカタールサポーター(2022.11.20)(写真:ロイター/アフロ)
  • 中東で初めて開催されたサッカーW杯カタール大会をめぐっては、招致決定の不透明さや大きすぎる規模などに関して、欧米で批判が噴出している。
  • 批判の一つにはカタールでの人権侵害があり、そこにはスタジアム建設などでの外国人労働者の劣悪な労働環境の他、イスラームの教義に基づく女性の権利制限などがある。
  • しかし、欧米が人権保護に熱心であることは確かでも、熱心であるがゆえに「自分のことを棚にあげる」傾向も鮮明になりやすく、サッカーはその象徴ともいえる。

 先進国の基準からみてカタールに人権侵害があることは否定できないとしても、それを先進国がどこまで批判する権利をもつかには注意が必要だ。

批判を招くカタール大会

 11月20日、カタールでサッカーW杯が開催された。今回のW杯は初めて中東で開催されたものだ。

 しかし、とりわけ欧米ではこれまでになく物議をかもしていて、なかにはTVのW杯中継を取りやめるスポーツバーも続出するといった拒絶反応もある。

 「カタールにW杯を主催する資格はない」という主張の大きな理由は、以下の4つにまとめられる。

(1)カタール大会の招致で大規模な不正があったという疑念

(2)スタジアム建設などW杯開催の準備では外国人労働者の搾取や酷使といった人権侵害が横行したという批判

(3)イスラームの教義に基づく統治が行われるカタールでは、女性の社会的権利が制約されがちである他、同性愛が法的に禁じられるなど、ジェンダー平等とかけ離れているという批判

(4)イスラームの教義に従ってカタール大会ではスタジアムなどでの飲酒やアルコール販売が禁じられたことが、ビールやワインを飲みながらスポーツ観戦する欧米の習慣と合わないこと

 その他、近年のスポーツイベントでは持続性の観点からコンパクト化が進んでいるが、カタール大会では大会費が2000億ドルという破格の規模にのぼると予測されることも、懸念を招いている。

批判はどこまで正当か

 以上のポイントの多くは以前から指摘されてきたことで、筆者も去年の段階で取り上げた。だから、こうした理由からカタール大会を批判する声があがることも理解できなくはない。

 カタール大会の招致では、買収攻勢が大規模に行われたという疑惑がある。この疑惑に関しては徹底した調査が必要だが、FIFAがその調査に必ずしも積極的とはいえないことが、批判に拍車をかけている。

 また、膨大な経費やそれにともなう不透明な取引についても、批判や懸念は当然だろう。

 とはいえ、「だからカタールはけしからん」と断定していいかは議論の余地がある。むしろ、欧米で高まる人権問題を理由としたカタール大会批判は、やや不公平といわざるを得ない

人権侵害に乗るサッカービジネス

 カタールだけでなく中東各国に人権侵害が目立つのは確かとしても、あえていうなら、現代のサッカービジネスそのものが膨大な人権侵害に大きく依存している。

 世界中から人材を集めるビッグクラブには、途上国とりわけアフリカの貧困国から、人身取引まがいの手法で子どもを連れ出す事案が後を絶たない。その数はヨーロッパのクラブだけで年間1万5000人にものぼると試算される。

 FIFAは2001年、18歳未満の子どもに、暮らしている国以外の国のクラブとの契約・登録を禁じた。しかし、その規制をかいくぐって、偽造パスポートで親子ともどもヨーロッパに移住させたり、偽の親に引率させたりすることが数多く報告されている。

 ビッグクラブでプレーすることを夢見てヨーロッパに渡った子どものうち、スター選手になれるのはわずかで、他のほとんどは捨てられてホームレスになるか、強制送還される。これは送り出す側の途上国の問題であると同時に、受け入れる側のヨーロッパ各国の問題でもある。

髪を隠さない自由、隠す自由

 人身取引についてヨーロッパ各国は他の地域より厳しい規制を設けているが、犠牲者の多くがヨーロッパに流入しているのもまた確かだ。

 女性の権利制限や同性愛の禁止が人権問題であるとしても、人身取引もまた深刻な人権問題であるはずだ。

 だとすれば、ヨーロッパのスポーツバーが人権問題を理由にカタール大会をボイコットするなら、ヨーロッパの多くのプロサッカーリーグもボイコットされておかしくないが、そうはならない。連れ出されるのが途上国の子どもだからだろうか。

 つけ加えるなら、フランスでは女子サッカーリーグなどで、ムスリム女性が髪を隠す「ヒジャブ」の着用が禁じられた。「世俗主義」を徹底させるというのが理由だが、これは髪を隠したいムスリム女性を排除するものでもある。

 アフガニスタンのタリバンが女性にヒジャブの着用を強制したとき、欧米メディアはこぞってこれを批判した。

 しかし、嫌がる人にヒジャブを強制するのが人権侵害であるなら、被りたい人にヒジャブ着用を禁じるのも人権侵害であるはずだ。

 欧米は確かに人権保護に熱心だが、それが熱心であるだけに、かえって他者への批判には「自分のことを棚にあげる」傾向が浮き彫りになりやすい。サッカーははからずも、その象徴になったといえる。

イスラモフォビアの変種か

 最後に、アルコール規制の問題について触れておこう。

 ヨーロッパではサッカーなど運動競技を観戦しながらの飲酒が定番だが、これは「パンとサーカス」を求める市民が、コロッセウムで剣闘士の戦いに興じていた古代ローマ帝国にルーツを持つ習慣だ。それはアメリカや日本の野球場でビール販売が盛んなことにもつながっている。

 だから、世界の飲料メーカーのスポンサー契約のうちサッカー関連は49%を占めるという報告もある。アルコールを扱う飲料メーカーにしてみれば、W杯は大きなビジネスチャンスかもしれない。

 しかし、戒律で飲酒が禁じられているイスラーム圏でW杯を行なう以上、アルコール販売が規制されることはいわば当然で、そこに欧米の習慣を持ち込もうとすること自体、文化侵略にすらあたる。

 むしろ、ヨーロッパのスタジアムでフーリガンが暴れる一因に飲酒が指摘されていることを考えれば、「スポーツ観戦に飲酒はつきもので、それを規制するのはおかしい」という発想の正当性も疑わしい。

 要するにアルコール販売の規制にまで踏み込んだ批判は、他者を認めない、野蛮なものでさえあり、カタール大会招致の不透明性に関する批判すら「イスラーム圏だから批判されるのでは」と思わせかねない。

 それは第三者に、カタール大会批判が欧米に根強いイスラーム嫌悪(イスラモフォビア)の変種に過ぎないという印象をも与えかねないのである。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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