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なぜ福山雅治ドラマは木村拓哉ドラマより見られたのか 『ラストマン』が『風間公親』に勝っている部分

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:ロイター/アフロ)

福山雅治と木村拓哉の刑事ドラマでの対決

福山雅治のドラマ『ラストマン−全盲の捜査官−』は日曜の夜9時、木村拓哉のドラマ『風間公親−教場0−』は月曜の夜9時に放送されている。

どちらも捜査官の、つまり刑事ドラマである。

1990年代から活躍しつづける俳優二人の刑事ドラマ対決というのは、なかなかおもしろい。

昔ながらの世帯視聴率で比べると、福山雅治のドラマのほうが少し人気が高い。

刑事ドラマとしては、『ラストマン』のほうがオーソドックスだからだろう。

(以下『ラストマン−全盲の捜査官−』と『風間公親−教場0−』の内容をしっかりネタバレしていますので御注意)

木村拓哉『風間公親−全盲の捜査官−』は倒叙もの

木村拓哉の『風間公親−教場0−』は倒叙ものである。

犯人の犯行が(だいたいは人を殺すところが)、ドラマの冒頭近くで流れる。

見ている者に犯人と犯行がだいたいわかっている。

そのあと木村拓哉演じる指導官と彼が指導する若手刑事がやってきて、現場を調べ、犯人像に目星をつけて、犯人を追い詰めていく。

そういう倒叙ものである。

このパターンのドラマの見どころは、犯人の心理が揺れ動くところだ。

自分は大丈夫だ、逃げ切れると信じている犯人が、刑事の何気ない言葉によって追い詰められていく、その心理に同調することによって、見ているほうはどきどきしてしまう。そこがおもしろい。

そして、犯人には意外な見落としがあり、刑事の慧眼によって見破られてしまう。

見ているほうは、もう少しで逃げ切れたのに、と犯人に少し同情しつつも、ほっとする。

知恵比べで、刑事が犯人を上まわったところを見て、安心するばかりである。

犯人の心理を丁寧には追わない

ただドラマ『風間公親−教場0−』は倒叙ものであることがメインではない。

新人刑事のいろんな葛藤と、それを見透かしたうえで必要最低限の言葉しかかけない指導官・風間公親とのやりとりが見どころになっている。

そこがこのドラマの芯にある。

細かく描写されるのは、新人刑事の私生活やその性情、育ちや環境である。

また新人刑事はだいたい2話単位で入れ替わる。

いままで出てきたのは、赤楚衛二、新垣結衣、北村匠海、白石麻衣で、このあと染谷将太が出てくる。

彼らに寄り添って、ドラマを見ている。

犯人の育ちや考えや、犯行動機などに近づけるわけではない。でも倒叙ものなのだ。

冷徹な指導官を演じる木村拓哉の魅力

また、木村拓哉演じる指導官は、どこまでもクールである。

かなり頭が切れるようで、現場に着くと、すぐにいろんなことを見抜いているようだ。

でも、いちいち言葉にしない。

彼の仕事のメインは、犯人逮捕ではなく、新人刑事に捜査能力をつけさせることにあるからだ。

犯人を取り逃がすことがあっても、捜査官を育てることのほうが大事だと言い切る風間公親は、独特の哲学を持っている。

よく考えるとそれでいいのかとおもってしまうが、でも風間公親がそう言い放つと、それでいいかもとおもってしまう。

圧倒的な説得力に満ちている。

キムタクドラマの伝統どおり

やはり、このドラマは木村拓哉を眺めてよく味わう作りになっているのだ。

私にはそう見える。

そしてもう30年近くそういうドラマを見続けていて、そういう作りはとても心地いい。たぶん人を選んでしまうだろうが、私は見ていて心地いいのだ。

いわば、キムタクのドラマ作りの伝統どおりと言える。

彼の姿は、凜として、人をよせつけない。そこが魅力的である。

だからミステリー部分が少しあとまわしになっている部分もある。

なぜこんな罪を犯したのか、どうしてそんな失敗を犯したのか、そのあたりが軽くあつかわれてしまって、それはそれでしかたない。

地図会社はときに架空の地名を地図に入れる

謎のおおもとになっている部分はおもしろい。

たとえば、第1話では、殺された男は、タクシーを犯人の名前の形に走らせていたというのがあとになってわかる。ちょっと感心した。

また、第4話では、地図会社はときに架空の地名を地図に入れて無断複写のトラップにするというエピソードが紹介された。

へえ、そうなのかとしばし感心してしまった。

でもそれが決め手となって、つまり強力な証拠となって、逮捕にこぎつけるというのは、ちょっと強引さを感じたところでもあった。

福山雅治『ラストマン』は正攻法で攻める

くらべて福山雅治の『ラストマン』は、これは正攻法である。

ミステリー連続ドラマとしての正攻法だ。

つまり、いろんなパターンで展開されていた。

犯人のアリバイトリックが最後まで見ないとわからなかったり、意外な人物が真犯人であったり、終盤まで解けない謎が用意されている。

犯人も最初から怪しいとおもっていた人物がそのまま真犯人だったり、別の人物が真犯人だったり、パターンが違う。

こういう部分でいえばバラエティに富んでいるほうが、おもしろい、と感じる人が多いのではないか。

ミステリーのパターンとしては、『風間公親』より『ラストマン』のほうが見応えがある、ということになる。

ただまあ、でも「チューブを搾るときにどこを押すのか人によって違う」というミニ知識が披露され、そこには感心したのだが、でもそれを犯人を最終的に追い詰めるトリックとしていたのは、ちょっと弱いかもとおもった回もあって(3話)、そのへんは両者、似たりよったりなところもある。

犯罪に巻き込まれた人のエピソードで引っ張る

『ラストマン』のほうは、もうひとつ、「犯罪に巻き込まれた人たちの事情」についてエピソードを盛り込んで、引っ張っていく。

5話の「料理のインフルエンサーの正体」や、6話の「立てこもりをやらかした社長と子供たちの本当の関係」が、ドラマの最後のほうに少し触れられて、それがなかなか泣けるのだ。

事件解決とはストレートにはつながっていない部分で、見ている者をほっこりさせるところがいい。

ただこれも同じパターンだけではない。

4話の「痴漢連続殺人」では、冤罪だと信じていた痴漢の罪は、じつは冤罪ではなかったという、とても哀しい結末を迎えていて、それはそれで衝撃であった。

パターン化しないところが『ラストマン』のひとつの魅力だろう。

まあ、この「犯罪者が抱えていたそもそもの哀しい事情」を細かく描くと、昔ながらのテレ朝刑事ものに近くなるので、そっちには踏み込んでいない。

そのあたりもいい。

『ラストマン」の遊び心とバディの魅力

『ラストマン』の魅力は、だからいろんな方向に広がる遊び心にあると見ていいのではないだろうか。

福山雅治と大泉洋のコンビは最強である。この二人を組ませたところが、すでに「遊び」を強く感じる。

『風間公親』の木村拓哉は単体でとても魅力的だ。

でもバディが2話ごとに入れ替わっていて、そのバディの背景をいつも丁寧に描かないといけない。

たしかに白石麻衣が演じた「勘は鋭いが男にだらしない女性刑事」など、とても気になる存在であったが、「バディもの」として成熟するほどに長くコンビを組んでいなかった。

そこのところが、今クールでは少し弱かったのかもしれない。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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