『青天を衝け』の魅力は「幕臣の色っぽさ」にあり 土方歳三に圧倒的に惹きつけられたその理由
躍動感に満ちた「幕末の物語」
『青天を衝け』の幕末編は、躍動感に満ちていた。
倒れゆく幕府側の内情を描きながらも、なぜかうきうきさせる。
すてきなドラマである。
幕臣たちは「正しいこと」をやろうとしており、討幕派(おもに薩摩)の動きはかなり「邪(よこしま)なもの」、明確にそう描き分けているところが、痛快である。
「討幕派がぎりぎりの段階で行った謀略は、かなり邪悪であった」という見方が、ふつうに大河ドラマでも見られるようになったところが感慨深い。
明治の御一新から153年経って、ようやっとという感じである。
もちろん幕府側からの物語は幾多作られてきている。でも「正邪でいえば幕府が正、薩摩が邪」とわかりやすく描いた物語はめずらしい。
討幕派は邪悪である
倒幕側の人間は腹の中に何かしらの陰謀を隠しもっている。
でも幕府の人間は、まるで江戸ッ子、五月の鯉の吹き流し、腹に何も持っておらず風通しがいい。
そういうふうに見える。
幕府側の人間が魅力的に描かれている。
色気があると言ってもいい(カタカナで言えばセクシーであるが、慶応年間の話なので、色気でいいだろう)
色気のある役者を幕臣にたっぷり配している。(倒幕側で色っぽいのは五代才助くらいだ)。
『青天を衝け』は、「幕府の人間たちもまた未来に向かって動いていた」という風景を見せてくれて、何だかとても元気になる。
渋沢栄一はいつも「わくわく」している
こういう爽やかな風景が現出するのは、当然、主人公の視点に影がないからだろう。
渋沢栄一(渋沢篤太夫)はいつも未来に向かって前向きである。前に進むときは、いつもうきうきとしている。
たとえば、23話でパリ滞在中、「髷」を切ることになり、悲壮な覚悟で髷を落とす同僚もいるなか、彼は嬉々として楽しそうに髷を落としてもらっていた。いったいこの先どうなるんだろうと、未来がわからないこそわくわくしている、そういう気配が横溢としていた。
吉沢亮は「わくわく」を演じて、とても魅力的である。
まさに江戸ッ子らしかった平岡円四郎と川路聖謨
いろいろ魅力的な幕臣が登場するが、とくに目立っていたのは、堤真一の演じた平岡円四郎だろう。
江戸ッ子らしい口ぶりで喋り、つねに軽快であった。
平岡自身は「余りに前途が見え過ぎて、とかく他人の先回りばかりをなす」人物だと、これは後年の渋沢の評であるが、ドラマではあまりそういう面を見せていなかった。軽率なほどに軽やかで、即断即決、いかにも江戸ッ子ふうであった。江戸ッ子というのは、本来は職人あたりの気風をさしていうのだが、武士ながらこの人はずいぶんと江戸ッ子であった。江戸ッ子の色気たっぷりだった。
彼と懇意だった(というか引き立てた恩人でもある)平田満演じる川路聖謨もまた、「江戸ッ子らしい裏表のないところ」を見せて、なかなか心地いい。
かなり老人だから(慶応三年で数えで六十七歳)ちゃきちゃきという感じではなかったが、でも身内と話すときは、江戸ッ子ぶりが横溢としていた。
川路聖謨の最期は、幕臣としてやや厳しいものなのだが、これはドラマでやはり放映されるのだろうか。べつだん、スルーしてもらっていいんだけれど。
魅力に満ちた徳川慶喜
幕府側のトップは慶喜である。
一橋慶喜であり、徳川慶喜であり、ナポレオン三世への公式文章では公式名の「源慶喜」を名乗っていた。この時代の公人にいくつもの名乗りがあるのは、なかなか現代人には理解しにくいところだけれど、とりあえずそれは措く。
徳川慶喜の、将軍としての最終的な行動は、とくに慶応三年後半から四年にかけての行動は、余人には測りがたいものがある。
英明さを讃えられ、徳川家康の再来とも言われ、倒幕側にかなりおそれられた存在ながら、決戦戦場から抜け出し、ひたすら蟄居するという行動は、あまり多くの共感を得ていない。
おそらくその心情を、明確に見せてくれるのが『青天を衝け』の前半部の山場であろう。
わかりやすく、爽快に見せてくれるのではないかと期待している。
『青天を衝け』での慶喜の姿は、常に孤独であった。いつも孤軍奮闘している。演出もあるだろうが、一人で戦い、かなり高度な「政治的行動」によって崩れ続ける幕府の命脈を保っていた。そのへんの「正しいことを貫こうとする姿」が見どころであった。
英明ながらおっとりしている殿様を演じて草彅剛は見事
それでいて慶喜はやはりお殿様である。
臣・渋沢から見れば、どこまでも殿様であり、つねに仰ぎ見る存在であり、それでいてほわっとする優しさを感じさせていた。これもまた見ようによっては、色っぽい存在である(畏れ多いのだけど)。
草彅剛演じる慶喜を見ていると、あらためて「お殿様は、下々の前では、ただ許すためだけの存在なのだ」ということが想い起こされる。
許すしかしない。許さないときは、ただ黙っている。黙って禁じつづける存在である。
それがお殿様だ。
その不思議な存在を草彅剛は自然に演じていた。かなりすごいとおもう。
小栗上野介を肉体派の武田真治が演じる理由
小栗上野介忠順は、武田真治が演じていて、精気がみなぎっている。
とても小栗上野介らしくて、いい。
もともと一橋慶喜とは政治的立場を異としていたが、幕末の最終段階では慶喜がトップになり、江戸方の公儀の中心となっていく。
知的な人物で、実務家でもありながら、最後まで討幕軍に対して徹底抗戦を唱えた人物である。歴史の彼方から眺めて、その胆のすわりようが尋常ではない人物に見える。
「近代社会をリアルに想像できる明晰な頭脳」を持ちながら、「武士として忠義に生きる」道を選んだ男である。
いわば、頭ではなく、身体に正直に生きた人間だった。
だから武田真治に合った役だとおもう。
小栗の最期も、また新政府軍の暴虐さというラインで描写されるのではないだろうか。
もっとも色っぽかった新選組の土方歳三
幕府側の人で、もっとも魅力的に見えたのは新選組副長・土方歳三だった。
色気ということでいっても、飛び抜けていた。
演じるは町田啓太。実在の土方歳三もイケメンで、町田の殺気を宿したイケメンぶりが土方らしくて、とてもすばらしい。
第二十話で、渋沢栄一は新選組の土方らと「不穏分子」の捕縛に向かった。慶応二年の秋のことである。これは事実であったらしい。ただ、詳細についてはやや曖昧なので、事実をもとに作られた物語と捉えるのがいいのだろう。
捕縛の責任者は渋沢で、新選組はその警護役である。
渋沢が単身のりこんで危ないめに遭ったところで、護衛の新選組が切り込んで助けてくれた。無事、不穏分子の捕縛に成功する。任務完了である。
土方歳三と渋沢栄一の会話が心を熱くさせる
そのあと、渋沢栄一と土方歳三が少し、話をする。
ここがよかった。
渋沢が「おりゃもとは武州の百姓だ」と語りだし、「おれにはお武家さまなど合ってなかったのかもしれねえ」とぼやくように話すと、土方歳三は隣に座り直し、彼の言葉遣いに笑ったあと、「おれは武州多摩の百姓だ」と明かす。
渋沢はそれに跳ねるように反応し「え。お。多摩か、おれは岡部だ」と答える。
土方の反応もいい。
「ほお、熊谷の北の。薬の行商で行ったぞ」
他所で出会った同郷の若者らしい会話である。
土方歳三は、武士となって国のために戦うのが目当てだったと話し、「後悔は少しもない、日の本のために潔く命を捨てるその日まで、ひたすら前を向くのみだ」と語る。
別れ際、「土方殿と話せてよかった、武州の風をおもいだした。いつかまた会ったときに恥じぬよう、おれもなるたけ前を向いて生きてみることにすんべ」と渋沢はまっすぐ語る。
土方は「生きる…か…」と少し口の中で呟いたあとに渋沢を見つめ「ああ、いつか必ず」と去っていく。
去りゆく土方に軽く頭を下げ、しばらくその姿勢で留まる渋沢栄一。
慶応二年の秋のことである。
歴史を知っている側からは、幕府側の人間がこのあと苦難の道をたどることを知っている。
でも、この土方歳三と渋沢栄一のやりとりをみて、やたらと元気づけられた。
ちょっと珍しいくらいに元気になった。おおお、と声が出てしまうくらいに勇気づけられたのだ。
「いまを生きる人間にとって大事なこと」を教えてくれる
こういうシーンの見事さが『青天を衝け』というドラマの魅力なのだろう。
「もう何十人と命を奪ってきたので、おのれの命に微塵も未練はない」といいながら自分の手を見つめる土方歳三は、それでも前を向くだけだと語る。
故郷の武州(武蔵国)の話では伸びやかに話す。
彼に刺激され、やはり前向きになろうとする渋沢栄一。
二人の交錯が瑞々しく描かれ、二人の未来が実際どうなるのかとはまったく関係なく、未来へ向かって顔をあげて進む幕臣二人の姿を示してくれた。そこに余計な説明はない。
顔を上げて前を見つめて進むこと、いまを生きている人として、大事なことはそういうことだと示してくれた。
それが、町田啓太と吉沢亮によって演じられることにより、声を上げたくなるくらいに元気づけられた。
討幕派は本当に未来を見ていたのだろうか
どうやらこのドラマの躍動感は「人と人との交わり」から生み出されているようだ。
それがたとえ慶応三年かぎりでなくなってしまう「公儀」のメンバーであっても、交わりを大事にし、前を向いて進む。
何も討幕派だけが未来を見て歩いていたわけではないということだ。
いや、討幕派は本当に未来を見ていたのだろうか。
彼らは「いま当たり前のように存在している政権」をひっくり返すために、余人に語れないような謀略の限りを尽くし、「未来のために」と言いつつ、現実に行っているのは「死ぬまで人に語れないようなこと」だったりする。見えているのは足元の地面ばっかりだったのではないか。
ふとそんな想像もさせてくれるドラマである。
討幕派の中枢よりも、幕府側の中枢のほうが、人として明るく爽快だったというのは、リアルな風景かもしれない。
司馬遼太郎が描く「政権を倒す物語」が受けていた1960年代
司馬遼太郎が、討幕派の人々を明るく描いた小説を発表していたのは、だいたい1960年代である。明治維新から百年経ったころだった。
「時の政権を倒す物語」が受けていた時代だったのだ。
そこから六十年経って干支がひとめぐりして2020年代となると、世の中は少し変わっている。
「倒れいく徳川幕府を支えようとするメンバーの心意気」も明るく描かれるようになった。
べつだん、1960年代が若く、2020年代が老成したというわけではないだろう。
1960年代はどっちかというと「破壊を支持する気分の高い時代」だったということだではないか。
破壊の時代である。
破壊を楽しくおもえるのは、そのあと再生があると信じられるからだ。
それはおそらく「1945年の日本中の都市の徹底破壊」の記憶とつながっている。そのまま「戦後の荒々しい復興」に紐付けられている。
そして2020年代の『青天を衝け』がすばらしい理由
2020年の社会には、破壊衝動は蠢動していない。
(ないとは言わないが、1960年代のそれと根本的な質が違う)。
いまあるものをどうにかうまく使おうと考えている。そういう時代に見える。
だからこそ『青天を衝け』の幕臣たちの行動が胸に届き、土方歳三と渋沢栄一の会話から元気をもらえるのではないだろうか。
1960年代も2020年代も、べつだん、どっちもどっちである。
いまある状況で、とにかく前を向くのがいい。
『青天を衝け』を見ると、いつもそう教えられる。
毎週、楽しみである。
(ただしオリンピックで三週間のお休み)