玉砕上等!ウマ娘になったツインターボ/世界を制したパンサラッサが例えられる希代の逃げ馬
祝・パンサラッサ、サウジカップ制覇!令和のツインターボと言われる由来は?
現地時間2023年2月25日、サウジアラビアのキングアブドゥルアジーズ競馬場で行われた世界最高賞金レースであるサウジカップ(G1)で日本のパンサラッサが優勝した。
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パンサラッサの戦法は逃げ一択。他馬にとってはハイペースで玉砕と思われるスピードで逃げるが、これがパンサラッサにとってはマイペースなのだ。そのまま気分よく走り、結果他馬は追いつけずに優勝、というのが勝ちパターンだ。
かつて、そんなパンサラッサと似た戦法で金星をあげた馬がいた。その名はツインターボ。パンサラッサやツインターボの戦法は他馬が真似しにくく、ゆえにパンサラッサを"令和のツインターボ"と例える声が聞かれた。
ツインターボはパンサラッサが台頭する以前から根強い人気があり、人気ゲーム「ウマ娘 プリティーダービー」にモチーフとして登場していることから、ゲームファンにも知られた存在だ。
ツインターボとはいったい何者なのか!?
令和からさかのぼること30年。平成初期にターフを沸かせた希代のクセ馬・ツインターボの独特な個性をご紹介したい。
ツインターボは生まれながらの逃げ馬だった
静内にある福岡敏宏さんの牧場に生まれ、当歳のころから「厩舎から放されると、たとえ最後方にいても馬群を縫い、いつも先頭に立とうした」(福岡さん)という。
幼いころからとても利口な馬だったというツインターボだが、さらにいったん人間に対して気に食わないと感じたら1か月半ものあいだ、人間から逃げ回り服従しない、という頑固さも持ち合わせていた。そんなツインターボをみながら「この利口さと頑固さをいい方向に育ててやれば大成しそうだ」と福岡さんは常々考えていたという。
その後、ツインターボは競走馬としてデビューするべく美浦・笹倉厩舎に入厩するが、その性格が裏目に出る。ゲート入りが悪いのだ。狭いゲートに閉じ込められることがよほど嫌だったのだろう。多数の馬たちは最初は嫌がっても、しばらくすると人間に従ってゲートに入るものだが、ツインターボは違った。とにかく頑なにゲートに入ることを拒み続けてしまい、どんどんと月日だけが過ぎていった。ようやく、その抵抗がおさまりゲート試験をパスしてデビューの日を迎えるときには、季節はもう春になっていた。1991年3月、ようやくツインターボはデビューの日を迎えた。
実際にレースに出るようになれば、持前の豊かなスピードはあっさりと生きた。新馬戦に続き、500万下(現在の1勝クラス)のもくれん賞を逃げて連勝した。しかし、3戦目の青葉賞ではやはり逃げるも9着に敗退してしまう。このときの馬体重は412キロ。デビュー戦の438キロから2戦目でマイナス14キロ、3選目でマイナス12キロの計26キロも減らしていた。
ツインターボは馬格はないが、とにかく毎回一生懸命走ってしまうのだ。
笹倉厩舎に所属しており、調教にも騎乗していた宗像徹騎手(当時)もとても苦労していた。
「ツインターボの調教は乗っているほうもこの馬1頭だけで他の馬6頭分に相当するくらい体力を消耗するんです。当然ながら、馬自身も相当疲れていたはずです。」 といった調子で、ツインターボは"常に全力投球"、なのだ。
そんな気性を考慮し、その後のローテーションは余裕を持たせるように切り替えられた。1回レースを走ったら、次のレースまでは1か月以上あいだをあけ、体力が回復するまで時間をおいたのだ。
ツインターボ大逃げで「追い込み勢はまったく届かない」
ツインターボが最初に重賞を制したのは4歳(当時)、福島のラジオたんぱ賞(GIII)だった。鞍上の大崎昭一騎手は玉砕気味に逃げを打って出たが、それが功を奏した。ダービーへの出走を逃した馬たちが戦うことで知られた5月の駒草賞(東京、芝2000m)でも前半の1000m通過が59秒1と軽快に飛ばして逃げたが、府中の長い直線では5着に粘るのが精いっぱいだった。
しかし、平坦で直線の短い福島競馬なら、ツインターボの個性が生きた。無事、逃げ粘りをみせて2勝目を重賞で飾った。
■1991年ラジオたんぱ賞(GIII) 優勝馬 ツインターボ
円熟期の七夕賞制覇「とにかく思い切って逃げろ」
ツインターボの戦法は年をとっても変わることはなかった。
6歳(当時)になり、ツインターボはさらなる進化を遂げる。ラジオたんぱ賞を制した舞台と同じ福島競馬場で七夕賞(GIII)に挑むが、戦前、管理する笹倉師は「とにかく思い切って逃げろ」と鞍上の中館騎手に指示を出した。
勝利と惨敗。その両方を覚悟したハイリスクハイリターンの指示だが、それこそがツインターボの個性を生かせると考えてのことだった。
七夕賞のツインターボは前半の1000mを57秒4というハイペースで通過するのだが、一般的には速すぎる印象のタイムでもこれがツインターボにとっては"マイペース"なのだ。そして、福島の短い直線を向いたときには完全に大勢が決していた。
このときのツインターボの馬体重は412キロ。出走メンバー中の最軽量であり、終わってみれば七夕賞の最軽量優勝馬という記録を残す結果となった。
■1993年七夕賞(GIII) 優勝馬 ツインターボ
クラシックホース相手に逃げまくったオールカマー
ラジオたんぱ賞も七夕賞も直線が短く平坦な福島競馬場での逃げ切り劇だった。ゆえに、オールカマーの戦前のツインターボの評価はローカルの競馬場で逃げ切れてもローカルではない開催ではどうか、と決して高くはなかった。それでも状態の良さから最終的に3番人気に推された。
1993年のオールカマーでの1番人気は菊花賞馬のライスシャワー。2番人気はオークス馬のシスタートウショウ。これからはじまる秋のGI戦線の前に叩き台として参戦するクラシックホースが勝つのか、GIでは脇役になりがちなローカル開催の主役がスターを負かすのか。注目されたが…。
■1993年オールカマー(GIII) 優勝馬ツインターボ
終わってみれば、2着に5馬身差の圧勝!いったん走り始めると抑えが利かないツインターボの特性が良いほうにあらわれての大金星だった。前半でツインターボなりの"マイペース"で逃げることができたのが勝因だった。1000m通過が59秒5、1600m通過時点で1分34秒8だったが、この時点で後続に50m以上もの着差をつけていた。向こう正面を過ぎて3コーナーの手前付近から、後続がツインターボにしてやられるのを察して追い出す。しかし、すでに時遅し。これだけのセーフティリードをとられては後続がどれだけ末脚を使っても届くわけがない。まさに、ツインターボの個性を生かした作戦勝ちだった。
天皇賞(秋)、直前追い切りでも困ったことに"ターボ全開"!
続く天皇賞(秋)では、変わらず追い切りから飛ばしまくっていた。戦前からオーバーワークが心配されるほどの仕上がりで、人がリラックスさせようと試みてもいざコースに出てゴールが近づくと勝手にスイッチが入ってしまうのだった。
ツインターボを気分よく単騎で逃がしては"まさか"があるかもしれない。他陣営はどう考えても逃げるツインターボを考慮せずにはいられなかった。
結果、天皇賞(秋)を制したのは、ツインターボを逃げをうまく利用して好位で折り合ったヤマニンゼファーだった。1000m通過は58秒6。短距離血統で安田記念を2勝しているように本来マイラーだったヤマニンゼファーだが、いつもどおり全力で逃げるツインターボを4コーナーで捕らえると、直線でセキテイリュウオーとの叩き合いを制した。ツインターボの着順はすべての馬たちに追い抜かれ、どん尻の17着。見事な負けっぷりだったが、一般的には玉砕的な逃げに見えたにも関わらず1着とのタイム差は2秒8。最後まで立派に走りぬき、これこそがツインターボ、という印象を与えた。
■1993年 天皇賞(秋) 優勝馬 ヤマニンゼファー(ツインターボは17着)
ついに希代のクセ馬が「ウマ娘」の育成キャラに実装!
時は流れ2023年2月、ツインターボは人気ゲーム「ウマ娘 プリティーダービー」で育成キャラクターとして実装された。以前からツインターボをモチーフにしたキャラクターは採用されていたが、ついにこの2月にツインターボを主役にしてゲームで育てられるようになったのだ。
しかも、ツインターボの特性はゲームでも逃げ一辺倒。相変わらずの希代のクセ馬をどう扱うか、どう育むかはあなた次第だ。
(光栄「夢はターフを駆け巡る」内の文章を加筆修正して掲載)