呼吸を止めたマザーレイク。「異常」で片付けるべきではない水と温度の奇妙な関係
ついに琵琶湖が深呼吸をしなかった
湖の表面の水が沈んで底まで届き、湖全体の水が混ざり合うことを「全循環(ぜんじゅんかん)」という。
これによって湖内まで酸素が供給されることから「琵琶湖の深呼吸」と呼ばれ、「マザーレイク」とよばれるこの湖が、多種多様ないきものを育む大切な要因の1つになっている。
いきもののなかには私たち人間も含まれる。琵琶湖の水は、水道水として大阪府、京都府、兵庫県、滋賀県、奈良県、三重県で利用され、工業用水として大阪市、尼崎市、神戸市をはじめとする臨海工業地帯などに供給されている。
過去12年の全循環の発生日は、1月4回、2月6回、3月2回。観測開始以来、これまでいちばん遅く全循環が起きたのが2007年で、3月19日だった。しかし、今年は全循環が起きないのではないかという懸念があり、著者は3月12日にYahoo!ニュース「今年の琵琶湖は深呼吸をしないのか。酸素不足は何を引き起こす?」を書いた。
その後、もっとも遅かった3月19日の記録を越え、ついに4月になってしまった。そして、4月9日、滋賀県は「平成30年度冬期の琵琶湖北湖一部水域における全層循環の未確認について」を発表した。
「現時点で水深80m前後までは確認しているものの(中略)平成30年度冬期には第一湖盆(水深約90m)において確認できませんでした」
このことを私たちはもっと重く受け止める必要がある。
水と温度の不思議な関係
なぜ今年は全循環が起きなかったのか。そこでまず、水と温度の関係について考えてみたい。
水は液体、固体、気体という3つの状態に変化する。1気圧では、温度が0〜100℃のときは液体、0℃以下のときは固体(氷)、100℃で気体(水蒸気)になる。1つの物質の固体、液体、気体という3つの状態を、日常生活のなかで確認できる。これが水の変わった性質だ。他の物質は、温度や圧力の変化を実験室など特別な環境でつくり出さない限り、固体、液体、気体への変化を確認することはできない。
湖のなかの水の移動は、温度と関係している。
お湯を沸かしているとき、表面はある程度熱くなっていても、少し手を入れてみると、まだぬるいことがある。それは温められた水が表面に上がってきたためだ。水は温まると軽くなって上昇する。
反対に冷えると重くなる。水は冷えると密度が大きくなる。琵琶湖の全循環は、冷たい空気によって冷やされた表面の水が沈みこむことにより水が混ざり合う現象だ。
そう考えると不思議なことがある。
寒い冬の朝、池に張った氷を割ってみる。なぜ液体の水があるのか?
湖も同じだ。ワカサギ釣りをしようと張った氷に穴をあけると液体の水があり、魚が元気に泳いでいるのはなぜか?
なぜグラスに浮かべた氷は水に浮いているのか? 冷えると密度が大きくなるなら氷はグラスの底に沈むはずではないか?
ここが水の変わったところだ。
ほとんどの物質は、液体より固体のほうが重い。なぜなら液体よりも固体のほうが密度が大きいから。ミクロなレベルでのぎっしり度が固体のほうが大きいので、固体のほうが重くなる。
ところが水は、固体の氷のほうが液体の水より密度が小さい。液体の水より氷のほうが分子間のスキマが多い。
グラスに氷が浮かんでいるのは、こういう理由からだ。
水と密度と温度の関係を考えると、水は約4℃のときにいちばん密度が大きくなる。約4℃の水がいちばん重い。
水がほかの物質のように液体より固体のほうが重かったら、池、川、湖は底から凍る。
そうしたら、私たちの生活などありえない。地球の水はすべて氷に封じ込められ、池、川、湖は姿を消し、空気は乾燥して雨は降らなくなるだろう。もちろん、そこにいきものの姿はない。
水が約4℃のときにいちばん重くなるという奇妙な性質が、地球のいきものを生かしている。おそらく、あのジュエリーブランドは、水のこの性質から名前をつけたのだろう。
全循環と温度の関係
もちろん全循環も温度と水の関係が大きく関係する。
夏場に温められた湖の水が、秋になって冷たい空気に触れ、密度が大きくなる。下の層の水より重くなって沈み始める。さらに秋が深まり気温が下がると、水はより重くなり、より深い所まで沈む。さらに冬が訪れると・・・。この繰り返しによって、表層の水がいちばん深いところまでたどり着くと全循環の完了となる。
では、今冬にはなぜ全循環が起きなかったのか?
まず、昨夏は気温が高く、湖表面の水温も高くなった。水は温まりにくいが、一度温まると冷めにくい。さらにその後の気温も平年より高かったために表面の水温が下がらなかった。つまり、水は重くならない、沈まない、混ざりにくい、ということだ。
じつは、もう1つ理由がある。2018年の冬は寒かった。水温も下がった。琵琶湖は1月22日に深呼吸した。その水が湖底に残っていることも、水が混ざりにくい原因になっている。
湖表面の水は酸素を多く含む。その水が沈んでいかないと、酸素の届かない場所が出てくる。琵琶湖の水深はいちばん深い場所で103メートル。現在、水深80メートルまでは酸素が届いているが、それより深い場所には届いていない。
滋賀県の発表では、現在、全循環していない水域における酸素濃度は水1リットル当たり5ミリグラム程度。湖底に生息するエビや貝類などが酸欠状態に陥るとされる「貧酸素」状態(水1リットル当たり酸素2ミリグラム)にはなっていない。しかし、今後の酸素量の増減は予測できない。強い風により水深80メートルより浅い場所にある水と混ざり合い、ある程度回復することも考えられるが、一方でさらに低下する可能性もある。
そうなると湖底にすむいきもの、湖全体の生態系、水質などに影響を与えるだろう。たとえば、下層で無酸素層が発達すると、全リン、特にリン酸態リンの濃度が増加し、かつてリンが増加して赤潮が発生したようなことが起きる可能性もある。
そして、この現象を「今年の琵琶湖は異常だった」で片付けるべきではない。
地球は温暖化傾向にある。ここ数年、夏の気温が上がり、秋以降も気温があまり下がらない。それは表面の水温が上がったまま下がらず、湖底に沈んでいかないことを意味する。今後も温暖化傾向は進むと予測されているので、この現象も続く、もしくはエスカレートしていくだろう。
琵琶湖は今後、全循環しなくなり、表面近くの酸素の比較的多い層と、湖底近くの酸素の少ない層に二極分化する可能性もある。そうなると生態系、水質などがガラッと変わるかもしれない。
そして、琵琶湖だけではない。似た現象が各地の湖沼で起きる可能性は高い。
じつは水温の変化についてきちんとデータをとっている湖は少ない。水質だけでなく水温についても考える必要がある。
琵琶湖の今後を引き続き注視するとともに、私たちにできることは何かと、あらためて考える必要がある。
これまで日常生活のなかで湖沼を守る活動といえば、汚れた水を流さないことに代表された。だが、今後は温暖化をこれ以上進めない行動、水温をこれ以上上げない行動、湖に酸素を供給する活動なども考える必要があるだろう。
私たちは観測史上例のない時代を生きることになった。