『どうする家康』主人公を覚醒させた信長の「言葉」とは?
織田信長、豊臣秀吉、そして徳川家康は、これまでもNHK大河ドラマに度々登場してきました。
「戦国三英傑」などと呼ばれますが、その人気には差があるようです。
天才的な英雄としての信長。農民から天下人への出世物語が愛される秀吉。
しかし最終的な勝者である家康には、どこか近寄り難い印象があります。
これまでの家康像
家康は死後、神格化されました。
それが変わるのは明治以降で、特に影響を与えたのが大正時代の立川文庫『真田十勇士』です。
猿飛佐助や霧隠才蔵が活躍する物語での家康は最大の敵であり、陰謀の限りを尽くして豊臣家を滅ぼす「ずる賢いタヌキおやじ」でした。
この立川文庫以来、すっかり定着した「タヌキおやじ」を覆したのが、山岡荘八の長編小説『徳川家康』(1950年に新聞連載開始、完結は67年)です。
家康の信奉者だった山岡は、戦乱の世の先の平和を望み、そのための困難を乗り越えた苦労人として家康を描き、大ベストセラーとなります。
「人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくが如し」という有名な遺訓と共に、人格者・家康のイメージが広まりました。
この山岡の小説を原作にした大河が1983年の『徳川家康』です。主演は滝田栄さん。
後に『葵(あおい)徳川三代』(2000年)も作られますが、家康一人を主人公としたのはこれが初めてでした。
しかも原作にかなり忠実であり、優秀で真面目な戦国大名がそこにいたのです。
新たな家康像
そして今回の『どうする家康』。何より、脚本の古沢良太さんが描く家康がユニークです。
天下を取ろうという野心も、重荷を背負う覚悟もない。
何か事あれば「どうしよう?」と焦りまくり、自らの運命に悩んだり、もがいたり、泣き出したりする心優しき青年。
古沢さんと制作陣が目指しているのは、「神」でも「タヌキおやじ」でも「人格者」でもない、新たな家康像です。
主演の松本潤さんもこの難役に果敢に挑んでいます。
『徳川家康』の滝田さんや『葵 徳川三代』の津川雅彦さん。
さらに『功名が辻』(06年)の西田敏行さんや『真田丸』(16年)の内野聖陽さんなどとも異なる、〝等身大〟の家康を現出させています。
ここからいかにして信長(岡田准一)や秀吉(ムロツヨシ)といった怪物たちを超えていくのか。見所はそこにあると言っていいでしょう。
歴史とは「物の見方」
その兆候があらわれ始めたのが、第4話でした。
清州で信長と向き合った元康(家康)。
信長は「今川を滅ぼせ」と命じ、さらに妹の市(北川景子)を「おぬしの妻とせよ」と言い渡します。
何とか抵抗したい元康は、大高城をめぐる戦の「勝利」を主張しました。
「なるほど、物の見方とはいろいろだな」と信長。
物の見方・・・。
大高城は今川義元(野村萬斎)をおびき出すための作戦だったと、木下藤吉郎に説明されてしまうのです。
「まあ、物の見方いう話でごぜーます」と、追い打ちをかける藤吉郎。
愕然とする元康。
ここで思い出したのは、歴史学者の磯田道史さんが、井上章一さんとの対談本『歴史のミカタ』で語っていたことです。
歴史は「史実の集合体」ではない。歴史の正体とは「物のミカタ(見方)」である。
過去のどの部分を、どのように見るかであり、人それぞれなのだ、と。
元康の中で、何かが変わり始めた瞬間です。
市との結婚を拒否し、今川と戦うことを決めた元康。果たして、今川氏真(溝端淳平)の手から、妻・瀬名(有村架純)を奪い返すことが出来るのか。