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「考えるな、感じろ」。森のようちえんの底力を探る

田中淳夫森林ジャーナリスト
フォーラムの分科会「大人の森のようちえん」で子ども心を取り戻す。(筆者撮影)

 10月30、31日と「森のようちえん全国交流フォーラムin奈良」が開かれた。会場は、ススキの広がる曽爾高原の一角にある国立曽爾青少年の家(曽爾村)。

 私もみっちり覗かせていただいたのだが、朝から晩まで会場には熱気が溢れていた。数百人がいくつもの分科会や行事で、食いいるように聞いたり議論したり笑ったりする様子が見られた。

 コロナ禍がまだ終息しない中での開催だけに、子どもたちの参加は断念し、食事も弁当形式中心で、参加者全員がマスク姿で大声は出さない……など主催者側の苦労も察せられる。だが、2年ぶりということもあって、関係者の士気は高く、参加者の勢いに圧されるものがあった。

 この熱気はどこから来るのだろう……そう考えた際、ふと脳裏に浮かんだのは、フォーラムの全体講演や分科会で、多くの講師が言葉を変えつつ口にした「身体で感覚的に自然と触れることの大切さ」だった。それを聞いて、私の頭に浮んだのは「考えるな、感じろ」(Don't think! Feel)である。

 これって、映画「スター・ウォーズ」に登場したヨーダがルークの修行時に言った言葉だったっけ……と考えて、いや「燃えよドラゴン」の方が先だったと気づいた。ブルース・リーが弟子にカンフーを教えるときに口にした名セリフだ。

 頭で考えて動くのではなく、肌でつかむことが大切……そうしたニュアンスだったと思う。そうか、森のようちえんはブルース・リーの道場だったのか。(違)

 しかし、この言葉、森のようちえんを語る際にしっくり来るような気がする。

 これまで私が参加したことのある野外教育や環境教育のインストラクター(主に男)は、つい理屈が先に立つと思っていたからだ。草の名前、虫の名前を覚えたり、生態系の仕組みを語ったり。そしてネイチャーゲームなどをイベント的に行う。何かと知識と形から入りがちなのだ。

 私自身もその傾向が多分にあるのでエラそうに言えないのだが、自然と交わるのに、それでいいのかとよく自問する。頭で考えて「森は素晴らしい(はず)」と言い聞かせても、実は虫に刺されたり、転んだりと不快な体験も多々ある。それでは本当の森の姿に近づけないのではないか。もっと身体で自然そのものを体感すべきではないのか……。

 もう一つ感じたのは、森のようちえんの主宰者は、圧倒的に女性、それも若い母親が多いこと。今回のフォーラムの参加者も、ざっと7~8割が女性だろう。それがみんなたくましい。そもそも自身の子どもを自由に森の中で遊ばせたいという思いから始まっている。多少の怪我ならしてもいい、喧嘩をしても仲直りすればいい、保護者はただ見守るだけ……というスタンスだ。これが、理屈でない情熱と勢いを生み出すのではないか。 

 私は、これまで野外教育や環境教育、森林ボランティア、木育……など自然絡みの全国集会に、取材もかねてよく顔を出してきた。テーマは少々違っても、自然相手に活動する人々が、一堂に会して交流し、情報交換したり議論を重ねたりすることは、それなりに意義がある。

 ただ近年は、雰囲気が変わってきた。有体に言えば、野外活動をリードしてきた人々が大人しくなった。ある意味マンネリ化し、熱意が弱まってきた。一方で森のようちえんには、非常な勢いを感じるのだ。両者の違いの理由は「考えるな、感じろ」なのかも? もちろん「個人の感想です」と付け加えねばならないが……。

 このフォーラムに参加していたNPO法人里山倶楽部(大阪)新田章伸代表理事によると、「少子高齢化の進行と、子どもたちの自然体験機会の減少が著しい」という。

 新田氏は40年以上、野外教育活動に関わってきたが、やはり時代ごとに波があるそうだ。1970年代から90年代までは、行政主体のキャンプなどのアウトドア活動が活発で、そのためインストラクターは引っ張りだこだった。やがて民間主導に移りプロ化も進むのだが、近年は子どもの数が減るだけでなく、身近な自然がなくなり、さまざまな事件発生によって外遊びを敬遠する傾向が強くなる。しかも塾やゲームの増加、そして野球とサッカーなどスポーツ団体による子どもたちの囲い込みも進んで、野外活動への関心も減ってきた。

「保護者の安全を求める声を受け入れると、差し障りのない活動になりがちだし、民間だと参加者数の確保など経営のことを考えてしまいます。それに指導者も高齢化が進んだ(笑)」(新田氏)

 90年代から広がってきた環境教育もよく似た展開だ。当初は自然観察会や勉強会として催されたが、やがて植林や草刈り、間伐といった作業を自ら行う森林ボランティアへと広がった。野外教育活動にもそうした内容を取り入れるようになる。

 ただ、こちらも最近は下火になってきたように思う。若者が減り、参加者の年齢層が上がってきた。近年の森林ボランティアは、定年退職した高齢者が主導しているところが多い。

 そうした流れとは別に、2000年以降に広がったのが森のようちえんだ。

 その特徴は、野外や環境というテーマよりは、年少者の保育・教育の在り方に対する問題意識から始まったこと。とくに自分の子どもを管理主義的な教育・保育に染まらせたくないと思う人々が自主保育として試みる。さらに園の都合で子どもたちを管理することに違和感を抱いた幼稚園教諭や保育士たちも取り組み始めた。その際に舞台に選んだのが森の中だった。

 なおフォーラム参加者には、不登校児や発達障害児のフリースクールをつくろうとしている人も複数いたが、いずれも野外で行うという。オルタナティブな教育を考えると、屋内より自然の中の方が効果的となるのだろう。

 森のようちえんのルーツをたどれば、ドイツや北欧で広がった幼児教育の潮流もあるのだが、日本でもほんの少し昔の子どもたちは、普通に森の中で遊んできた。それを取り戻そうという意識もあるようだ。

 そして野外教育や環境教育を行ってきた人々も、続々と「森のようちえん」へとシフトしつつある。対象も小学生から大人だけでなく、より年少に広げようとする意識が見られる。フォーラムにも幾人かいた(みんな男であった)。

 自然の中で活動することで、人間関係や環境について学び生きる力を身につけようとする野外教育。よりよい保育を考えた結果、森の中で行うところにたどりついた森のようちえん。両者は、スタートラインは違ったが、同じところに到達したのだろうか。

 そして、行き着いた理念が「考えるな、感じろ」なのかもしれない。

 ただし、感じるだけで考えなくてもよいと言うわけではなかろう。感覚で捉えた後には、深く考える必要もあるはずだ。ブルース・リーも、実は哲学者だったとか。だから単なる理屈軽視・感覚重視ではなく、「考えて行動しなさい」(一般の教育現場でよく言われる言葉だ!)から「(自然に)共感してから考えよう」というパラダイムの転換なのかもしれない。

……とまあ、なんだかんだと理屈をこねくり回して考えるのは、私の悪い癖だなあ。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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