Yahoo!ニュース

映画『ドント・ウォーリー・ダーリン』。完全に女をコントロールしたいなら…私ならこうする(ネタバレ)

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
サン・セバスティアンを訪れたオリビア・ワイルド監督。女優でもあり本作にも出演(写真:REX/アフロ)

コントロール妄想を持つ懲りない男たち。彼らが女を支配するために採った方法は……。理不尽であることは当然だが、お話としても破綻していませんか?

※この評にはネタバレがあります。見てから読むことを強くおススメします。

■他者はコントロールできない、それが常識

いろいろ詰めが甘いお話だ。

男たちは女をコントロールしたいと思っている。「それは無理です」と私なら直ちに却下するところだ。

女でも男でも、手塩にかけて育てた子供ですら結局は親の自由にはならない。自分と違う者は自分と違う意志を持ち、自分の思う通りにはならない。

自分が思うようにできるのは自分だけ。自分以外はみんな他者なので、自分の好きなようにはならない。

それが常識である。

人生はこの常識を学ぶ機会にあふれている。

恋愛は思うようにならず、結婚は思うようにならない。友だち付き合いも、近所付き合いも、親子関係も、会社の同僚との付き合いも、「人間関係」と呼ばれるものはすべて、自分の思うようにならない。

『ドント・ウォーリー・ダーリン』の1シーン
『ドント・ウォーリー・ダーリン』の1シーン

ところが、諦めない一連の男たちがいる。

女性と付き合ったことが一度もなかったのだろうか?

いや、むしろ付き合ったからこそ、自分の自由にならない女たちに傷付いて苛立ちを覚え、逆にコントロール妄想を膨らませていく。

「もし意のままに動かせたらどんなに素敵だろう」と。

「俺たちだって女たちにコントロールされるのは嫌なのだから、女たちだって俺たちにコントロールされるのは嫌だろう」というところには想像が至らない。

自分に甘いから。

■女は怖いが執着心はある。だから…

『ドント・ウォーリー・ダーリン』にもそういう懲りない男たちが出てくる。

彼らは傲慢で、過激なので、話し合いの道を選ばない。女性に自分の要求を伝え、こっちも相手の要求を呑んで、なるべくお互いの意に沿うよう折り合いをつけていく……なんて、誰でもやっている妥協策には興味がない。

そもそも、男の上から目線なので、話し合いという平等な視点での解決策を潔しとしない。

ここで、「もう、女には近寄らない!」とならないのがやっかいなところだ。

女性へは執着がある。女性のことを諦めきれない。なので、あくまで女性をコントロールする術を見つける方向へ進んでいく。

女を諦められず、女をコントロールすることを諦められない――そういう男たちが集まってたくらみ事をする。

どうせ、幼稚な発想にしかなり得ない。自分が大将で、何でも自分の思い通りになる、というのは、赤ちゃんが最初に持つ世界観だから。

■チップを埋め込む、ロボットを作る…

「女の頭にチップを埋め込んで操縦する、ってのはどうだ」なんてアイディアも出るだろう。リモコンがあってレバー操作で動かせる。

確かにそういう映画もあった。

だが、チップくらいでは簡単に壊れそうだ。リモコンを壊されると目覚めてしまい、コントロールを失って大慌てする様が目に浮かぶ。

それよりも、ロボット化の方がはるかに安全だ。絶対服従の女型ロボットを作る。

「女のコントロール」ではすでになくなっているのだが、固いこと言いっこなしだ。

アニメ『ザ・シンプソンズ』にロボット女警察官が出て来るエピソードがあった。

インテリで優秀な彼女が手柄をあげ、いろいろ権利を主張し始めると、一人の警官がスイッチを切ってしまう。で、「本物の女にもスイッチが付いていればいいのに」と嘆き、周りの男たちはへへへへと笑い合う。

だが、もう少しだけ考えれば、もっと良い方法を思いつくはずだ。

私ならこう提案する。

「バーチャル・リアリティでいきませんか?」と。

■バーチャルでジョイちゃんを登場させる

チップは女性を傷付ける。誘拐で人格否定である。ロボットはコストと手間がかかる。

バーチャルなら架空の女性で、性格も外見もお望みのままだ。

映画『ブレードランナー2049』にジョイちゃんというのが出て来る。AI搭載のホログラムの女性で、こちらの好みを学習してどんどん理想の女性に近づいていく。

バーチャルの世界にジョイちゃんを登場させるのはどうか?

理想郷のような街の豪邸にジョイちゃんと一緒に住んでいる。

仕事をしなくてもいいし、金にあくせくすることもない。おいしいものを食べて、一緒にスポーツに汗を流し、あちこち美しいところへ旅行する。贅沢三昧。歳も取らないし病気もしない。浮気されることもない。

これで『ドント・ウォーリー・ダーリン』の男たちも大満足だと思うのだが、彼らはこの方法を採らなかった。

なぜ?

ワイルド監督の映画祭提供のポートレート。C: Liz Collins
ワイルド監督の映画祭提供のポートレート。C: Liz Collins

■『ドント……』の男たちのアイディアとは?

私も疑問だったが、しばらくしてこう考えた。

多分、メッセージ性が薄れるせいだ。

現代社会への風刺として、生身の女を登場させた方が生々しい。男と対決させるなら「バーチャルの女」ではなく「女」の方がいい。そうしないと女の解放という視点がぼやける……。

『ドント・ウォーリー・ダーリン』の男たちが、どんなアイディアを捻り出したのか?

果たして、それでお話として整合性が取れ、説得力があったのかは、みなさんに判断してもらいたい。

※『ドント・ウォーリー・ダーリン』のオフィシャルサイト

※作品写真とポートレート提供はサン・セバスティアン映画祭

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

木村浩嗣の最近の記事