傷ついているご遺族、関係者の守り方
■死別の悲しみの中で傷つく人、責められる人がいる
亡くなった方を愛していた人、ご家族親友、仕事仲間、身近にいた人々。深い悲しみと喪失感が襲います。本当なら、最も慰められるべき方々です。
ところが、その慰められるべき方々が、人々から責められることがあります。
■神田沙也加さんの訃報を受けて
報道によると、交際相手とされる前山剛久さんへの誹謗中傷が起きているといいます。さらに、母親である松田聖子さんが紅白に出場すると荒れるのではないかとの推測も出ています。
< 交際相手・前山剛久への誹謗中傷「叩きのエンタメ化」懸念 聖子の紅白出場で荒れるのか > (AERA dot. Yahooニュース 2021.12.24)
たしかに、このようなことは今までも起きてきました。
ネットでは、叩くことを楽しんでいる人もいるでしょう。
■多くの悲しみの場面で
神田さんの場合は有名人ですので、こうして報道されますが、同様のことは日本中で起きています。
突然の訃報は、大きな衝撃です。交通事故で亡くなれば、車を買わなければ良かったとも思います。様々な死因がありますが、誘わなければ良かったとか、もっと気をつければ良かったなどと、考えてしまうのは当然です。
自分自身を強く責めることもありますし、人を責めてしまうこともあるでしょう。
学校の生徒が亡くなれば、先生たちは、様々な後悔の念を持ちます。夫が急死すれば、妻の中には自分が殺したとまで思い込んでしまう人もいます。
周囲に理解があれば、落ち込んでいる人の話が聞けます。慰めることができます。しかし周囲に理解がなければ、身近な人を安易に責めてしまうことも起きるでしょう。
理解がないわけでもなく、安易でもないのだけれど、あまりの悲しみに誰かを責めたくなる人もいます。
子供が亡くなれば、学校を責めたくなる気持ちもわかります。
結婚して数年の若い夫が急死すれば、その夫の親の中には、息子の嫁を激しく責め立ててしまう人もいます。自死の場合などはなおさらです。
本当は、最も慰められるべき人が、最も責められることが起きてしまいます。
■身近な人の心を理解し守っていこう
学校や職場の責任を問う場合など、たしかに事実の解明や法的問題に発展することがあります。ただ、それは大切なことではありますが、また別の話です。
身近な人ほど、悲しみは深いと理解しましょう。安易に身近な人を責めることはやめましょう。当人たちは、とても苦しんでいます。
誰かが悲しみのあまり人を責めているとしたら、誰かがその人を慰め、なだめましょう。
怒りを爆発させても、良いことは起こりません。後になって、かえって悔やむこともあるでしょう。
身近な人の訃報を受けて落ち込んでいると、その落ち込む姿を非難されることもあります。いつまで泣いているのかと責められることもあります。
一方、身近な人を亡くしても元気でいることを責められる人もいます。家族が亡くなったのに元気に歌うとは何事かと怒る人もいるでしょう。
でも、人の心は外からはわかりません。
愛する人を失って、それでも笑顔で仕事を続けることが供養になるとか、故人のためにもなると考えているのかもしれません。顔は笑顔でも、悲しみを必死にこらえているのかもしれません。仕事をしなければ、逆に自分を見失いそうなのかもしれません。
仕事先のことを考えて、無理をして頑張っているのかもしれません。
人の心はわからないのです。その人それぞれの方法で、悲しみを乗り越えようとしているのです。
死別の時には、様々な感情が次々とわいてきます。泣いたり、怒ったり、一心不乱に働いたり。それが、その人にとっての癒しの道なのです(死別の悲しみを癒すための10の指針:ヤフーニュース個人有料)。
■芸能人、有名人の訃報
ファンは衝撃を受けるでしょう。ファンではなくても、大報道がなされれば、多くの人が影響を受けます。
もしも、亡くなった有名人の身近な人が責められ、それを社会が良しとしてしまえば、それが当たり前の世の中になりかねません。
有名人に関する出来事は、社会の試金石となるのです。
どんな有名人だろうと、個人として傷つきます。身近な人との突然の別れで傷ついている人たちに、私たちはどんな態度をとるのか。ネットなら何を言ってもいいのか。どんな社会を作ろうとしているのか。私たちは試されています。社会の成熟度が、試されています。