公立学校は労務管理できているのか?(1)だれも責任をとらない制度上の欠陥
公立学校の教員に残業代が支給されていないことは、広く知られるようになった。給特法という公立学校教員のみに適用される特別法のもとでの特殊な制度だ。給特法を廃止して残業代を出すようにしたほうがよいという意見、提案は以前から強いし、報道やSNSなどでも、この話題が多い。
現在、中央教育審議会(文科省の審議会、中教審)でも、議論が佳境を迎えているが、実は、重要な論点は、そこだけではない。残業代の問題を軽視するつもりはないが、そこにばかり気を取られて、ほかの重大なことを軽視、無視してしまうようでは、いけない。
【※4/23 追記 あとで述べるように残業代の問題と労務管理は密接に関連する。報道等で残業代を出すべきかどうかのみを扱われることがとても多いため、ほかのことを軽視してはいけない、と書いた。】
■公立学校教員の労務管理で、欠けていること
わたしは、学校の働き方改革や教職員の健康確保、過労死の防止に長年携わっているが、そこから見ると、公立学校の労務管理やマネジメントは、そうとう杜撰な側面がある。より正確に述べると、制度的な欠陥を抱えたままである。
文科省の検討でも、中教審のこれまでの議論でも(わたしも委員として加わっている)、十分に論点化、議論されていないと思うが、5つのことが「ない」のだ(図)。このうち、1つ目と2つ目は給特法の残業代も密接に関連するが、2番目~5番目は給特法だけの問題ではない。以下、一つずつ解説しよう。
■①働いているのに「労働ではない」とされる
ビジネスパーソンには信じられないことだと思うが、公立学校教員の場合、時間外の業務のほとんどが、労働基準法上の労働(労働時間)ではない、と解釈されている。給特法とその関連する政令で、校長が超過勤務命令を出せるケースは、修学旅行や災害時対応などに限定されているので、校長による残業命令のないなか、自発的に仕事をしているだけ、という建前になっている。
最高裁判例でも、京都市立の小学校と中学校の教諭が訴えた事案(京都市事件)がある。この件では、研究発表校になったことなどから発生した授業準備や新規採用者への支援・指導、テストの採点、部活動指導等の過重な時間外勤務が、校長の安全配慮義務(職員の健康を守る注意義務)の違反に当たるかどうかが問題視された。最高裁の見解を要約する(最三小判平23・7・12)。
このように、授業準備やテストの採点、部活動などは、教員の自発的、自主的なもの、つまり校長の指揮命令の下での「労働」には当たらない、という判断をする裁判例はこれまで多い。
確かに具体的な指示や命令はないかもしれないが、働いているのに労働ではない、なんて解釈は、腑に落ちない。校長は、その人が時間外に授業準備や部活動などに従事していることを知っているのに。たとえば、定時が17時の学校の場合、17時までの部活指導は「労働」で、17時以降は「労働」ではなく、ボランティアだというのは、おかしな話だろう。給特法を維持することは、この問題に目をつぶったままにしてしまう。
■②コスト意識が低いので、業務削減が進みにくい
通常の企業や行政(教員以外の公務員)であれば、あまりにも仕事が多くて、残業が増えれば、残業代がかさんでくる(しかも割増になる)。そのため、経営者や管理職は、残業抑制を進めようとする。
ところが、公立学校教員に対しては残業代が出ないので、こうしたメカニズムにはならない。しかも、仕事が増えたからといって、人(教職員数)も増えるわけではない。義務教育の教員定数の大部分(基礎定数と呼ばれる)は、「学級数×係数」という計算式で算定されることが法律(義務標準法)で決まっていて、少子化の影響や少人数学級化の影響は受けるが(学級数が変わるので)、仕事量は算定式になんら影響しない。実際、近年、学習指導要領の改訂のたびに、小学校では学習内容や授業時間が増えてきたが、教員数の算定は変わらなかった。
こうした制度の下、やや意地悪な見方をすれば、教育委員会や校長は、教員の仕事を増やしても、自治体の人件費等が増えるわけではないので、コスト意識をもちづらい。
実際、少し前に小学校教員がプールの水を出しっぱなしにしていたことで、損失を賠償させられた。税金の無駄使いは問題だが、そもそも、プールの管理は先生の仕事なのだろうか?外部委託すると自治体予算がかかるが、教員にやらせている限り、追加予算はかからない。こうしたことが教育委員会等のコスト感覚を麻痺させていくし、正当なコストや対価を予算要求していくという姿勢を弱めていく。
給特法が半世紀前にできた法律で、時代遅れだと批判する人は多いが、義務標準法の上記算定式が約半世紀変わっていないことも、もっと問題視するべきではないか。
■③だれも責任を問われない
以上のような1点目、2点目の問題があるので、ここ数年、文科省と各教育委員会は新しい時間管理を推進している。「在校等時間」という概念をつくって、労基法上の労働時間とは異なるものの、教員が時間外にも勤務している状況(基本的には在校して仕事している時間)をモニタリングするようになった。
これは、法的な問題は残っているものの、健康管理の観点では、前進になったと思う。7~8年前まではタイムカードすらなかった学校は多かったが、いまではほとんどの自治体、学校でICカード等で在校等時間を把握している。さすがに、時間外が長い人には校長等も声をかけるなりしていることが多い。
だが、この仕組みでは、長時間勤務の人がいても、使用者側に特段の罰則はない。これは民間企業(私立学校も含む)とは大違いだ。
しかも、訴訟などになるごく一部の場合を除いて、健康被害が起きても、校長の責任も、教育委員会の責任も問われることはない。
わたしは教員の過労死等の事案をたくさん調べてきたが、教育委員会や校長が公式に謝罪していることは、ごく稀だ。「熱心に教育に励んでくださった先生が亡くなって、悲しい」「このたびはお気の毒様でした」とはみんな言うが、責任は曖昧なまま。子どものいじめ問題などでは第三者委員会が設置されて、検証報告書が出ることがあるが、教員の過労死の場合、検証報告書はほとんどのケース、作られていない。公務災害(民間でいう労災)の手続きや裁判に時間を要するなかで、教育長や校長は退職する、逃げ切るケースが多いのではないだろうか。
もちろん、全国には、教職員の健康を思いやってくれている校長や教育長が多数だとは思うが、制度上の問題と運用上で、実際責任を問われることが極めて少ないという事実があることは見過ごせない。
長くなったので、5つの欠陥、問題のうち④、⑤は後ほど述べる。