「習近平中国」と向き合うための教訓……上海列車事故35年(下)「急いだ」裁判、封印された事故原因
世界を恐怖に陥れた新型コロナウイルスは2019年末、中国湖北省武漢から感染が拡大し始めた。米国や豪州などが再発防止に向けて中国に国際調査を求めたが、中国は結局、自国に都合の良いデータしか出さず、国際世論を封じ込めた。
こうした中国のふるまいは今に始まったことではない。十数年前にも浙江省温州で高速鉄道事故が起きた際、原因究明に立ち入る前段階で、衆人環視のなか、当局が破損した車両を埋めるという「珍事」さえ起きている。
大事故が起きれば、問題点を洗い出し、問題を引き起こした者は処罰し、再発防止に向けた措置を取る――というのが日本での一般的な感覚だ。
だが中国は違う。真相究明・再発防止よりも、良好な国際関係や自国民の生命・財産よりも、中国共産党やその中心にいる習近平(Xi Jinping)総書記(国家主席)のメンツを守ることが最優先だ。
35年前の上海列車事故の事故原因究明をめぐるプロセスも同じだ。なぜ中国は、これを繰り返すのだろうか。(敬称略、肩書は当時)
◇「ものすごく急いだ」裁判
ここで列車事故の経緯を振り返ってみる。
上海市郊外で1988年3月24日、高知学芸高校の修学旅行生ら193人を乗せた311号列車が上海から浙江省杭州に向かって単線区間を走行していた。本来なら、途中で待避線にそれて、対向してきた湖南省長沙発上海行き208号列車を通過させてから本線に戻る段取りだった。ところが311号列車はそこで止まることなく突き進み、その結果、208号列車と正面衝突してしまった。死者の大半が311号列車の2両目に集中した。
中国政府は事故当夜、事故原因をいったん「311号側の信号無視」と公表した。ところが2日後には一転、信号機など設備に異常はない▽311号運転手が居眠りや酒酔いをしていた可能性はない▽運転手は「ブレーキがおかしかった」と語っていた――とした。
その後、中国政府は現場検証を進め、4月2日には「調査報告書」にまとめて▽ブレーキは正常▽311号運転手の信号無視――と結論づけ、運転手と運転助手を拘束した。
事故発生直後、中国政府は「テロ行為もしくは爆破」とみて、人民解放軍や治安警察を大量に動員し、長時間にわたって現場を封鎖した。疑わしい行動を取る者がいれば片っ端から拘束し、上海の日本総領事館職員でさえ立ち入りを拒んだ。
結局、運転手と運転助手の2人は「交通事故惹起罪」(事故を引き起こした罪)で起訴され、9月22日には上海鉄路運輸中級法院でそれぞれ懲役6年半と懲役3年が言い渡されている。裁判では検察側の主張がほぼ認められ、事実認定も調査報告書通りだった。
人定質問から起訴状朗読、論告求刑、判決言い渡しまで一息もつかずに進められた。裁判を傍聴した日本人記者は「こんな裁判は初めて見た。特殊なケースだ。ものすごく急いでいる印象だった」と回想している。
もっとも中国の司法は党の指揮下にあり、裁判を早めることなど簡単だ。判決を含め、あらゆる司法手続きは党の意向に沿っている。
◇遺族の追及を抑え込んだ事故報告
同年5月15日、上海鉄路局の韓杼濱(Han Zhubin)局長を団長とする中国からの弔問団が高知県を訪れた際、遺族に事故報告書が手渡された。分量は日本語訳でB4判2枚に過ぎなかった。4月2日付「調査報告書」を踏襲した内容だった。
中国側との質疑応答の際、遺族側は次の点を追及した。
・なぜ信号に気づかなかったのか。居眠りか、酒酔いか、雑談か。なぜ2人もいて信号を見落としたのか。
・311号は待避線で8分間停車し、その間に208号とすれ違う予定だった。ふたつの列車ともダイヤ通りの運行なら、311号がたとえ信号を無視したとしても、数分間は本線を走ったあとで208号と衝突しているはずだ。なのに本線合流直後に衝突している。208号が予定より早く来たか、311号が遅れてきたか、あるいはその両方ではないか。
・ブレーキは本当に正常だったのか。
だが中国側は遺族側の追及を受けても、準備された紙に書かれた文句を繰り返し読み上げるだけで終わらせた。
中国側からすれば、弔問団の任務は党が決めた方針を寸分違わずに日本側に伝えることだった。従って質疑応答の際には党の決裁を受けたものから外れた回答はできない。遺族側の疑問点を党に伝達して新たな見解を引き出すようなこともまずない。
この事故報告書提出をもって、中国は遺族に事故原因を説明したことになり、詳細は封印されてしまった。
◇「ブレーキは正常」への疑問
筆者も取材を重ねるうち「ブレーキは正常だった」という中国側の主張を疑問視するようになった。
311号列車は、機関車のすぐ後ろに13両が連結されていて、さらにその後ろに高知学芸高校一行が乗った3両(前から1号車、2号車、3号車)が増結されていた。事故直前にスイッチバック(折り返し)したため、それまで最後尾だった3号車に機関車が接続されることになり、客車は逆方向に走ることになった。そして対向列車と正面衝突した。
列車には貫通ブレーキがあり、これを作動させれば、すべての客車に同時・均等にブレーキがかかるはずだ。ところが311号列車の破損状況をみると、押しつぶされているのは2号車だけ。したがって「貫通ブレーキ」の不良を疑わざるを得ない。また、機関車→3号車→2号車→1号車には通気はあったのに、その後ろ13両はブレーキが掛からない状態だった可能性もある。
したがって、運転手がいかに危険に気づいてブレーキを掛けたとしても、列車全体を停止させられなかったのではないか。後ろ13両がノンブレーキ状態のそのまま進み続けて前の3両を押し、結果的に2号車が破壊された――筆者はこう考える。
◇続発していた重大事故
それでは、中国政府はなぜ、疑問だらけの事故原因で事態の収拾を図ろうとしたのか。
ここで見落としてはならない事実がある。
実は上海列車事故の直近の3カ月間に、中国では▽1988年1月7日、湖南省で列車炎上、34人死亡、30人負傷▽同17日、黒竜江省で旅客列車が貨物列車に正面衝突、18人死亡、62人負傷▽同24日、雲南省で特急列車が脱線、90人死亡、66人負傷▽2月1日、黒竜江省で貨物列車とバスが衝突、10人死亡、11人負傷――という列車の重大事故が4件も発生し、計152人が死亡している。一連の事故の責任を取って当時の丁関根(Ding Guangen)鉄道相が辞任する事態に発展していた。
中国では当時の最高実力者、鄧小平(Deng Xiaoping)による改革開放路線が浸透し、経済成長が急激に進んでいた。1980年代は鉄道需要が高まり、とりわけ大都市ではダイヤが過密化して日本の運輸省(現国土交通省)も「限界に近い運転をしている区間が多い」と警鐘を鳴らしていたほどだ。
鉄道事故の頻発は、中国共産党にとって深刻な問題だった。鉄道相辞任を受けた後にも重大事故が発生し、しかも「ブレーキ不良」という組織の管理責任が問われるような原因であるならば、党の指導に傷がつき、批判の矛先が党に向けられることになる。
一方、事故原因が「運転手の信号見落とし」という個人の資質の問題であれば、少なくともこうした批判をかわすことは可能だ。
事故当時、上海鉄路局長を務め、日本側に事故報告書を提出した韓杼濱は、1992年10月~2002年10月の中国共産党総書記で国家主席も務めた江沢民(Jiang Zemin)の側近だった。
重大事故の責任を取るべき人物なのに、韓杼濱は事故後、鉄道相、最高人民検察院検察長と順調に出世し、江沢民指導部では党中央委員というハイレベルの要職も務めている。
上海列車事故の際、上海市トップの党委員会書記(党政治局委員)だったのが、まさに江沢民だった。副市長だった黄菊(Huang Ju)も、のちに党最高指導部メンバーの党政治局常務委員にまで上り詰めている。万一、上海列車事故の原因究明をめぐって党の責任が問われるような事態になっていれば、彼らの運命も別のものになっていた可能性は排除できない。
当時、情報は完全に統制され、被害者である日本側への情報伝達も限られていた。中国ではあらゆる物事が党に有利になるように決められていることを前提とするならば、短期間のうちに事故原因が信号無視→ブレーキ不良→信号無視と変更された状況を「中国当局に何らかの不都合が出てきたので、責任を2人に負わせて収拾を図った」と解釈するのも、無理のない話ではないか。
◇伝えられなかった事実
筆者は北京駐在期間中(2005~10年と2013~17年)、中国で事故の関係者を取材し、公開情報を集めた。そのうち事故原因に関わる重大な情報に触れることができた。
まず、事故直後の現地報道に、311号列車の機関車が上海列車事故までの半年間で3回もトラブルを起こしていた「不幸な機関車」だったことが記されていた。この「不幸な機関車」は上海列車事故で大破したあとも、当局は廃棄せず、再び修理に回されていた。
さらに重要なのは、中国鉄路総公司(旧・鉄道省)傘下「中国鉄道出版社」が2016年に編さんした資料に、上海列車事故について「事故原因は運転手と運転助手のミスだけでない」「(208号列車が事故直前に出発した)封浜駅が2分早く208号列車を出発させるという配車ミスも重なっていた」と記されていたことだ。
対向列車側の過失は遺族側が指摘していたことだが、中国側はこれを伝えてこなかった。
筆者は真相を確かめるべく、浙江省杭州に住む運転助手との接触を試みたが、ほんの数秒の通話で取材を拒否された。運転手は2005年ごろ、亡くなっている。
筆者は最近になって日本の鉄道専門家に、中国での取材結果を説明し、事故直後の映像・写真を改めて分析してもらった。やはり「ブレーキ系統は明らかに異常があった」という回答だった。ただ、上海列車事故に関する固有のデータがなければ、科学的に検証しようがない。
◇世論を無視できなくなった中国当局
35年前とは異なり、今はインターネットがある。中国での使用は制限されているものの、SNSもある。中国の庶民は自分たちの生命と財産が脅かされるという状況が生まれれば、SNSで声を上げるようになったというのは、この連載の(上)で先述した通りだ。
元来、中国の庶民は、党や政府の説明をうのみにしたがらない。自分たちの目で確かめたり、SNSなどを駆使したりして隠された情報を得ようとする。中国共産党は情報技術(IT)を駆使して強力に庶民を監視しているが、庶民による発信を抑え込むのは困難だ。
上海列車事故が今の時代の出来事なら、列車衝突時の車内外の様子は瞬時に拡散されるだろう。当局がいかに現場を封鎖しようが、情報操作を企てようが、その外堀は確実に埋められる。事故原因も、まったく異なる形のものが報告されていたかもしれない。
◇35年後も続く真相究明
上海列車事故発生から35年が過ぎ、事故の記憶は遠のく。だが、犠牲者の地元・高知では今も、遺族らによる事故にかかわる真相究明の動きが続いている。対峙しているのは、加害者・中国ではない。修学旅行を実施した高知学芸高校だ。
生徒らが亡くなったのは修学旅行という学校行事の最中である。初めての海外修学旅行であるのに下見をした教師はおらず、「下見」と称して唯一、中国に入った当時の校長は、修学旅行とは関係のない北京などを回っていた。ほかにも数多くの学校側の不手際が遺族の調査によって明らかにされている。
一方、学校側は内部での総括ですべてを終わらせ、不手際にほとんど触れない形で「事故報告書」を作り、遺族に配布して幕引きを図った。しかもその時期は、事故から20年以上もたった2009年3月だった。
遺族側は学校側に、「事故報告書」を改定して、学校側の不手際も盛り込むよう求めているが、学校側は応じる考えはなく、事故の記憶が消し去られるのをひたすら待っている。
学芸高の姿勢は、遺族側の疑問をすべて封じ込めた中国共産党・政府と何ら変わりはない。
学芸高は遺族側の意見も取り入れ、再発防止策を盛り込んだ新たな「事故報告書」を作ってはどうか。学芸高は中国共産党ではないはずだ。今からでも遅くない。「包み隠すもののない」報告書を改めて作り上げ、疑問だらけの中国の「調査報告書」を上書きしてほしい。
そうすれば、学芸高は「事故の加害者・中国と同じように不都合な事実を取り繕い、上海列車事故を清算しないまま不名誉な学校として存続し続ける」という最悪のシナリオから免れることができるだろう。
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