戦争報道を見て苦しんでいるあなたへ:共感疲労の心理学
■戦争が始まった
ロシアがウクライナに侵攻しました。紛争でもなく、小さな戦闘でもなく、大きな戦争が始まりました。すでに、両国の何千人もの兵士が亡くなり、何百人もの市民が亡くなりました。
軍事大国ロシアに対してウクライナは徹底抗戦の構えです。一般市民が銃の使い方を学び、主婦たちが公園で火炎瓶を作っています。小さな子供が泣きながら、戦場に行く父親を見送ります。
毎日、毎日、悲惨な報道が続いています。
■ウクライナ疲れ?:共感疲労とは
ネット上には、「ウクライナ疲れ」などいう言葉も見られます。○○疲れなどというと、飽きてしまったというニュアンスを感じて不謹慎と思う人もいるかもしれませんが、心ある人のウクライナ疲れは、心が疲れ切ったという意味でしょう。
「共感疲労」とは、苦しんでいる人を見て、共感のあまり自分まで苦しくなってしまうことです。悲惨で暗い報道が続くの中で、心が疲れてしまうのです。
優しい人々の中には、戦争報道を見ているだけで体調を崩す人々がいます。自分が直接の被害を受けたわけではないのに、不眠、食欲不振、血圧上昇、抑うつ状態など情緒不安定になる人もいます。
真面目な人は、戦争で苦しんでいる人が大勢いるのに、自分はごちそうを食べていて良いのか、笑っていて良いのか、何もしなくて良いのかと、自分を責める人もいるでしょう。
■戦争報道の複雑さ
戦争の話題は複雑です。自然災害よりも、ずっと複雑です。大地震なら、頑張っている被災者のみなさんを心で応援し、また実際にボランティアに行ったり、支援金を送ったりすることに、何の迷いもありません。
では、戦争の場合はどうでしょうか。世界はロシアを非難し、ウクライナを支援しようとしています(私も同感です)。そして、当初は躊躇していた世界も、ウクライナへの武器の供用を始めてます。
ウクライナが簡単に降伏などしたら、きっと悲惨なことが起こるでしょう。では、より強力な武器で、決して妥協せず、闘い続ければ良いのでしょうか。
戦争が始まったのですから、武器は必要です。被害者が出るのは当然です。甘い話だけでは済みません。そんなことはわかっていても、それでも私たちの心は辛くなります。
今日も、戦場では、戦場になってしまった市街地では、誰かが誰かを殺しています。
ウクライナを応援している人が、ウクライナ軍の善戦の報道を聞いていも、うれしいどころか心が苦しくなることもあるでしょう。
■私たちにできることは何か:共感疲労を越えて
私は、私のできることを、私のできる範囲で、一層懸命したいと思います。まず最低限、関心を持ち続けたいと思います。
ただ、いつも刺激の強いテレビやネットを見る必要はないでしょう。ラジオとか、新聞で十分です。
戦争報道で疲れている人は、テレビを消し、ネットから離れましょう。それは、決して無責任な態度ではありません。
ウクライナ問題に関心を持ち、抗議の声を上げることは大切です。反戦デモに参加する人もいるでしょう。でも、デモに参加しない人が悪い人ではありません。
私には私の、それぞれの反戦活動があるでしょう。
日々の生活をしっかり守ることも大切です。社会人は働き、学生は学び、子供は遊びましょう。働けるように、学べるように、遊べるように、その人たちを支えるのも大切な役割です。
共感疲労で心も体も疲れ切ってしまっては、あなたの本来の役割を果たすこともできなくなってしまいます。
今、食べられる人は食べましょう。今、お金が稼げる人は稼ぎましょう。今、笑える人は笑って心と体を元気にしましょう。今、学べる人は、学ぶことがあなたの社会的責任です。
何もしないで世界が平和になることはないのでしょう。私たちは、平和を作り出さなければなりません。そのために、自分の心と体と家族を守り、社会的な力をつけましょう。
共感疲労で苦しんでいる人は、その共感力を、自分を責めるのではなく、平和を作り出すために使えればと願っています。
「平和を作るものは幸いである」(マタイの福音書 5章9節)
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