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ユニーの本社「再々移転」が意味するもの

関口威人ジャーナリスト
愛知県のアピタ稲沢店の裏手。ここにまたユニー本社が戻る(2017年、筆者撮影)

総合スーパーのユニーが、本社を名古屋市から同じ愛知県内の稲沢市に「戻す」ことが明らかになった。ファミリーマートとの経営統合、ドン・キホーテグループの子会社化と、ここ数年の混迷ぶりをさらに際立たせるような話だが、創業以来の歴史や土地勘がないとよく分かない面もあろうかと思うので、解説してみよう。

「ユニーの精神」を体現していた稲沢本社

元は戦前、名古屋市中川区で創業した履物店「西川屋」が発祥。その後に発展した「西川屋チェン」が呉服店「ほていや」と合併して1971年に誕生したのがユニー株式会社だった。

名古屋を中心とした中部圏を地場に関東や海外にも大型スーパーを出店、80年代にはコンビニエンスストア「サークルK」を展開し始めるが、バブル崩壊で業績が悪化。1993年、当時の配送センターだった稲沢の建物を改装して本社を移した。

初期のカリスマ社長だった故西川俊男氏は稲沢本社を「人が驚く質素なつくり」「バラックのような建物」だと表現している。その上で、「店舗はカネを生むが、事務所は稼がない。立派な本社でいい格好をするより、事業の成長を最優先すべきだ。これがユニーの精神である」と言い残した。(『中部企業家列伝』日本経済新聞社、2003年)

稲沢本社は名古屋の中心部から北西へ車で40−50分ほど。電車だと名古屋駅から名鉄国府宮(こうのみや)駅で降りてタクシーで15分ほど移動しなければならない。取引先にとっては不便だが、地元のタクシー業者などにはユニー関連客が上得意だったようだ。

私も何度か稲沢本社を訪れる機会を得た。「アピタ」店舗の裏手にひっそりとあり、確かにオフィスとしては質素。ただ、もちろん今は「バラック」ではなかった。

IT企業さながらの名古屋の新オフィス

ここから四半世紀ぶりに名古屋へ出戻りすると発表されたのは一昨年12月。ファミリーマートとの経営統合にともない「東京・愛知間のアクセスを向上させ、グループ各社の連携体制強化を図る」ためという理由だった。移転先は名古屋市内でも新たに名古屋駅南側で再開発が進んでいた「ささしまライブ24」地区。将来のリニア中央新幹線開通もにらんでの決断だと見られた。

そして実際に昨年10月、再開発エリア内の高層オフィスビル「グローバルゲート」の6フロア分に本社機能を移転。1,000人ほどの社員が一気に引っ越してきたため、ビルのエレベーターが混んで「ユニー渋滞」などと言われていると聞いた。真新しい本社にも足を踏み入れたが、今度はさながら東京のIT企業のように明るいオフィス空間になっていた。

ユニーが昨年10月に本社を移転した名古屋駅南地区の高層ビル「グローバルゲート」(左の建物、筆者撮影)
ユニーが昨年10月に本社を移転した名古屋駅南地区の高層ビル「グローバルゲート」(左の建物、筆者撮影)

それから1年足らず。ドン・キホーテグループ(パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス、PPIH)の完全子会社となったユニーは、今年11月上旬にも再び本社を稲沢に戻すことになった。ドンキとの共同店の好調で表向きの業績は悪くないが、年間5億円とされる賃料負担と、実店舗からかけ離れた立地が「個店主義」のドンキ流にそぐわなかったようだ。この決定について社員の一人に確かめると「恥ずかしながら…撤退します」と言葉少なだった。

地元にいて、この数年のユニーの凋落ぶりは目を当てられないものがある。「ぬるま湯」的な体質がたびたび指摘されていたが、ここまで現代の競争環境に無防備だったとは。人材の流失も激しいようで、復活の道のりは相当に険しいと思わざるを得ない。

西川氏は質素倹約を尊ぶ一方で「過去にこだわるものは未来を失う」というチャーチルの言葉を座右の銘とし、数々の合併や新規事業に取り組んだ。今回の本社再々移転を機に、今一度原点を確認しつつ、前に進んでもらうしかない。

(『東海財界』2018年5月号記事を大幅加筆修正)

ジャーナリスト

1973年横浜市生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科(建築学)修了。中日新聞記者を経て2008年からフリー。名古屋を拠点に地方の目線で社会問題をはじめ環境や防災、科学技術などの諸問題を追い掛ける。東日本大震災発生前後の4年間は災害救援NPOの非常勤スタッフを経験。2012年からは環境専門紙の編集長を10年間務めた。2018年に名古屋エリアのライターやカメラマン、編集者らと一般社団法人「なごやメディア研究会(nameken)」を立ち上げて代表理事に就任。

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