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「生き抜くチャンス」つくる防潮堤 3.11から学ぶ役割と意義 #知り続ける

斎藤秀俊水難学者/工学者 長岡技術科学大学大学院教授
巨大津波に流された海岸沿いの住宅地の直後の様子(2011年4月3日筆者撮影)

 東日本大震災で沿岸部に壊滅的な被害をもたらした巨大津波。震災後、被災地に建設された防潮堤は粘り強く体を張って津波に立ち向かい、人に「生き抜くチャンス」を作るでしょう。

巨大津波に流された跡

 2011年3月11日の東日本大震災の発災直後。その時、カバー写真の現場である東松島市の鳴瀬川の河口には、背景の松林を抜けるように手前に向かって巨大津波がやってきました。多くのものが流され、津波が去ったあとに残されたのは、門扉、庭石。その後方にスカスカになった住宅、そして松林。

 あの日、写真中央付近に立つ安倍淳さん(水難学会理事・副会長)は巨大津波が迫り、海岸沿いに並んでいる松林を越えてくるのを目の当たりにして、この場所にあった自らが経営する会社の事務所に逃げ込みました。

 2階の事務室にて海水の高さが上がりつつある周辺を確認した後、信じられない現象に遭遇します。「ボンと爆発音のような大きな音が聞こえたんですよ」「そして事務所が浮き上がり、漂流が始まった」と安倍さん。

 窓やドアが閉じられて密閉状態にあった事務所が、建物内部に残された空気によって、自らがまさかの巨大な浮き袋になったのです。ここの住宅地では、津波に浮いたものは流され、浮かなかったものは残されました。

 この後、安倍さんの事務所は妻を一緒に乗せたまま河口から川を7 km も上流にさかのぼりました。事務所は津波の威力というよりはむしろ空気の浮力によって流されたと言えるのです。

※漂流後の想像を絶する生還過程については、「妻として母として大津波に流された3.11 失敗し、そして生き抜いた日」を参照してください。

防潮堤は役に立ったのか

 当時、住宅地と海岸とは、下の(写真1)のように防潮堤で仕切られていました。右に続くのが松林。写真中央から奥に延びているのが防潮堤です。巨大津波によって部分部分が壊れてはいますが、基本構造の形は残っています。

 写真1 カバー写真の背景に写っていた松林の砂浜海岸側。津波で破壊された防潮堤が続く(2011年4月3日筆者撮影)
写真1 カバー写真の背景に写っていた松林の砂浜海岸側。津波で破壊された防潮堤が続く(2011年4月3日筆者撮影)

 地面からだと高さが3 mほど、高さはそれほどない防潮堤です。防潮堤の天井に当たる天端(てんば)を覆っていたアスファルトがはがれて内部の砂利が見えています。右に見える斜面や斜面の下に、ここから流出したとみられる砂利があるのがわかります。ここでは3倍ほどの高さの津波がこの防潮堤を乗り越えました。

 防潮堤がこの程度の損傷で済んだのは、本体の背丈が低かったからとみられます。津波は低い防潮堤を「障害だ」と感じずに軽々と乗り越えていったのでしょう。松林の向こう側の住宅地にてほぼ全ての住宅が流されても、防潮堤が形を保っている結果を見る限りは、体を張って巨大津波に立ち向かったとは言い難いかと思います。

 なぜ天端のアスファルトが壊されて流されたのでしょうか。これも、まさかの空気の力で説明できます。

 理由を下のイラスト1を使って説明します。防潮堤の内部には砂利が詰められています。砂利の内部には隙間があって、そこには大量の空気が存在します。海から津波がやってきて防潮堤に達すると、海水は防潮堤の隙間から内部に入り込みます。そうすると防潮堤内部の空気は急に圧縮されて逃げ道を探します。空気が逃げるために天端を覆っていたアスファルト部を押し上げ、そして壊されたと考えられます。

 津波に体を張るほどの高さのある防潮堤なら、壊された天端から海水が流れ込み、内部の砂利などをいっきに陸側に流し出します。こうやって防潮堤本体が姿かたちを残さないほどに、ことごとく破壊されていきます。

※防潮堤の破壊には越流による裏法尻部の洗掘を原因とする過程など多数あります。ここでは、天端工の流出を原因とする過程のみを取り上げています。

イラスト1  防潮堤の断面図。丸い粒は砂利の粒を表す。長方形はコンクリートブロックを示す(筆者作成)
イラスト1 防潮堤の断面図。丸い粒は砂利の粒を表す。長方形はコンクリートブロックを示す(筆者作成)

巨大津波に立ち向かう新防潮堤

 下の写真2は、宮城県山元町に巨大津波後の2017年に完成した高さ8 mの新しい防潮堤です。

写真2 宮城県山元町にある震災遺構中浜小学校の先にある防潮堤。天端中央に空気抜きの穴が手前から奥に向かって並ぶ(2022年2月19日筆者撮影)
写真2 宮城県山元町にある震災遺構中浜小学校の先にある防潮堤。天端中央に空気抜きの穴が手前から奥に向かって並ぶ(2022年2月19日筆者撮影)

 この防潮堤の新しさを示すのが、太平洋側の斜面(左側)にあるジグソーパズルのようなブロックの組み構造、上面と斜面のつなぎ目にある三角形の尖り、上面中央に規則正しく並ぶ穴の3つです。

 ジグソーパズルや三角形の尖りは、津波による衝撃でブロック間や三角形周辺にて隙間が広がるのを抑えて、大量の海水が短時間のうちに防潮堤の内部に入ることを防ぐ目的を持ちます。こういう所の隙間がどこか一箇所でも広がると、それは破壊源となります。防潮堤のような構造体は、全体としては強くても、破壊源が一箇所でもできてしまうと、そこからいっきに構造の破壊が進むのです。

 天端中央の穴は、空気抜きの穴になります。防潮堤が高くなった分、内部の空気の量も増えます。津波が押し寄せてきた時に、圧縮された大量の空気をここから逃します。これで天端の爆発的な破壊を防ぎます。

 山元町を襲った巨大津波の高さは10 mを超えたとされます。当時の防潮堤の高さは6 m。新しい防潮堤でも高さは8 mなので、今後同じ規模の巨大津波が来たら、新しい堤防でも再び海水が乗り越えることになります。

 どれくらいの力を持った空気が防潮堤内部から噴出するかというと、津波の高さが10 mだとすれば空気の圧力は大気のおおよそ2倍になります。津波をかぶった防潮堤の内部から空気が「ボン」と海中に吹き抜けることでしょう。

防潮堤が体を張っている間に、私たちにできること

 それは、生き抜くことです。

 筆者は、今回の記事を執筆するのにあたり、福島県相馬市から宮城県東松島市まで沿岸の防潮堤をすべて視察・取材しました。そして、以前から訪れたかった宮城県の震災遺構中浜小学校を訪問しました。

 中浜小学校では、あの日、全児童が学校に残っていました。震災遺構の語り部の方に校舎屋上で話を聞きました。

 子供たちや教職員は、大津波警報を聞いて、海岸より離れた中学校まで20分かけて逃げるか、自校屋上に逃げるか判断しなければなりませんでした。ニュースでは、高さ10 mの津波は場所によってはすでに到達。もし逃げている最中に全員が津波に追い付かれたら、全滅だと思いました。

 下の写真3は、中浜小学校の屋上から太平洋を写した写真です。海岸線にうっすらと新しい防潮堤が見えます。そして、校舎の中庭の対面の壁面に張り付けてある青板には「津波浸水深ここまで」の文字がありました。全児童と教職員はこの屋上に逃げましたが、屋上より上方には上がれなかったのです。あと2 m津波の高さがあったら、もしかしたら屋上に避難していた全員が太平洋に流されたかもしれません。

写真3 震災遺構中浜小学校の屋上の様子。中庭対面の壁の青板には「津波浸水深ここまで」と表示されており、これは津波の高さおよそ10 mに匹敵する(2022年2月19日筆者撮影)
写真3 震災遺構中浜小学校の屋上の様子。中庭対面の壁の青板には「津波浸水深ここまで」と表示されており、これは津波の高さおよそ10 mに匹敵する(2022年2月19日筆者撮影)

 津波と言っても、巨大な激しい流れですから、膝くらいまで浸かれば立っている人は流されます。一度陸の奥の方に流されて、次は強力な戻り流れによって太平洋に運ばれていきます。

 できるだけ高い所に避難しなければなりません。徒歩で20分歩くとしても、そのあいだ防潮堤が持ちこたえてくれれば、目的地に到着するまで間に合うかもしれません。そして、万が一ものにつかまって浮く羽目になった時、防潮堤がしっかりと機能を発揮していれば、逆流して太平洋に流されるまでに時間を稼ぐことができるかもしれません。

「津波が来る」というその瞬間に、その数分後にどうなっているかなど、誰にもわかりません。だからこそ人がどんな判断で行動しても生き抜くことができるように、防潮堤には物理的に時間を稼ぐ役割が必要なのです。時間を稼げれば、より安全な所に逃げられるかもしれません。

 中浜小学校は11年前の巨大津波に襲われるずっと前、建築時に地盤を2 mかさ上げしたそうです。「津波が来た時に助かるように」との願いでした。このことも屋上に避難するという判断材料になったそうです。そしてまさにその願いがかなったとは。

津波や洪水から生き抜く最後の手段は

 人の行動は、最後のところで愛がこれを邪魔します。避難最優先だとわかっていても水門を命がけで閉じに向かった消防団員。動けないお年寄りをポンプ車に乗せようと最期まで頑張った消防職員。当然、中浜小学校の先生たちが子供たちを置きざりにして散り散りに逃げようとは考えなかったはずです。

 愛する人を残してどうしても逃げることができずに最上階に避難、そしていよいよ自分たちの身に水が迫ってきたら、どうしたらよいでしょうか。その時は、最後の手段として空気の力に頼ります。イラスト2のように衣服の詰まったリュック(緊急浮き具)や救命胴衣を身に着けて、空気の力で水に浮いて呼吸を確保します。

イラスト2 緊急浮き具で浮いて救助を待つ方法(画像制作:Yahoo!JAPAN)
イラスト2 緊急浮き具で浮いて救助を待つ方法(画像制作:Yahoo!JAPAN)

 イラストのように浮くしか手段がなくなったとしても、新しい防潮堤は体を張って、人が水に浸かる時間をできるだけ短くしてくれますし、流されるにしても緩やかに、そして海に連れていかれる前に水溜まりでとどまるチャンスを作ってくれます。

「命があっても、残念ながら命を失っても、どちらでも海の彼方に連れていかれないことも重要なんです」と、宮城県の海岸でまだ見つからぬ人を探す方の言葉。

 このように絶望的な瞬間に、最後の場面で人が生き抜くための時間を稼いでくれるのが新しい防潮堤なのです。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

水難学者/工学者 長岡技術科学大学大学院教授

ういてまて。救助技術がどんなに優れていても、要救助者が浮いて呼吸を確保できなければ水難からの生還は難しい。要救助側の命を守る考え方が「ういてまて」です。浮き輪を使おうが救命胴衣を着装してようが単純な背浮きであろうが、浮いて呼吸を確保し救助を待てた人が水難事故から生還できます。水難学者であると同時に工学者(材料工学)です。水難事故・偽装事件の解析実績多数。風呂から海まで水や雪氷にまつわる事故・事件、津波大雨災害、船舶事故、工学的要素があればなおさらのこのような話題を実験・現場第一主義に徹し提供していきます。オーサー大賞2021受賞。講演会・取材承ります。連絡先 jimu@uitemate.jp

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