デマはウィルスより速く世界に拡散する――情報の感染爆発とは何か
- フェイクニュースをきっかけに、一部地域でトイレットペーパーが品薄になっている
- WHOはこうしたデマをインフォデミック(情報の感染爆発)と呼び、ウイルスより速く拡散していると警告している
- インフォデミックは社会を無駄に疲弊させるため、その抑制には情報の送り手だけでなく受け手にも、これまで以上に注意が必要になっている
新型コロナの拡散にともない、それを上回る勢いでフェイクニュースが世界中で大量に拡散している。世界保健機関(WHO)はこれをインフォデミック(infodemic: information pandemicの略語)と呼び、警戒を強めている。
トイレットペーパー騒ぎの再来
九州では27日、熊本県を中心に「マスク生産に紙が回されて不足する」「中国から原材料が輸入できなくなる」といった風説がSNSなどで飛び交い、トイレットペーパーが品薄になる事態が各地で発生した。
「そんなことがあるのか」と思って翌28日、横浜にある自宅の近所のコンビニやスーパーを見て回ると、こちらでも品薄になっていた。
「新型コロナが原因でトイレットペーパーが足りなくなる」という風説に関して、西日本新聞の取材を受けた業界団体はトイレットペーパーとマスクでは材料が全く異なること、トイレットペーパー生産はほぼ日本国内で行われていることなどから「全くのデマ」と断言している。
物資の流通への(誤解に基づく)懸念があるにせよ、1974年の石油危機といい、2011年の東日本大震災といい、なぜ日本人がトイレットペーパーにとりわけ執着するかは謎だ。
フェイクニュースの拡散
もっとも、新型コロナに未知の部分が多いだけに、右往左往しているのは日本だけではない。中国の重慶市などでは、市当局がウィルス対策として漂白剤をミストで散布しているが、専門家によると効果はゼロという。
こうした誤報や思い込みといったレベルだけでなく、ネット上ではより政治的な風説も少なくない。
・「中国では実はすでに死者が10万人出ている(中国政府はそれを隠蔽している)」
・「ダイヤモンド・プリンセスは通信設備に5Gを用いていたので感染が広がった」
・「中国との貿易交渉を有利にするため、アメリカが新型コロナウィルスを作った」
などなど。
これらはどれも、断片的な事実を誇張し、強いバイアスと類推で固めたストーリーという意味で、「アポロは実は月に行っていない」というのと大差ないレベルの陰謀論と呼べる。
ウィルスより速く拡散するデマ
こうしたデマや陰謀論の拡散をWHOは「インフォデミック(情報の感染爆発)」と呼び、治療や予防、国際的な協力の妨げになると危機感を強めている。
非常時の流言飛語は、紀元64年のローマ大火で「皇帝ネロが新たな都を作るために火を放った」「(当時ローマ帝国に迫害されていた)キリスト教徒が犯人」といったデマが広がったように、人間の歴史とともに古い。
しかし、情報通信の発達は、これまでになく風説を広げやすくしている。WHOによると、フェイクニュースはTwitterやFacebook、YouTubeを通じて、コロナウィルスそのものより速いスピードで世界に拡散している。
そのため、WHOのデジタル部門責任者は2月中旬にはFacebookやAppleなど情報通信大手の各社と相次いで会合を開き、「科学に基づかない」情報の拡散防止に協力を求めた。
WHOとの協議に基づき、例えばFacebookやTwitterは、新型コロナについて検索するとWHOなどの公的機関が発信する情報が上位にくるように設定したり、投稿に対する第三者機関のファクトチェックを強化しているという。
デマには2種類ある
とはいえ、インフォデミックの抑制には、情報の管理者だけでなく受け手にもデマに振り回されないための対策が必要だろう。
ただし、デマと一口にいっても、大きく二つに分けられる。「本当かどうかを確認できるデマ」と「確認できないデマ」だ。
このうち、トイレットペーパー騒ぎのように「本当かどうかを確認できるデマ」に関しては、これだけ情報ツールが発達した現代では、対策は比較的シンプルだ。情報をクロスチェックすれば済むからである。
もう少し具体的には、
・複数のソースにあたること
・ソースを確認すること(匿名の個人の発信を鵜呑みにしない)
・また聞きではなく、できれば公的機関の一次情報に当たること
という当たり前のことをするしかない。これらはどれも、新型コロナに限らず、事実の確認に関して筆者が大学生に指導することでもある。
公的機関が信用できない、という人もあるだろう。確かに、公的機関が都合よく情報を管理することは、民主社会でも珍しくない。
だからこそ、公的機関のものも含めて、複数のソースの情報をクロスチェックするしかないのである。
また、特に一対一の関係では、ヒトは信頼する相手(家族、親しい友人、フォローしているインフルエンサーなど)から得た情報ほど信用する傾向がある。しかし、意識的か無意識かを問わず、人間は誤りを犯すという前提に立てば、誰かから聞いたことを無条件に正しいと捉えることはできないはずだ。
また聞きをそのまま流布すれば、フェイクニュースに社会はどんどん感染する。それは社会を無駄に混乱させる。
トイレットペーパーを買い集めている人のなかには、デマと分かっていても、「多くの人がデマを信じて買い占めが発生するかも」と心配して必要以上に買ったという人もいるだろう。それはデマに振り回されているという意味では、少なくとも結果的には同じだ。
新型コロナそのものの個人レベルの対策として手洗いなど基本的な予防が大事になるのと同じく、インフォデミックには情報のクロスチェックというごく初歩的な対策をするかが最も重要といえる。
「本当か確認できない話」の非生産性
一方、「新型コロナウィルスは中国の研究所で作られた」といった「本当かどうかを確認できないデマ」は、少々やっかいだ。「確認できない」だけにクロスチェックできないからだ。
そもそも陰謀論には「本当だと証明できない」のと同時に「ウソだと証明もできない」という特徴がある(中国が新型コロナウィルスを作っていなかったという証明はできない)。
そして、ここに陰謀論の決定的な欠陥がある。科学的でない、ということだ。
20世紀を代表する哲学者の一人、カール・ポパーによると、科学とは新たな知見がどんどん積み重なるもので、かつて真実と思われていたこと(「地球ではなく太陽が周っている」など)が、その後の観測などによってひっくり返される(反証される)ことは珍しくなく、むしろこの反証可能性をもった説こそ科学的となる。
この観点からみれば、「これこそ真実」と断定する陰謀論は「そうではない可能性」を否定しているため、もはや宗教に近くなる。しかも、宗教と違って、そこには魂の救済も友愛もない。
したがって、どんな荒唐無稽なストーリーでも、それを信じるか信じないかが分かれ目になる。それを信じる人にとっては「この世の真実」かもしれないが、それ以外の人にとっては全く生産的でない。それに付き合えるほど、多くの人はヒマでも寛容でもないだろう。
とすると、これも全く基本的な対策だが、「本当かどうか確認できない話」は聞き流すのが最も簡単で、最も効果的といえる。
新型コロナに見舞われた世界では、WHOや各国政府の危機管理能力が問われている。しかし、感染の拡大を防ぐためには、公的機関だけでなく市民の協力が欠かせない。その意味で、新型コロナの拡大は、情報を取捨選択する市民のリテラシーも問うているのである。