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「水泳をしない生徒は国家を分断させる」――フランスで進むイスラーム規制

六辻彰二国際政治学者
マクロン大統領(2021.2.16)(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)
  • フランスではイスラームへの規制がこれまでになく強化されている
  • そこには、イスラームの普及が国家分裂につながるという警戒感がある
  • これを後押ししているのは、来年の大統領選挙に向けて右派の支持を取り込みたいマクロン大統領の選挙戦略である

 フランスでは「国内の分断を防ぐ」ことを目的に新たな法律が審議されているが、これは結果的に新たな分断を生む危険を抱えている。

人前でプールに入りたくない人々

 フランス議会で審議されている新法は、学校での水泳の授業に参加しない生徒について指導を強めることを盛り込んでいる。これがフランス国内で大きな論争のタネになっている。

 水泳の授業に参加しない生徒の多くがムスリムだ

 イスラームの教義では女性が人前で髪や肌を露出させることが戒められている。そのため、「塩素アレルギー」などを理由に水泳の授業に参加しないムスリムの少女は珍しくなく、これまではある程度、学校側も大目に見ていた。

 今回の法案はそれをひっくり返し、ムスリム少女にも水泳の授業に参加することを強要するものだ。それだけでなく、今回の法案では学校生活に宗教的シンボルを持ち込むことが禁じられ、イスラーム団体に対する政府の監督権の強化なども盛り込まれているため、フランスのイスラーム社会や人権団体から批判の声があがっているのだ。

フランスの法律よりイスラームの習慣

 なぜフランス政府はイスラームへの締め付けを強めているのか。その大きな背景にあるのがテロだ。

 フランスに暮らすムスリムは500万人以上にのぼり、その数はヨーロッパ諸国で最も多い。これを反映してフランスはこれまでヨーロッパで最もイスラーム過激派のテロにさらされてきた。昨年10月には、パリ近郊で預言者ムハンマドの風刺画を授業でたびたび用いていた教師が、首を切断されて殺害されている。

 もっとも、ほとんどのムスリムはテロと関係ない。それでもフランス政府が規制を強めるのは、一夫多妻などフランスの法律に合わないものでもムスリムの習慣を守る者があるからだ

 近年ではとりわけトルコやサウジアラビアなどが海外でのモスク建設などを国策として行なっているが、こうした「外国政府の息のかかったモスク」は、フランスに限らず各国で急進的な教義を普及する前線基地となっている。言い換えると、その国の法律よりイスラームの教義を優先する人々の拠点になっているのであり、学校教育の一環である水泳の授業を拒絶する生徒はこうした親の言いつけに従っているからとみられるのである。

 フランス政府の目から見れば、それは「国家のなかにある別の国家」を意味する。

「フランスらしさ」が損なわれる

 そのため、フランス政府がこれほど神経を尖らせている背景には、単純にテロの脅威だけでなく、「フランスらしさ」が損なわれることへの警戒感があるといえる。

 フランスでは革命以来、「世俗主義」が国是となってきた。

 つまり、法律や社会的ルールから特定の宗教・宗派の影響が厳格に排除されているのであり、その意味ではフランスは「キリスト教徒の国」でさえない。そこには、革命以前にカトリック教会が大きな社会的影響力を握っていたことへの警戒や、プロテスタントとの血みどろの宗派対立の教訓がある。

 今回の新法は「分離主義に対抗する」ことを目的としている。ここでいう分離主義とは、フランスに居住しながらフランスの政府や法律ではなく外部の考え方に従おうとする立場を指す。

 新法では分離主義者が誰かは具体的に特定されていないが、それが暗黙のうちにフランス革命以来の世俗主義より、イスラームの厳格な教義を尊重するムスリムを想定していることは、イスラーム規制に賛成するかどうかにかかわらず、ほとんどのフランス人の見方として一致している。

マクロンの選挙戦略

 フランスの基本的な原則を揺るがせにできないことは理解できるものの、狙い撃ちにされたイスラーム社会から強い反発が生まれたこともまた不思議ではない。

 しかし、それでもマクロン大統領にはイスラーム社会を標的にしたこの法律を成立させなければならない事情がある。それは来年に迫った大統領選挙だ

 2017年のフランス大統領選挙でマクロンとその座を争ったのは、極右政党「国民連合」のルペン候補だった。「右派でも左派でもない」を標榜したマクロンは、ルペンや極右に反対する票を取り込んだことで当選を果たした。

 しかし、その後のマクロン政権は右派からも左派からも突き上げを受けてきた。

 その象徴は、ガソリン税の引き上げ問題に端を発した、2018年暮れからのイエローベスト運動だ。デモ参加者の多くが工事現場などで用いられる黄色いベストを着たこの運動は、ビジネスエリート出身のマクロンに対する「普通のフランス人」の要望を掲げてパリ中心部などを一時占拠し、その規模は「デモと革命の国」フランスでも数少ないほどのものに膨れ上がった。

 そのうえ、昨年からのコロナにより、ヨーロッパ各国では政府への不満が高まるのと反比例して極右への支持が拡大しているが、フランスもその例外ではない。実際、1月末の世論調査では、マクロン(52%)とルペン(48%)の支持率が拮抗するに至っている。

 つまり、イスラーム社会に厳しい新法をあえて導入することは、マクロンにとってルペンや国民連合の支持基盤である右派を切り崩し、取り込むための選挙戦略の一環といえる。

 とはいえ、これがマクロンにとって危険な綱渡りであることも確かだ。これによって右派の支持を期待できる一方、イスラーム社会からは恨みを買うからである。そのため、イギリスの政治学者フィリップ・マルリエ教授は今回の法案を「マクロンの賭け」と表現している。

 ただし、たとえマクロンが「賭けに勝った」としても、それがフランスにとっての勝利になるとは限らない。マクロンによる右派取り込みは、これまで以上にフランスでヘイトクライムなど極右の活動が活発化するきっかけになりかねないからだ。その意味で、フランスの分断を抑え込むための新法は新たな分断を生む転機にもなり得るのである。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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