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早期乳がん患者の7割が化学療法なしでOK 治療選択に大きなインパクト 米国腫瘍臨床学会から

片瀬ケイ在米ジャーナリスト、翻訳者、がんサバイバー
今年のASCOのテーマはプレシジョン医療の拡大。(筆者撮影)

早期乳がんも術後の化学療法は必要?

 プレシジョン医療がキーワードだった今年の米国腫瘍臨床学会(ASCO)年次総会。注目演題の一つで、「早期乳がん患者の多くは、術後の化学療法が不要」であることを示すTAILORxと呼ばれる臨床試験結果(*1)も、まさにプレシジョン医療の実践に直結する内容だった。

 一口に乳がんといっても、さまざまな種類があり、患者が診断を受けた時の病気の進行状態もそれぞれ異なる。がんが女性ホルモンで増殖するタイプ(ホルモン受容体陽性)か、がん細胞の増殖にかかわるHER2タンパクや遺伝子が過剰なために増殖が速いタイプ(HER2陽性)か、リンパ節や他の部位に転移しているかどうかなどステージ(病期)の違いによっても、治療法や薬が変わってくる。

 遠隔転移のない早期乳がんの場合、手術の後、再発を防ぐために放射線療法、そしてがんのタイプに応じてホルモン療法や抗HER2薬と化学療法などを組み合わせた治療が推奨されてきた。再発は怖いが、不快な副作用が多い化学療法はできれば避けたいと、思い悩む患者も多いだろう。

 TAILORxと呼ばれる試験は、特定の早期乳がん患者グループについては、術後の化学療法を行わなくとも、ホルモン療法だけでも大丈夫なのではないかという仮説を検証したものだ。対象となる患者グループの特定も、近年の腫瘍ゲノム研究や腫瘍の多遺伝子パネル検査の普及により可能となった。

ステージ診断にゲノム情報を活用

 これまで乳がんのステージ(病期)は、TNM分類とよばれる基準を使い、腫瘍の大きさ(T)、リンパ節への転移の状況(N)、遠隔転移の有無(M)で判断されていた。しかし近年のゲノム研究成果をもとに、米国がん合同委員会(AJCC)は今年1月、米国における乳がんのTNM分類を改定した。

 最新の第8版ではステージの判断基準に、従前の腫瘍の大きさといった解剖学的ステージに加え、新たに腫瘍の悪性度(グレード)、ホルモン受容体やHER2などのバイオマーカー、そして腫瘍のがん関連遺伝子発現状態などの予後因子も含めるという大きな変更を盛り込んでいる。

 このため新たな基準では、例えば腫瘍が小さくとも、腫瘍組織の悪性度が高かったり、ホルモン受容体もHER2も陰性のトリプルネガティブと呼ばれる状況だったりすると、これまでの基準よりステージが上がる可能性が高い。逆に腫瘍が大きくても、ゲノム的な要因によっては、従前よりステージが下がる場合もある。(*2)

腫瘍の遺伝子から再発リスクが予測できる時代

 オンコタイプDX(Oncotype DX)と呼ばれる検査は、いくつかある腫瘍の多遺伝子パネル検査の一つ。腫瘍組織について21の遺伝子発現状態を調べることで、将来の再発リスクや術後化学療法の効果を予測できる。

 米国では乳がん患者の半数を占めるホルモン受容体陽性、HER2陰性、脇の下のリンパ節に転移のない早期乳がんがこの検査の対象となる。米国では、こうした条件にあてはまる早期乳がんの患者は、手術でとった腫瘍組織をオンコタイプDXで分析し、再発予防の治療選択に活用する例が多い。

 過去に行われた複数の研究から、オンコタイプDX検査の再発スコアが0から10までの低い値の場合はホルモン療法だけでよく、26から100の高い値の場合はホルモン療法と化学療法の併用が最善であることがわかっていた。しかしこれまでは、11から25までの中間値の患者については、術後化学療法の利益の有無が明確ではなかった。このため、化学療法を併用するかどうかは、医師と患者がさまざまな要因を考えながら決めるしかなかった。

 念のために化学療法を受けた患者もいただろうし、再発の不安を感じながらも副作用を恐れて、化学療法を避けた患者もいたはずである。医療費を気にして、オンコタイプDXの検査そのものを受けなかった人もいただろう。(注:現在米国では、適格者へのオンコタイプDX検査費用をカバーする医療保険が多い。日本では保険適用外なため自由診療)

ホルモン療法単独 VS化学療法との併用

 ASCOで発表されたTAILORx試験結果は、こうした中間値の大部分の患者も、化学療法は不要であることを証明したのだ。

記者会見でTAILORxの発表をするJoseph Sparano医師。試験名が示すようにテーラーメイドのプレシジョン医療につなげることがゴールだ。(筆者撮影)
記者会見でTAILORxの発表をするJoseph Sparano医師。試験名が示すようにテーラーメイドのプレシジョン医療につなげることがゴールだ。(筆者撮影)

 6カ国の参加で行ったこの試験では、オンコタイプDXの検査対象となる早期乳がん患者1万人以上を登録し、ホルモン療法単独グループと、ホルモン療法と化学療法を行うグループに無作為に振り分けた。試験参加者のうち、6711人の再発スコアが、11から25までの中間値だった。

 9年にわたる追跡調査の結果、この二つの治療群での無病生存や全生存で差がなかったことが示された。つまりホルモン治療だけでも、化学療法と併用した場合と比較して、結果は劣らないことがわかったのである。ただし再発スコアが中間値でも、やや高めの16から25で、50歳以下の女性の治療群では、ある程度の化学療法の利益が示された。

腫瘍の性質や患者に応じた最適な治療

 これにより、50歳を超える乳がん患者で、ホルモン受容体陽性、HER2陰性、リンパ節転移がなく、再発スコアが0から25までの人、そして50歳以下の場合は再発スコアが0から15までの人は、術後の化学療法は不要であることが明確になった。

 米国で上記の条件に当てはまる患者の割合は、50歳を超える乳がん患者グループの約85%、50歳以下の患者グループの約40%にあたるというから、早期乳がんの大部分の患者である。該当する多数の早期乳がん患者は、治療法を決める時に、安心して化学療法を省くという選択が可能になった。一方で、それ以外の患者も、不快な副作用はあっても、術後化学療法から利益を得られると納得して治療に臨むことができるだろう。

 臨床試験というと、夢の新薬を生み出すための試験というイメージを描いてしまいがちだが、そう簡単に夢の新薬は生まれない。一方でTAILORxのような非劣性試験により、それぞれの患者にとって最適な治療法を科学的に特定していくことで、不要な治療は回避し、患者の負担を軽くするといった大きなインパクトを与えることができるのだ。

 この試験では多くの研究者や医療機関のほか、「今後の乳がん患者の役に立ちたい」と6カ国から試験参加を決意した一万人以上の乳がん患者、そして多くは乳がん経験者の多数のボランティアが長年にわたり協力したことで実現した。研究チームを代表して発表を行ったSparano医師は、そうした女性たちを「ピンクのパイオニア」と呼び、その勇気と貢献をたたえた。

 これからもゲノム研究の急速な進展とともに、研究者、医療従事者、そして患者の協力によって、プレシジョン医療は前進していくだろう。しかしコストや保険制度、規制の違いなど、地域によってさまざまなバリアもある。最新研究の恩恵を多くの患者が受けられるよう、条件整備がすすむことを期待したい。

参考資料 

*1 多くの初期乳がん女性に化学療法が不要となる可能性(JAMT翻訳)

*2 乳がんのステージについて(英語、米国がん協会) 

AJCC(米国がん合同委員会のサイト、英語)

在米ジャーナリスト、翻訳者、がんサバイバー

 東京生まれ。日本での記者職を経て、1995年より米国在住。米国の政治社会、医療事情などを日本のメディアに寄稿している。2008年、43歳で卵巣がんの診断を受け、米国での手術、化学療法を経てがんサバイバーに。のちの遺伝子検査で、大腸がんや婦人科がん等の発症リスクが高くなるリンチ症候群であることが判明。翻訳書に『ファック・キャンサー』(筑摩書房)、共著に『コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿』(光文社新書)、『夫婦別姓』(ちくま新書)、共訳書に『RPMで自閉症を理解する』(エスコアール)がある。なお、私は医療従事者ではありません。病気の診断、治療については必ず医師にご相談下さい。

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