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朱鷺も駆除した! 江戸時代の獣害は大変だった

田中淳夫森林ジャーナリスト
日本列島から絶滅した朱鷺は、今復活への努力がなされているが……。(提供:アフロ)

シカやイノシシなどの獣害問題が大きな話題になる中、ちょっと気になるのは「獣害」が現代になって初めて発生したかのような声があることだ。そして獣害問題の裏には、現在の日本の自然界や人間社会の変調に原因がある……とする論調なのである。

本当にそうだろうか。かつて野生動物と人間は、うまくバランスをとっていたのだろうか。

そこで、少し歴史的な視点で調べてみた。

たしかに現在の農作物に対する獣害(主にイノシシやシカによるもの)が指摘されるようになったのは、1980年代以降のようだ。それ以前にも林業における植林地のニホンカモシカによる食害などは問題になっていたのだが、まだ奥山に限られていた。広く農村集落に野生動物が出没して被害を出すようになったのは30~40年前からである。

しかし、時代をずっと遡り江戸時代の様子をうかがうと、今以上に獣害が苛烈を極めた事実が浮かび上がる。

武井弘一琉球大学准教授の「鉄砲を手放さなかった百姓たち」(朝日選書)によると、江戸時代は武士より農民の方が多くの鉄砲を持っていたそうだが、その理由が獣害対策である。多くの古文書から実例を上げているが、田畑の6割を荒らされたとか、年貢の支払いができなくなったから大幅に減免してもらった記録もあるという。だから、藩や代官に鉄砲の使用を願い出て駆除に当たったのである。

昔は野生動物と人が共生していた、わけでは決してないのだ。

さらに資料を探っていると、トキを害鳥として鉄砲で追い払った記録もあった。

トキは、今でこそ特別天然記念物であり、一度は日本列島から絶滅したものを中国から同種を移入して繁殖させ復活を目指している。すでに200羽を越えて放鳥も行われ野生にもどす努力も進んできた。

しかし、トキが日本中に広がったのは、どうやら江戸初期らしい。それも人為的に各所に移植されたようなのだ。たとえば加賀藩が近江の国から100羽のトキを移入したところ、増えすぎて稲を踏み荒らすため駆除する事態になったそうだ。ほかにも阿波の国では、持ち込んだトキによって農作物の被害が頻発したため鉄砲で撃つのが解禁された記録もある。

ちなみに現在、獣害が多発するのは捕食獣であるニホンオオカミが絶滅したからとする意見があるが、オオカミがいた時代でも獣害は苛烈だった。そしてオオカミは幕末の頃から数を減らし、1905年(明治38年)を最後に確認されていない。

面白いことに、この頃から日本の山間部の獣害は減少し始めるのである。

原因ははっきりしないが、やはり明治以降は幕府の禁制が解かれ、高性能の銃が導入されて駆除が進んだと考えられる。同時に、山野の荒廃が野生鳥獣の生息を厳しくしたのではないだろうか。明治初年度は銃の所有制限だけでなく森林保護のための禁伐令も撤廃されており、日本全土にはげ山が広がったからだ。日本の自然はひどく傷めつけられたのである。

そしてオオカミがいなくなって約80年間、獣害はあまり出なくなっていた。獣害は野生動物の生息数に大きく左右されるが、自然が荒れれば獣害も減るという皮肉な関係にある。

だから現在の獣害の増加は、いわば日本列島の自然が回復してきた証拠と見ることもできるかもしれない。

もちろん、だからしょうがないというつもりはない。現在の自然が昔に比べて健全な状態かどうかは判断に迷うところだし、獣害の激甚化が中山間地の集落を追い詰めて過疎に拍車をかけている事実もある。そして人が減ると、野生動物はより大胆に農地を荒らす。

しかし、野生動物と人間の関係を歴史的にもちゃんと押さえておかないと、肝心の対策を誤りかねないだろう。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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