「茨城県常総市大水害」被害実態に見合わぬ制度 社会課題と言える大規模水害に対する生活再建の在り方
連日のように取りあげられた「茨城県常総市大水害」の被害実情ですが、現在においては目にする機会はほとんどなくなりました。それは一つに、現在の見ためは「もう復興したな」と思える日常風景に戻っているのが原因かも知れません。
ですが、被害実態が伝わらなくなった=復興したではありません。大きな生活再建に立ちはだかる壁に阻まれ、復興への道のりは長期化したままでいるのが実情です。
現在の常総市に訪れると、水害の形跡を見つけることは、水害時の風景を知る者以外には困難になっています。
所謂、「絵にならない被害状況」の街となり、復興は進んだと言える風景が広がっています。ですが、現在常総市で暮らす方々が抱える悩みは目に見えるものではなく、被害実態に見合わぬ支援制度により、生活再建が進まぬことが課題となっています。
広域に渡り、長期間床上浸水となった常総市
常総市の鬼怒川と小貝川に挟まれた地域がまるで湖のように浸水した状況はニュース映像でも大きく報じられました。
床上浸水となった家屋は4400世帯に及びます。また広域でもあった事から市全体の排水が完了するまでには1週間の時間を要しました。
特殊な事例として、常総市水海道地区では、相野谷浄水場が最後に排水される地域にあった事から、家屋清掃に必要な水が使えない状況が重なり、実質屋内清掃が完了するには、長期間かかっています。
想像を超える被害実態
床上浸水をした家屋の被害は床掃除をすれば終わりというものではありません。床下の汚泥、汚水の抜出、床板の洗浄、畳の廃棄、一般的に想像がつく範疇を越え、壁内断熱材に沁みた汚水は上へと登り、結果壁も取り換える事態となります。この状況は床上浸水が数十センチでも1m超えでもさして変わりません。
家財の多くを失った浸水
水害翌日に水がはけきった分けではありません。床上数十センチだった家屋も、数日から1週間ほどは浸水したままでした。家財は、水によりふくれあがり、使い物にならない状況になりました。特に合板と呼ばれる木材を使用している家財の多くは使用出来ない為、多くが廃棄されました。1階部分の家財はほぼ全滅した状況です。
車両被害も甚大
水害により失ったものは、家屋内家財だけではありません。車両も多くが使い物にならなくなりました。車両保険に入っていても水害も補償されるものに入っていないケースがほとんどです。家屋に次ぐ高額資産である車両を廃車し、再度、自己資金によって車両の買い直しが必要になっています。
家屋(母屋)だけの被害に留まらない。
常総市水海道地区、石下地区の市街地では母屋と庭だけの住宅が基本的ですが、常総市の農村部と呼ばれる田園地帯及び隣接する地域では、母屋の他に長屋と呼ばれる二階建構造の家屋があるのが一般的です。二階部分は簡易的な居住空間となっており、1階部分は車庫代わりに使われ、農耕機械等を置く、スペースとなっている家屋です。
古来より水害があった地域ゆえに根付いた文化と言えます。母屋が浸水した場合に長屋の2階で暮らすといったものです。いまでは少なくなりましたが、古くから地域に根ざした家では長屋に「木船」が備えつけてあります。
母屋が床上浸水することは、長屋に置いた農耕機械も被害を受けることになります。農耕機械は高額であるため、被害は日常住まう家屋だけに留まりません。
仕事道具を失った、職人個人事業主
農業を営む方だけが甚大ではありません。個人事業で生計を立てる方々が多く住まわれる地域でもあります。所謂職人と呼ばれる「建設系業種」に就かれる方々がいます。床上から何センチで語られる水害ですが、実質、地上面からになれば軒並み1mを超えたのが常総市の水害の実態です。
職人の仕事道具は通常、車両に積む、もしくは倉庫での保管です。それらが水害により使えなくなりました。昔と違い、工具のほとんどは電動式です。これらは高額であることは容易に想像がつきます。
また、昔からの職人が住む町だからこそ、道具にはお金をかける文化もあります。少しずつ良い道具を揃える。手元にあった道具は数百万に至ります。数十年に渡り揃えた物が一晩のうちに失われました。それは金銭的な問題だけではなく、職人としての誇りをも失ったといえる状況になっています。
常総市で水害に遭われた方々の被害は、数百万程度で済むような事はありません。車両、農耕機械、仕事道具、などを合わせれば個人宅の被害は1000万を超えるというのは、決して大げさな表現ではないということです。そして大切な一つの視点として、家屋修繕費以外が膨らむケースの方々は、決して経済的に豊な部類に入らないという事です。一見して田園地帯が広がる常総市は、稲作で十分な利益を得ているように感じる方もいるかもしれません。実際は殆どが兼業農家です。職人と呼ばれる方々も豊な生活をおくれてはいません。元々経済的に苦しい地域への大きな損害は、生活再建を困難かつ長期化さえるといえます。
被害額に見合わぬ「支援制度」と「対応の遅れ」
「水害保険に加入していない家庭がほとんど、被害額がそのままのしかかる」
常総市は鬼怒川、小貝川の二つの大きな川に挟まれた地域です。その立地条件だけを見れば「水害保険にほとんどの家庭が加入している」と思われると思います。実態は大きく異なります。約30年前に起きた小貝川の氾濫、その被害にあった地域は、家を建てる際、同程度の規模の水害が起きても床下で最悪留まるよう土盛りをして家を建てているのが常総市です。
また、当時の大きな洪水で被害を被らなかった地域は、ここは安心ということで加入をしていません。
今回ほどの水害の規模は、常総市で暮らしてきた(先祖から受け継いだきた)方々にとっては、はるかに想定を越えていました。
保険の未加入実態により、想像していたよりも膨らむ被害額を抱えた常総市の方々は、支援制度を頼りにするほか生活再建の糸口が見つからない状況にあります。
詳しい常総市の被害については、地元facebookグループTOP投稿記事のコメント欄に投稿された、浸水当時の写真を見る事で、ご理解を頂けることと思います。
生活再建支援制度
常総市は下記における支援制度が適用されることになりました。最大額を記載します。
「災害救助法適用による応急修理制度」:最大で56万7千円
「被災者生活再建支援法の支援金」:最大で200万
「茨城県災害見舞金」:3万円
「募金による支援」:未定
これら支援制度は被害状況(「一部損壊」「半壊(収入制限有)」「大規模半壊」「全壊」)に応じて、適用額が異なります。
詳細については下記表を参照ください。
これらを併用し、最大受けられる支援額は新築として建直す300万、最低額は0円(募金未定の為)となります。
一例を挙げれば「半壊世帯で収入制限(45歳以下 世帯収入500万越え「所得でない部分に注意」)により、応急修理制度が使えない世帯は、見舞金3万円」だけになります。
進まぬ支援制度の理解、支援を受けるために必要な「り災証明」が遅れている
「災害救助法適用による応急修理制度」は、内閣府が定める要件によって決まる制度です。日本全国どこでも指定されれば使える制度(権利)です。制度そのものの社会認識は低く、知って使うにしても「り災証明」(自宅が全壊、大規模半壊、半壊、一部損壊のいずれかの被害であることを公的に証明するもの、これがないと支援制度そのものが使えない)が必要ですが、10月に入ってもまだ行政からの発行はされていません。先行きが見通せないまま、被災から3週間が過ぎました。これほどの遅れに繋がったのは損壊程度を決めるのは「行政」であり、自己申告制ではないこと、そして一軒ごとに調査する効率の悪さが挙げられます。見渡す限り地上面から1mを越える広域浸水をした場合などは、各家庭単位ではなく地域ごとに、損壊程度を一律するなどの柔軟な対応が早期生活再建には必要ではないでしょうか。
広域甚大被害地域(浸水した家屋として見れば、11,000世帯が浸水しています)になった被災地の生活再建は、民間の方々のボランティアでは支えきれるものではありません。公的支援が被害実態にそうものでなければ、希望なき復興へと繋がってしまいます。
大規模水害の場合、現行公的支援制度の在り方は正しいのか?それを議論する必要があるのではないでしょうか。地域の文化要素も考慮する必要性もあります。
茨城県常総市大水害による生活再建の困難さから見えるのは、甚大水害地域の復興の在り方が、個人の経済力に大きく左右され、経済力が豊な家庭が助かり、乏しい家庭は苦しむ「恐ろしさ」です。その恐ろしさは、生活再建を促進させる公的支援制度が、水害特有の被害状況によって雲泥の差に繋がることといえます。
大規模水害を見ない年はありません。それだけ日本中に常総市と同じように苦しむリスクがある地域が存在します。だからこそ、常総市の生活再建の困難さと長期化する問題は、社会全体で共有の課題であるとし「水害保険の在り方」「公的支援の在り方」を見直していく必要があるのではないでしょうか。