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大阪桐蔭相手に4回1/3を無失点。強力打線を封じた二松学舎大付左腕が取り戻した「本来の姿」

上原伸一ノンフィクションライター
今夏の甲子園大会は観客の上限がなくなり、スタンドも本来の活気を取り戻している(写真:アフロ)

先輩エース左腕の姿を追い求めてしまった

「本来」の姿を甲子園の舞台で取り戻した。

3度目の春夏連覇を目指す大阪桐蔭との3回戦、二松学舎大付の布施東海(3年)は、3回途中からリリーフすると、4回1/3を投げて無失点。2回戦で19点を奪った全国屈指の強力打線を封じ込めた。打たれたヒットは4本。布施は「本来」の投球で、大阪桐蔭の強打者に「自分のスイング」をさせなかった。

6月-。布施は浮かない表情をしていた。

「自分のピッチングが思い出せないんです」

2年時から経験を積み上げてきた投手だ。昨春、秋山正雲(現・ロッテ)が絶対的な大黒柱だった中で台頭。市原勝人監督に「秋山1人に頼っていた中、布施が出てきてくれたのは大きい」と言わしめると、夏の東東京大会でも好投する。東京ドームで行われた帝京との準決勝では先発を託された。

「同じ左腕で、体型もそっくりですが(布施は身長171センチで、秋山は170センチ。体重はともに75キロ)、タイプは全く違う。秋山は数字以上に威力があるストレートが生命線。カーブを武器とする布施は、緩急で打たせて取るのが持ち味。タイプが違う2人がいるのは大きいと思います」

市原監督はこの頃(昨夏)、こう言っていた。

3回戦に進出した昨夏の甲子園では出番はなかったが、秋からはエースに。東京大会では全6試合に登板し、決勝進出と、翌春のセンバツ出場の立役者になった。

「本来」の姿を見失ってしまったのはセンバツからだ。聖光学院との1回戦、布施は5回途中7失点と、甲子園初登板を飾れなかった。

「抑えよう、という気持ちが強いあまり、自分で勝手にピッチングを難しくしてしまいました」

甲子園から帰っても、布施は「本来」の投球ができなかった。春の東京大会、関東一との決勝では、市原監督が荒療治を施す。4回までに7失点した先発の布施を最後まで投げさせたのだ。布施は5回からは立ち直り、以降は無失点に抑えた。

しかし、この荒療治も、布施に「本来」の姿を思い出させるには至らなかった。その後の練習試合でもたびたび打ち込まれ、「昨秋は打たれても試合を作れた。今は特に、走者を背負うと、試合を支配しようとしているんです。結果として、点を取られてはいけない場面で、打たれている」と市原監督の顔を曇らせた。

そこには“先輩エース”の背中を追い求めてしまったところもあった。

「秋山さんは、ピンチの場面を力でねじ伏せて切り抜けていた。自分とはタイプは違うと頭ではわかっているんですが、秋山さんと同じように投げてしまうんです」

これぞ“打たせて取る ”投球で強打者の形を崩す

最後の夏。布施は昨秋から背負っていたエース番号「1」を同じ左腕の辻大雅(3年)に譲る。昨夏は“準エース” の番号である「10」を付けていたが、背中には高校野球では“3番手”の位置付けとされる「11」があった。

東東京大会では3回戦と5回戦で先発。まずまずの投球を見せたが、正念場の準決勝、決勝では出番がなかった。大会中、市原監督は「布施の状態は悪くない」と口にしていたが、準決勝、決勝で登板がなかったということは、この時点ではまだ信頼が回復していなかったのかもしれない。

甲子園では、1 回戦、2回戦とも、辻と2年生右腕の重川創思のリレーだった。東東京大会の準決勝、決勝でもこの2人の継投。二松学舎大付の「必勝リレー」という見方もできる。

ところが、大阪桐蔭戦で先発したのは、外野手兼務で、東東京大会ではわずか投球回1の大矢青葉(2年)だった。投手出身で82年のセンバツ準優勝投手になった市原監督は思慮深い。大阪桐蔭打線には、ストレートがやや荒れ気味で、落差のあるフォークを持つ大矢が適任、と考えたのだろう。

そして、大矢の後を継いだのが、布施だった。

そこには、自分を見失い、自信をなくしていた春までの姿はなかった。抑えてやろう、という力みも感じられなかった。

自らの投手人生を切り開いてくれたという緩いカーブと、チェンジアップなどの変化球を駆使しながら、ストレートを速く見せていく。

布施の緩急を巧みに使う投球に、さしもの大阪桐蔭の各打者も自分の形が崩され、130台半ばの、ともすれば高校生では平均的なスピードのストレートに差し込まれた。とらえたか、という外野への飛球も、スタンドまで届くことはなかった。

打たせて取る。これぞ、そのお手本と言えるような内容だった。

時間を6月に戻す。布施は神妙な顔つきでこう話していた。

「僕はずっと市原監督に導かれてきました。昨夏、東京ドームで投げられたのも、昨秋の東京大会で好投できたのも、センバツで登板できたのも、自分の力ではなかった。市原監督のおかげです。でも、ここからは、自分で成長していくしかないんです」

初の夏の甲子園ベスト8には届かなかった。負けて悔しくないはずはない。それでも、大舞台で「本来」の姿を取り戻した。「聖地」のマウンドで躍動した布施は光り輝いていた。

ノンフィクションライター

Shinichi Uehara/1962年東京生まれ。外資系スポーツメーカーに8年間在籍後、PR代理店を経て、2001年からフリーランスのライターになる。これまで活動のメインとする野球では、アマチュア野球のカテゴリーを幅広く取材。現在はベースボール・マガジン社の「週刊ベースボール」、「大学野球」、「高校野球マガジン」などの専門誌の他、Webメディアでは朝日新聞「4years.」、「NumberWeb」、「スポーツナビ」、「現代ビジネス」などに寄稿している。

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