SEALDsは進歩的だったのか?今後の民主主義の発展に向けて
8月15日、約1年間政治報道の中心にいたSEALDsが解散した。今さらSEALDsとは何かを説明する必要はないだろう。それぐらい認知度は高い。
一方、彼らの成果は何か?と問われると、すぐに答えが出る人は多くはないかもしれない。
SEALDsはなぜあれだけ注目され、一体何を残したのか。一区切りとなった今、考えていきたい。
誰に「支持」されたのか?
昨年、安保法案の報道が増えるにつれ、注目度が高まっていった国会前デモ。その中心にいたのがSEALDsである。
一部メディアや政党では、学生が政治に対して積極的に声を出し始めたとして、あたかもSEALDsが若者を代表しているかのように評していたが、中心メンバーである奥田愛基氏らが自ら述べているように、若者を代表してはいない。その根拠となるデータはいくつもあるが、最もわかりやすいのが今年7月に行われた参院選における10代・20代の投票先だ。
http://www.asahi.com/articles/photo/AS20160710003217.html
出口調査のデータであり、多少のズレはあるかもしれないが、自民党に投票した年代は20代が最も多く、10代と30代が2番目に多い。それに対し、60代と70代が野党に多く入れており、特に60代は20代に比べ2倍近く共産党に投票している。
ただ、投票の際に重視した政策では、SEALDsが反対を訴えていた安全保障や憲法は優先順位が低く、必ずしも意見が違うとは言えないが、少なくとも見ている方向が違うとは言えるだろう。
そして、景気・雇用を重視する10代・20代がなぜ自民党を支持しているのかは様々な要因があるだろうが、大きな要因の一つは大卒・高卒就職率=雇用環境の改善だろう。
今年5月に発表されたデータでは、大卒の就職率は97.3%と1997年の調査開始以降の最高を更新し、高卒も97.7%と6年連続で改善となっている。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016052000158&g=eco
では一体SEALDsは誰に支持されたのだろうか。
それは、実際のデモ風景を見ればわかるが、多くのデモ参加者が高齢者であり、全共闘世代だ。上記のデータと見比べても世代が合致する。そして、最初は単なる学生団体としてのSEALDsだったが、その注目度が上がるにつれて、政治闘争に巻き込まれていく。その中心となったのが、党員の高齢化が続く共産党、野党共闘に可能性を見出した岡田克也代表による民主党(民進党)である。
また、メディアとしても学生が声を挙げている画は使いやすく、東京新聞や毎日新聞、朝日新聞といった左派メディアを中心に積極的に取り上げられるようになる。結果として、ここ約1年間、本意か不本意か政党色が強まり、安保法案反対運動から選挙活動まで展開していくことになる。
一般化したデモ
最終的には数万人以上が集まった国会前デモであったが、9月には安保法案が参議院で可決。
当時の様子について、その1ヶ月後の10月、SEALDsのメンバーはこう語っている。
「デモに意味あるのか」に対して、はっきりと「イエス」と言える人はあまり多くはないと思うが、デモが増えたのは事実だろう。
SEALDsに共感した大学生や高校生が全国でデモを行い、全国規模となったSEALDsは学者らとも協力し市民連合として野党共闘実現をリードした。他のメンバーが言う通り、確かに政治家は変わった。それが結果的に良かったかは微妙なところだが、学生の意見を政局に反映させた経験は中々ないだろう。
だが、結果は、参院選で目標としていた「改憲勢力3分の2阻止」を達成することはできず、野党共闘が継続された都知事選でも惨敗に終わっている。
SEALDsは「進歩的」だったのか?
そして、先日の解散、記者会見に至るわけだが、その中でどうしても気になる発言があった。
それは、明治大学院生の千葉泰真氏の「最先端に2年も3年もいることはダサい。(別の誰かに)アップデートされた最先端の運動が出てきてほしい」という発言だ。
千葉氏は「最先端」と述べていたが、このSEALDsの活動は最先端だったのだろうか。結論から言ってしまえば、古い左派政党や左派メディアに消費され、過去を繰り返しただけだと思える。
思想家の東浩紀氏の表現を借りれば、「新しい世代の古い左翼」である。
確かに、ソーシャルメディアの活用や米大統領選民主党候補者であったバーニー・サンダース氏の選挙運動を模した今時のポスターなどは新しいだろう。マーケティングセンスは素晴らしいものがある。
デモは確かに世論にも影響を与えうるだろう。それでも、単なる体制批判では変わらない。リアリズム化している日本では理想を訴えるだけのデモ(野党)は冷めた目で見られるだけだ。
日本の民主主義を発展させていくために
では今後の日本の政治を変えていくために何が必要か。メディアの問題など多く存在するが、市民運動に関して言えば、「新しい回路」の確保ではないかと筆者は考えている。
つまり、政治家と市民(特に若い世代)の対話の場である。
SEALDsのメンバーが言うように、声を挙げることは重要だ。しかし、それは一方的に叫ぶのではなく、会話として相手に声を届け、互いに理解する必要がある。
例えば、筆者が運営に関わっている日本若者協議会という、若者の声を政策に反映させる若者団体では、昨年3月から各党に対して「被選挙権の引き下げ」や「供託金の引き下げ」など若者の政治参画を中心とした政策提言や勉強会を行い、すでに成果を出している。
参院選では「被選挙権の引き下げ(検討)」が自民党・公明党・民進党・おおさか維新の会の公約に載り、公明党の重点政策に「若者政策を担当する大臣・部局の設置」を載せることに貢献している。
また、先日報道された、成人年齢を18歳に引き下げる民法改正案に関しても、昨年自民党内の「成年年齢に関する特命委員会」に18歳前後の高校生・大学生約30名が出席し、その場で多くの議員・官僚に対し伝えた意見も反映されている。
もちろん今回の参院選ははじめての18歳選挙権で、各党が若者政策を増やしたというのも大きく、今後も意見を政策に反映させられるかはまだわからないが、少子高齢化が進む日本社会において若者の声を政治の中に入れていく回路はより重要になってくる。
こうした場を作るのに必要なのは、暴力的な声ではなく、相手に聞いてもらうための丁寧な声(ときちんとしたデータや法案など)と聞く姿勢である。
繰り返すが、デモの存在意義はあるし、否定はしない。世論喚起のツールとしては有効だ。選挙だけでは死票が出て十分ではない。しかし、本当に変えたいのであればデモだけでは足りない。
さらに、高齢化に伴い、政治家の年齢も上がり、今回の参院選の当選者の平均年齢は過去5回で最も高く(54.9歳)、30代はわずか8人で全体の6.6%しかいない。これでは若者世代の当事者の声は政治に届かず、外から届ける必要性も高まっている。
こうした活動はいわゆるロビイングで悪いイメージもあるかもしれないが、10代〜30代の学生・社会人で構成される日本若者協議会には当然お金はなく手弁当で活動しており、お金や権威がなくても十分に活動できる(もちろんお金があるに越したことはないが...)。また、政策を実現していく上では当然与党、現在だと自民党と公明党、を中心にアプローチしていくが、政権交代すればその時の与党(民主党政権であれば民主党)にアプローチすることになり、イデオロギー的なものはない。ただ少数派の利益を確保するために法整備を実現するだけだ。
SEALDsのメンバーは会見で「また路上や駅前で活動していく」と述べていたが、今後市民活動をアップデートしていくためには、路上で叫ぶだけではなく、人々の意見を聞き、議員会館や党本部、事務所などで政治家と議論していくべきではないだろうか。そして、自分たちの意見やその議論内容をメディアに流し世論を喚起していく。
今回の都知事選における鳥越俊太郎氏が象徴するように、夢想主義的な古い左翼の限界はもう見えている。国民に支持されるリベラル勢力を再構築するためにも、建設的な批判と提案ができる市民の存在が欠かせないだろう。